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箱庭の僕ら 3話

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善とヒカルの箱庭


【光の話】

「やめて!やめて!」小学校の4、5年の頃か、俺があいつにシャツを剥ぎ取られそうになっている時、家のインターフォンが鳴った。ピタッとあいつの動きが止まり、耳を澄ませる。もう一度チャイムが鳴った。
 
外から
「こんばんは、近所に住む水元と言います」
と子どもの声がした。あいつは戸惑った様子で俺を放すと、
「はい…」
と低く言って、玄関に行き扉を開けた。ドアの横には鏡があって、奥の部屋にいても扉越しに客人の顔が見える。そこに写っていたのは、近所の同級生、知った顔だった。ネクタイを締め、スーツを着ている。え?どうして?なんであいつがうちに?言葉を交わしたことは記憶の中では一度も無い。

隣のクラスの人気者で、いわゆる陽キャ、とても目立つ子だ。確か名前は水元善という。動かずにじっと耳を澄ましていると、少し高い良く通る声で仏頂面したあいつに何やら懸命に話しかけている。まるでセールスマンみたいに流暢な敬語だ。

「お忙しいところ、申し訳ありません。僕は近所に住む水元という者です。今日は奉仕活動で一件一件のお宅を回っています。このような生活に役立つ雑誌をお渡ししています。今回は””児童虐待、何故起こるのか?どうしたら避けられるか””という内容です。大切なご家族を守るため、役に立つ内容となっています。よろしかったら差し上げていますので、是非お読みください。」
あいつは呆気に取られ、善が差し出した雑誌とやらを手に取った。そりゃそうだ、今まさに””児童を虐待””しようとしてたんだから。
 
良くみると善の父親らしき男性が、後ろでニコニコしながら立っていた。「ありがとうございます。では失礼いたします。」
善はそう言って、ぴょこっとお辞儀をしたあと、ドアを静かに閉めた。善が扉を閉めると同時に、俺は2階に駆け上がり自室に入り急いで鍵をかけた。「助かったー」
あいつは、追ってくる様子もなく階下にいるようだった。思うところがあったのか。
「はぁ、とにかく助かった。水元善のおかげだ。しかし児童虐待だってさ。ははっ!ははははっ!笑いが止まらないわ!」
俺は笑いながら泣いた。
 「もうすぐ母さんが帰ってくる、そうしたらとりあえず今日はゆっくり眠れるだろう。僕も大概惨めだけど、善もあんなことを親にさせられて…あれはあれで厳しいだろうな」 
 ちょっと善を気の毒に思った。

新興宗教は終末思想、ハルマゲドンを信じているものも多い

【善の話】

光と一緒にいられる残りの日々を考えると、俺の心は深く沈んだ。自分の部屋のベットに寝転がって、光が書いてくれた絵を眺めた。裸足で歩いていた光に靴を貸した時、お礼でもらったあの絵だ。

 目隠しを取った五条悟が書いてある。長いまつげに青い目、銀髪の髪。この絵を見ていると、力が湧いてくる気がした。まだ気が付いていない強大な力がもし自分にあったら・・・・この箱庭から出ていけるのに。

 この絵は、あれから俺の宝物になった。堅いプラスチックの透明なファイルをわざわざを買ってきた。いつも大切に本棚の中に挟みこんで、落ち込んだりすると、この絵を見て光を思った。そんな風に光を思うことを、俺は「特別な友情」だと位置づけていた。
 実際、自分のこの感情が何なのかわからなかった。いや、心の奥底ではわかっていたけど、恐ろしすぎてとても認められなかったんだ。
 
俺の両親は、終末論を信じるキリスト系の新興宗教組織の一員だ。生活のすべてが教義によって支配されている。
そして同性を愛することは大罪なのだ。神は昔、同性愛者がたくさん住んでいた、””ソドムとゴモラ””という街を天からの火で焼き尽くした。やがて来る終末、同性愛者を含む老若男女の””罪の人””たちが、叫びながら地割れに落ちていく様子が書いてある絵本を、赤ん坊の頃から読み聞かせされて育ったのが俺だ。
光は男だ、そして教団の人間じゃない””罪の人””だ。そいつを好きになるなんて、自分にとってはあり得なかった。そして光への気持ちを友情にすり替えた。ずっと自分の気持ちには怖くて向き合えなかった。ただ光に毎日会えるだけで満足だった。自分の気持ちをいよいよごまかせなくなったのは、それからしばらくたってからだった。

ある日、俺は光の絵を机の上に置いたまま””奉仕活動””に行ってしまった。帰ってくると、光の絵を挟むためにわざわざ買ったプラスチックのファイルに、教団のパンフレットが挟まっていた。それはこれ見よがしに、机の上に真っ直ぐに置かれていた。俺は嫌な予感がした。パンフレットの間や机の下、本棚の間を探してみても、光の絵は見つからない。
まさか、とゴミ箱に目を向けると、そこにはビリビリに破られ丸められた光の絵があった。俺はとっさにゴミ箱をひっくり返して、破られた欠片のシワをひとつひとつ伸ばしながら、なんとか元に戻らないか祈るような気持ちで懸命に手を動かしたが、戻るわけがないのはすぐに理解出来た。頭の中が真っ白になり、自然と涙があとからあとから零れ落ちた。

次第に、言いようのないドロドロしたものが胸に浮かんできて、ドドドドッと階下に降りていき母親に言った。
「なんで僕の絵を勝手に捨てたんだ!」
母親は悪びれた様子も見せず、
「あの絵はふさわしくないから捨てておいたのよ。あんなの取っておいたら、悪魔が取り憑くわ。あのファイルは紹介パンフレットを入れるのにちょうどいいわよ」
と言ってニコニコして俺を見た。話が通じない。まるで汚いものを処分してやったみたいな表情で、俺の…俺の大切な光の絵を捨てた!

これは、捨てられても仕方ないのか?こんな風に思う俺が悪いのか?急にすべてが冷めたように、心と体が無感覚になった。俺はスマホだけを持って家を飛び出した。走って走ってどこか遠くへ。走りながらスマホを手に取り、今まで一度もしたことのない光へコールした。すぐに光が出た。
「善?…めずらしいな、どうした?」
「ひかるか?今出てこれる?いつもの公園で待ってる」
光は、俺が初めてかけた電話に何か察したようだった。
「…善、泣いてるの?わかった、すぐ行くよ」
俺は高台の公園まで走った。心は不思議と平らで静かだ。と言うか何も感じない。でもなぜか涙が次から次へと流れ落ちる。
「は?なんで俺泣いてんの?」
右上から別の俺が、俺を見ながらそう言った。高台の公園は、神社に続く並木道沿いにある。今日は地元の夏祭りが開かれているようで、浴衣姿の人たちが神社に向かって歩いている。屋台も出てるらしい。録音の祭り囃子が少しうるさい。夏祭りをこんなに近くで見たのは初めてだな・・・とぼーっと考える。

俺が公園に着いたら、光はもう来ていた。自転車がそばに置いてある。
「ひかる!」
振り向いた光の顔は、祭りの提灯の薄明かりに照らされて、とても美しかった。突然感情がぶわっと吹き出した。涙が次から次へと流れる。
背中で息をしながら光に歩み寄り、襟元を両手で掴み泣きながら叫んだ。「ひかるの!ひかるの絵を!破かれて捨てられた。俺のために光が書いてくれたあの絵を、親がバラバラにしてゴミに捨てた!」
俺は大声で泣き叫んだけど、祭り囃子が掻き消してくれた。
光は驚いた様子だったが、俺の頭を抱きしめポンポンとなでた。光は俺が落ち着くのを待ってから、
「絵って?前に俺があげたあの絵?まだ持っててくれたの?うれしい」そ
ういって微笑んだ。
「だから、その大切な絵を破られた。もう…無いんだ、ごめん、ごめん」
光は泣きじゃくる俺の顔を、自分のTシャツの裾でふいた。
「大丈夫、大丈夫だよ、俺はここにいるよ、またいくらでも書くよ、善の為ならなんだってするよ、俺は」
「でももうすぐお前はいなくなる、そうしたらもう会えない」
「大丈夫、休みには帰ってくるよ。そうしたら、またこうやって会えるよ」

俺は、離れたらもう会えないことはわかっていた。俺と光の道は別たれてる。こんなに美しく愛おしい光も所詮、””罪の人””なのだ。
光の瞳は、祭りの灯りに照らされてキラキラ光っていた。きれいだ…俺は光の頬に片手を当てた。愛おしく切ない気持ち、初めて経験する不思議な感覚だった。もう片方の手を光の頭に当て引き寄せた。光の頬に唇を当てた。

光はビクッとして、腕を突っ張っらせた。
「ごめん!」
俺はあわてた。
「大丈夫だよ」
光はゆっくりと伏せた瞼を上げ、僕を見た。そして俺の肩を掴み、俺の頬に自分の頬を寄せた。光に触れた唇と頬が熱を持ったように熱い。心臓が早鐘を打ち、顔から湯気が出てる気分だ。これは何だ、この気持ちと体感はいったい何?俺は動揺した。光と繋いだ両手をあわてて離す。俺は急に正気に戻ったみたいに恥ずかしくなって下を向いた。


「善、落ち着いた?…屋台回ってみない?」
光が下から覗き込むように俺の顔を見た。
「あぁ、おぉぅ…」
まともに光の顔が見られない。なんか格好悪いな。
公園を出て、遊歩道を2人で歩く。街路樹には町内会の提灯がかけられ、両側には屋台が並んでいる。
「なんか食べる?」
「いや、俺金持ってきてねーから」
「いいよ、今日はおごるよ。次は善がおごって」
「お、おぅ」
「あー、フランクフルトうまそー、善は?」
「じゃあ、俺は唐揚げ串」
2人で並んで歩きながら食べた。光はとても楽しそうだった。俺はさっき号泣したのに、光に感じる不思議な気持ちに戸惑って、酔いから今さっき覚めたみたいな感じでフワフワしている。
光がフランクフルトを食べる口元を見て、なぜかドキドキしたりして、俺は…いったい…いったいどうしちまったんだろう?

初めて身近で見た夏祭りは新鮮で、まるで夢の中のようだった。祭り囃子が響きわたり、色とりどりの品物が並ぶ屋台や、楽しげな浴衣姿の子どもたちが、ピカピカ7色に光るオモチャを持って走り回っている。
隣りには、微笑んでいる美しい光がいる。この世界はこんなにも色彩に溢れているんだ。五感がすべて開いて、全力でこの世界を吸収しようとしている自分がいた。

2人でしばらく歩くと屋台が無くなり、神社が見える。灯籠には明かりが灯り、大きな木にはしめ縄が付けられている。真っ赤に染まった鳥居を見て、俺はハッとして我に返る。首筋に冷や汗が伝った。
俺はキリスト教の宗教二世だから、俺がここに居ていいはずが無いんだ。夏祭りは、日本の神事だ。俺は自分の宗教の神以外に祈りを捧げることは出来ない、近づくことも許されない人間なんだ。光とこの鳥居をくぐることは出来ない。

急に真顔になり歩を止めた俺を見て、
「善、大丈夫?お参りしていく?」
と言ったが、それと同時に俺はポケットの中の携帯が震えているのに気がついた。
取り出してみると、””母さん 不在着信18件 LINE未読12件””と表示されている。俺は血の気が引いた。そうだ、””罪の人””と神社の祭りに来ているなんて、両親にバレたらどんなことになるか!家から追い出されて、親子の縁を切られてしまう。そんなことになったら、生きていけない!顔面蒼白になった俺を見て光は
「善、親から?大丈夫?」
と言った。
俺はすっかり我に返り、この夢見心地のひとときを無かったことにしなくてはならない悲しみを感じた。
「光、ごめん俺帰るわ。今日は来てくれてありがとう。嬉しかった。この借りはいつか必ず返すから」
と真顔で伝えた。
光は何も聞かずに、
「わかった、気をつけて帰れよ、またな」
と言ってニコッと笑い右手を挙げた。
俺は鳥居の前で踵を返し走り出した。早くこの祭り囃子が聞こえない所まで行かなくては!俺は””普通””でいてはいけないんだ!


【光の話】

善から突然電話が来た。こんなことは初めてだ。善は泣いていた。何かあったのか?俺らは、放課後に登下校以外で遊んだことは1度もない。

前に俺がクソ親に襲われそうになった時、ちょうど善が「奉仕活動」でうちに来て、救われたんだ。
善が置いていった雑誌を色々調べて、善の家族が、とある新興宗教組織に入信しているのを知った。テレビで報道されてたし、YouTubeでも見たことある。輸血をしないで死を選ぶカルトと言われていた。
俺は、善が自分から望んでやっているのか、親にやらされているのかわからなかったけど、善がとても苦しんでいるように見えた。

学校にいる時の善は天真爛漫で、面白くて明るくて、みんなの人気者だが、「奉仕活動」とやらでうちに来た善は、人形のように張り付いた笑顔をしていた。
俺は、来年の春にはこの牢屋のような小さな家から出て行ける。クソな父親ヅラしたヤツとはおさらばだ。善はどうなんだろう、善は自由に生きていけるのだろうか。そんなことを考えながら、俺は急いで高台の公園に向かった。

【善の話】


母親が、帰ってきた俺を見てうるさく騒ぐ。
「どこに行ってたの?なぜ黙って出掛けたの?誰と会ってたの?女の子と二人きりだったんじゃないでしょうね!?」
「違うよ!!」
所詮、俺は箱庭の中の住人だ。自由に動けるわけがねぇ。俺は自分の部屋に入って鍵をかけた。鍵を付けたのはせめてもの反抗だ。母親は部屋の前まで来て、ドンドンと扉を叩いている。
「何をしたかわかってるの?神さまがお許しになるはずないわ!!」
親は、俺が悪いことをした前提でいつも決めつける。面倒だから、いつも親の前では、親が気に入る自分を演じている。純真無垢で優等生の””僕””だ。

でも最近はなかなかうまくコントロールできない。これは、光に惹かれているからだ。恋なのか愛なのか、ただ友達として好きなのか良くわからないけど、今まで軽くいなしていた親に本気でイラつくほど俺は切羽詰まっていた。
ベッドに飛び込んで横になる。机の上には、もう戻らない破られた光の絵の破片が並べられている。ドアの外は煩かったが、意識はあの夏祭りの公園に飛んでいた。光を抱き寄せた時の体温と、触れた唇と頬の熱さだけが思い出されて、俺は身もだえた。
いつの間にかドアの前にいた母親は諦めたようで、部屋は静かになっていた。俺は、今まで避けていた自分の気持ちと向き合っていた。この気持ちは何だろう?ザワザワと胸が騒ぐ。こんな感情は初めてだ。誰かを思ってこんな風になったことはない。光を抱き寄せた時のことを思い出すだけで、胸のあたりがギュンと跳ねる。
光に会いたいのか?…会いたい。光に触れたいのか?…触れたい、抱き締めたい!狂おしいほどに!
これは…友情なのか?恋なのか?
もし、同性愛だとしたら、この気持ちは封印しなくてはならない。光は愛してはならない人だ。この思いが決して表に出てこないように、誰にも悟られないように抑え込んで、フタをしなければならない。
同性を好きになることは、汚れ、嫌悪すべきもの、神の裁きに合うと幼い頃から繰り返し教えられた。同性愛がどんなものかわからない時から。俺のこの光への気持ちは、間違っている!絶対に好きになってはならない相手なんだ。胸の奥で何かが泣いている気がしたが、その小さな声に気が付くのはまだまだ先だった。
俺の光への愛おしい気持ちは、箱庭に閉じ込められたまま、蓋をして鍵をかけられた。

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