主役になんかなれない毎日の主題歌でいてくれる10曲
誰かにとっての主役になんかどうせなれないし、自分自身の人生の上でさえ自分が主役でいられている実感なんて到底持てない。擦り減らして埋め合わせてを繰り返すだけの平凡でありふれた毎日でも、僕だけを主役にしてくれる主題歌を探してしまう。今日はそんな"誰のヒーローにもなれやしない"僕がただ取り留めの無い毎日を送るだけの、誰の感情も揺さぶれない退屈な映画の主題歌になってくれる楽曲たちの話をしたい気分です。
①ノンフィクションの日々に捧ぐ/the quiet room
取り留めのない日常に色彩を与えるクワルーの魅力が存分に発揮されていると思っています。個人的にクワルーの中で一番好きな曲だし、もっと言うと僕がこれまでに出会ったすべての楽曲の中でも上位に位置するほど、僕が日常的に縋っている一曲です。携帯のアラームを停止にできず何回もスヌーズを繰り返しながら一日が始まり、誰かの感情を揺さぶるようなドラマは描けないまま、ただ他人の動向を傍観しては羨望するか嘲笑するかの二択しか取れない自堕落な毎日に厭気が射していながらも、そんな毎日に”ほんの少しでもいいから意味がありますように”と弱気な願いを掛けて、他方では”あたしらしく胸を張って生きてきた あんたなんかに何がわかるの?”と少し強がって見せる。強気なふりをしてもどこか不安で押し潰されそうな弱さが見え隠れする不安定な感覚はどの部分を取っても僕の生活をそのまま描いているみたい。間違いなく、僕自身が生きる”ノンフィクションの日々”の主題歌と言うべき一曲です。
②猫の背/Saucy Dog
"誰のヒーローにもなれやしない"と思い続けるすべてのリスナーに寄り添い、”ずっと前だけを向いてなくていい”とそんな現状を肯定しつつ一歩踏み出すための原動力を与えてくれる歌。前向きな生き方を忘れて羨望とか劣等感とかばかり覚えてしまった僕みたいな人間のどうでもいい感覚の機微を、石原慎也は何故か誰よりもわかってくれる。やっぱりSaucy Dogの好きな所はこういう所なのよ。何一つとして変われないまま繰り返す平凡な毎日に”このままの僕じゃいられないよな”と歌い、最後には”繰り返すだけの毎日なら要らない 変わりたい”と、ほんの少しでも明日へ踏み出す勇気を与えてくれる。どうせ変わらない毎日だったとしても「大丈夫、変われるから」と言って優しく寄り添ってくれるこの曲は、サウシーらしく何一つキラキラしていないけど、何一つキラキラしていないからこそ、絶望の淵に沈む僕をいつも救い出してくれるのでしょう。
③月と旅人/ドラマストア
"君を主人公にする音楽"を掲げるドラマストアは、そのコンセプトに相応しく、どの楽曲も一人一人のリスナーを主人公に仕立て上げるのが一番の魅力です。「月と旅人」が描くのは壮大な旅なんかじゃなくて、退屈な日々を抜け出す為の行く宛のない”旅”。だから、全然煌びやかじゃない僕でも主人公でいさせてくれます。"遥か遠くを目指すフリしてとりあえず明日へ向かうのが僕らしくあることなんじゃない?"。格好つかなくてもこれくらい出鱈目な方が僕の身の丈には合っていて、主役にはなれないとしても飾らないそのままの自分でいさせてくれて。別にバンドもやってないし音楽的なことも何一つ分かっていない僕がこんなにもバンド音楽に執着してるのは、取り留めのない日常の”主題歌”と呼べる存在をを探し求めているからなのかもね。
④ アスター/KANA-BOON
”淡々と終わって明日には再上映 誰も観ないのに"のフレーズに象徴される通り、この曲もまた、主役になんかなれないまま訪れては消え去っていく毎日のリアルを描いた一曲です。希望なんて抱けないから自分より幸せな誰かを羨んで、自分に対しては"今日の不幸は眠れば消えるから"と嘯いて過ごす日々に、不満があるわけではないけど何となく納得していなくて。そんな憂いを溶かすかのように"夕暮れ染まったオレンジがかった風"だけがこんな自分に寄り添ってくれるんです。絶望の中の僅かな希望の光として夕暮れを描くのは「愛にまみれて」や「オレンジ」なんかにも通じるけど、やっぱり僕らは疲れ切った帰り道に夕暮れが綺麗だと何故か慰められたような気がして涙が溢れてくるように設計されているんだよね。
⑤赤を塗って/SUPER BEAVER
beaverの歌詞って「青い春」や「予感」みたいな、強く真っ直ぐでリスナーを引っ張ってくれるような安心感がある楽曲が多いと思っています。でも、「赤を塗って」が見せるのはそんな力強さではなく、寧ろ脆弱さの部分でしょう。
誰かを救うヒーローにも悲劇のヒロインにもなれない平凡な毎日に感じる物足りなさを嘆くようにして綴られるこの曲。歌い出しから"泣きたい時にいつだって夕暮れ時だとは限らない"と、主人公に相応しい演出なんて用意されないことへの寂しさを曝け出しています。特に刺さるのは中盤の"幸せじゃないけど不幸でもない 実は今に浸っている"というフレーズ。何と言うか、完全に僕そのものです。そうだよね、別に不幸なわけじゃないし。現状に満足していないようなことばかり言ってるけど、実際そこまでの不満はないし、寧ろ案外今が好きだったりする。それなのに自分勝手に叶うはずもない期待を寄せては叶わずに涙を浮かべる日々。そんな日々を描いた上での”笑えてるうちはまだこっちのもんだ”という少しだけ前向きなフレーズは、同じように主人公にはなれないと思っている僕の味方でいてくれているような気がしてくるのです。
⑥Simple/sumika
この曲を聴く度にいつも、僕の報われない"今"が肯定されたような気がしています。実際には"報われない"とか言うほど悲惨な境遇なわけでもないし、報われるに値するだけの努力をしてきたかと言われると、自信を持ってそう答えられるほどの努力には及んではいないとは思っています。こんな有様なのに救いを求めてしまうけど、そんな僕にも救いの曲を与えてくれるのがsumikaという存在です。「Simple」は朝の拭えない憂鬱も、陽が落ちるにつれて募る不安や後悔も全部溶かしてくれます。”あっと驚くような事件は今日も起こんない”けど、”コーヒーが今日も美味しい事”くらいの微量だけど確かな幸せの欠片は見渡せば意外と近くに点在していて。だからこそ報われない今もひっくるめて”無駄を愛そう”と歌う。無駄を愛すること。追い求めていた理想はずっと遠くても、この一瞬がちゃんとその理想に繋がっているから。片岡さんらしい、ささやかで優しいメッセージです。
⑦翠/My Hair is Bad
マイヘアは過去を引き摺るバンドであり、同時に”今”と徹底して向き合うバンドでもあります。この曲は”今”を生きる自分自身を”主役”として描き、傷つきながらも自分だけの”今”を生きることへの決意表明を歌っています。マイヘアは文句なしでかっこいいけど、この曲はマイヘアの曲の中でもトップクラスに歌詞がかっこいい。”楽に考える秘訣は考えないってことさ” ”幸せに飽きないように不幸せも食べるのさ” "なりたいになれなくたって なりたくないだけにはならないでいたい" "タイムマシンに乗れたって またやり直したって 結末はきっと変わらないから”と、随所にソングライター椎木知仁の哲学が全開に映し出されていて、今を生きる自分自身を”主役”として迎え入れてやる為の指南書のような曲だと思っています。
⑧僕だけの為の歌/シンガーズハイ
シンガーズハイに出会ったきっかけはYouTubeで偶然見つけたこの曲だったけど、初めてこの曲を聴いた時の衝撃は未だに忘れられないな。最初に聴いた時からクリープハイプ(特にメジャーデビュー前後くらいのクリープ)に近い何かを感じていました。
そんなことはさておき、内山ショートがこの曲の中で描こうとしている"漠然とした孤独感"のようなものはきっと、僕が日常的に抱いている感覚に近いのではないかと考えています。誰の目にも留まらず淡々と1日1日をやり過ごし、取り残されるような感覚に囚われて、それでも"どうしようもない僕だけの為に歌いたい歌があるから"と言葉を綴る。孤独と絶望に囚われた自分自身を救う為に書き下ろす歌は当然、同じように囚われの身となったリスナーにとっての救いにもなるはずです。
⑨病んでるくらいがちょうどいいね/This is Last
過去の話になりますが、自分が生きる毎日はクワルーの「ノンフィクションの日々に捧ぐ」がオープニングで、ラストの「病んでるくらいがちょうどいいね」がエンディングの映画なんだ、と本気で思い込もうとしていた時期が2ヶ月間くらいありました。いや、本当の話だよ。でもそれくらい、当時の僕の現状に寄り添ってくれる楽曲でした。
この曲に出会ったのは受験期真っただ中の10月くらい。志望校と自分の学力との距離が現実味を纏って見え始め、思うように学力が伸びないけど誰のせいでもなくどう考えても自分のせいで、自分で決めたことすら妥協しそうになる自分が嫌いで…。自暴自棄って程じゃないけどずっと軽く病んでる感じでした。そんな時に出会ったこの曲は、今の僕の為に書き下ろされたんじゃないかって思えるくらい、僕の精神状態に綺麗に突き刺さってくれました。”病んでるくらいがちょうどいいね”。言葉だけ見ると単純だけど、そう簡単な話じゃない。この曲が刺さるのは、This is Lastというバンドが常に日々の生活と性愛の中でマイナスな感情を歌にするバンドだからです。この曲がアルバム「別に、どうでもいい、知らない」の最後に収録されているのも、救いのない日常ばかりを歌う彼らが、そんな日常を肯定してやる為なんじゃないかなと思っています。
⑩二十九、三十/クリープハイプ
先日行われたアリーナツアー「本当なんてぶっ飛ばしてよ」で、"普通の人が普通の日常を生きる為の歌"として一番最後に披露されたのがこの「二十九、三十」でした。今思い出しても泣けてしまう。あの日だけじゃない。僕の人生のどんなフェーズを思い返しても、この曲に救われ続けています。
報われる"いつか"が来るなんて思っていないし、どうせまた明日も今日と同じように無意味で無彩色な一日を迎え入れるだけ。そんな絶望であふれる現状であっても、その絶望さえも引き連れて少しずつ前に進んでいけばいい。「二十九、三十」は祐介が、祐介自身と同じように思い悩む全ての人の背中をそっと押してあげる為の、まっすぐじゃないけど祐介なりの応援ソング。祐介が三十歳になるにあたって、自分自身と自分と同世代の人に向けて書き下ろした楽曲ではあるけど、世代なんか関係なく、多くの人がこの曲に救われて今日も生きている。そのうちの一人がきっと、僕だったんだろうね。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?