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つまり、そういうことだ⑭

では「もっとも、おまえを味わい尽くせる生き方」とは何だろう。
先述した、大歓喜というやつだ。
大歓喜とは「おまえ以外の人の歓喜を喚び起こすこと」と言った。
何故か。
存在が、「おまえ一人」という感覚器官から味わえる歓喜は、たかがしれているからだ。
おまえは、おまえの枠を超えて、おまえよりも大きなものを体感するときに、もっとも歓喜するようにつくられている。
言い換えれば、おまえは自分個人の都合より大きな目的のために、自分の都合を捨てて、自分を使用するとき、もっとも歓喜するようにつくられている。
小さなあぶくがはじけて合わさり、ひとつの大きなシャボン玉として膨れていくように。
存在は、その大きな歓喜を味わうために、おまえというアバターを通して、この世界で遊戯している。

おまえ以外の人も遊戯をしている存在だ。
その人に災難や試練を乗り越えクリアさせること、応援し「勝たせる」ことで、その人もおまえ自身もすべての体験を味わいきり、存在に大歓喜を感じさせることになる。
勘が良いおまえなら、見当がつくはずだ。

まとめると、おまえが体験し感じることすべては、存在にとっての歓喜。
どんなことが起ころうとも「まさに、それをやりに来た!」という、おもしろイベントなわけだが、とりわけその中でも歓喜のボルテージが上がるのが、苦しい歓喜を逆転する体験だ。
無理だと思っていた状況から、逆転して大成功した。
努力がある量に達した瞬間に、みんなが掌を返したように認めてくれるようになった。
じぶんには到底出来やしないと感じていたことをに挑戦し、成し遂げた。
こういうイベントクリアの瞬間に、ボルテージが上がる。
しかし、これをさらに上回る歓喜が大歓喜。先に伝えたとおり、「人を喜ばせること」だ。人とは、他者だ。他者を応援し、他者に尽くし、他者を勝たせ、他者のために死んでいくこと。

これが、存在の遊戯の最大の歓喜なのだ。
バーチャルのゲームのラスボスは魔王やドラゴンだが、存在の遊戯におけるラスボスは、ほかならぬ、おまえ自身だからだ。

(つづく)

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