3分掌編『人情の居どころ』

闇夜からすうと蜘蛛の糸が垂れてきた。

じゃくまくと打ち捨てられた暗い田端を歩いている時のことだった。

何故こんなところを歩いていたのか、とんと記憶になかった。

ただ妻子との夕餉の円居《まどい》で卒倒して、それっきり何も覚えていなかった。

なぜ闇夜から蜘蛛の糸が垂れてきたのは、俺には何も分からない。だがこの糸はずっと上辺まで続いているような気がする

腕を伸ばしてなるべく上辺をつかんでみる。引っ張ってみると身体は楽にぶら下がった。

今度は足はどうだろうか。いや、これもいい塩梅に引っ掛けられるぞ。蜘蛛の糸が身体の重しを全部ぶら下げてくれる。まるであんまを受けた心地だ。このまま一息駆け上がってみよう。

ずんずん登っていける。こんなにいいあんまは初めてだ。

身体の重さを蜘蛛の糸が全て引き受けてくれる。

思えば、身体を持つと言うことは、その分の重量を引き受けているのと同じことなのだろう。

だがこうして自在になった今となっては、存在する為に必要な重量は、なんて重いものだったんだんだろうと思う。

通りで親父がくびを括って死んだわけだ。

自殺する前、親父は身体の重さに耐えきれなくなった様にうな垂れていた。

梁から下ろしてから、火葬場で焼いた親父の白んで痩せた姿を見たとき、初めて親父が楽になったように見えたのを思い出した。

死ぬ間際になると、親父はいつも俺に言っていた。「所詮みんな獅子が餌食を食うところを盗撮したしたり顔で自然の摂理を目撃した気でいるのさ。そうして生活とやらに戻っていくんだ。俺は獅子を盗撮する自分とやらが嫌で嫌で仕方がなかった。いっそ餌食になって、食われてしまった方が良かった」と。
餌食になる代わりに親父はくびに縄を巻き込んだ。

親父の言っていることは良く分からなかったが、俺は親父が死んでからというものもの影に怯えるようになっていた。幼時、俺を強い拳で打擲《ちょうちゃく》した親父が、またひょっと現れてくるような気がしていたのだ。

もの影、影、タンスの影、椅子の影、妻子の影、そして自分の影。

いつも足下につきまとってくる自分の影が嫌だった。なんで俺につきまとってくるんだと小さい頃から泣き叫びたい気持ちで生きてきた。

「いっそお前が俺が俺に代われ!その方が形ない姿で俺に付きまとうよりマシというものじゃないのか!」と影に言っても、同じ言葉が返ってくるばかり。

お前が俺に付きまとうのか、それとも俺がお前に付きまとうのか。

美しいアゲハ蝶の死骸があった。こんなアゲハ蝶でも死ななければならないのか。摂理とはなんと残酷なのか!だが俺も摂理の中で生きているはずじゃないのか。

そんな風に摂理を見る俺はどこにいる。
親父はいつも怯えていた。俺の眼ざしも摂理の一部なら、目の前にある摂理はなんなのか?俺の勘定によれば俺の眼ざしの分だけ目の前の摂理は居なくなるはずだった。だが眼ざしも自然の口座に入ってる。だとしたら自然と同じだけ眼ざしも減る。そうしてまた自然も減って、最後に残ったのが俺の世界だ。だが、それは一体なんというんだ!
子守唄のように耳もとに残っている親父の言葉。子守唄はいつも俺に強い拳を伴って打ち付けた。俺はいつもそれに怯え、親父が死んだ後は親父の影に怯えている。さあ、気がつけば蜘蛛の糸の天辺《てっぺん》だ。

貪婪《どんらん》な巨大な蜘蛛が、紅い舌を叫び上げる親父の身体を糸でからげて、今まさに餌食にしようとうごめく口を赤くあけている。親父は必死に横目を見ていた。横目の先には俺がいる!まなこいっぱいに俺が映っている!

今更になって俺を見るのか!
お前の眼ざしは俺を見るためについているとでも言うのか!だが叫びたい気持ちを噛み締めた俺は、「お父さん」と一言声ひそめていた。その瞬間、蜘蛛の糸がぷっつりと切れる。餌食のすすり泣きが聞こえてくる。悪かった、悪かった、と泣きながら自分の境遇を受け入れている。
これが人情というのだろうか。ところで俺は闇に落ちていく。俺はどこにいくんだろう。一体どこにいくんだろう。

ずっと向こうの暗闇には、寺の大鐘を伏せたような、計り知れないほど巨大な山が、仄暗い輪郭を息ひそめて、やみよりも暗く浮かび上がっていた。


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