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映画『バルタザールどこへ行く』ロベール・ブレッソン監督

映画『バルタザールどこへ行く』1966年・フランス、スウェーデン/ロベール・ブレッソン監督

ロバと少女が織り成す残酷な物語
あるいは、寓話と呼ぶべきか──

あらすじ
非情な男たちの悪意に傷つけられる若い女性マリーと彼女の愛するロバの数奇な運命を描いた異色作。構想は、ドストエフスキーの長編小説『白痴』のある挿話から得た。原題では韻を踏む題名『オ・アザール(あてどなく)バルタザール』は、新約聖書に出てくる三博士の一人バルタザール王の末裔と称する中世に権勢をふるったレ・ボー家領主の銘に由来する。

ブレッソン自らが本作の台本を書き下ろした。
本作を見終わって、わたしは一冊の絵本が頭から離れなかった。
『くろうまブランキー』
伊東三郎・再話/堀内誠一・絵、1967年、福音館書店
黒馬のブランキーは、主人の家をつくるために一生懸命働くが小屋も作ってもらえない。やがて年とったブランキーは、主人に力いっぱいたたかれて、道に倒れてしまう。その晩、サンタクロースが天からおりてきて、しずかにその首をなでると……。フランスのフレネ学校の共同創作を原作とした、静かなクリスマス絵本。
人間による理不尽であり残酷な仕打ち。それとは反対に馬の無垢で純粋な姿。
わたしたち人間が持ち合わす感情というものは、動物である馬にだったあるはずだ。ならば、人同様、もしくはそれ以上に馬をも労り、尊厳というものを与えるべきである。
そう、読者である子どもや大人に、痛切に思わせる物語である。

ブレッソンはカトリック教徒として知られていたらしい。
だが、本作が上記に述べた絵本同様に、宗教的なものを込めた物語だと断言することはできない。観る者によって様々な解釈を齎すのが、本作の魅力でもあるのだと思うが、見終わった時に胸に残る苦々しくて、虚とも呼べる感情は、どこからくるのだろうかとわたしは考えてしまう。

本作は少女とロバ、二つの視点で描かれている。
両者とも、周囲に翻弄され、数奇な運命を辿ることになる。
ブレッソンは、少女とロバに何を託し、何を表現したかったのだろう。
これだけの残酷なものを描くということにおいて、エンターテイメントとして以外の意図というもの、あるいは背景的なものが必ず存在するのではないかと観る側は想像してしまう。

ラストのシーン。ロバは誰かが放ったピストルの弾丸が命中し、座りこんで動かなくなる。そこは高原で、多くの羊が取り囲み、無数のベルの音が鳴らされている。人間の姿はなく、動物である無数の羊、そしてロバしか映されていない。騒然とした情景のなか、ロバは静かに息を引き取ることになる。
シューベルトのピアノ・ソナタが始まり、物語は終わりを告げる。
本作のラストに流れるピアノのメロディはとても美しい。けれど、明るさや肯定的な方向を示すメロディではない。誰が聴いてもそう思うはず。
ほんとうに悲しさでしかない何らかの不条理を感じさせる音楽だ。それは、この映画をどのように魅せたいかを表しているのだと、わたしは思った。

筆者:北島李の

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