まじめばか

私の通っていた中学校。特に私の学年はとても授業態度が真面目だった。割と中学生からみて怖い先生が力を持っていたのもあり、授業中の私語はほとんどない。寝ている人もいない。忘れ物も少ない。宿題も大抵の人がやってくる。風紀も良かったように記憶している。

中学校3年になり、高校に進学するタイミング。みんなの志望校とその人数がわかるタイミングで私は驚いた。私の学区では公立のE高校という学区の成績最低校があったのだが、そこに学年120人中最多人数の25人が志望したことがわかったからだ。 E高校は偏差値で言うと30くらい。最初の簡単な数問が書けたら合格と言われるくらい成績は悪いと言われていた。(かくいう私も成績は悪く、成績は学年半分あたりを彷徨っていた)

「みんなあんなに静かに授業を聞いていたのに、何故?」「真面目にやってたやん?!」衝撃しかなかった。教師たちが生徒に合格確率が高い安全路線を求め、挑戦をさせない進路指導方針だったのかもしれない。E高校は自分たちの学区で一番近い高校でもあった。とはいえそれを差し引いても厳然たる成績最低高校であり、同学年で最も多くの人数が志願する状況は異常だと思った。

生徒自身が悪い部分もあるが、先生の罪も大きいだろう。毎日6時間真面目に生徒を座らせているのに、成績を上げる授業ができていないという事。成績を上げる、授業の内容を生徒に理解させる。これが全てではないにせよ、先生の主な役割でなくて何なのか?一般社会なら最低の査定になるであろう。

事実、私も中学校では成績がそこそこ平均並みと思っていたが、高校に入り他地域から来た「学年平均レベル」の子たちと歴然たるレベルの差を感じた。「お前、成績良かったんちゃうん?」私が聞く

「いや、下から数えたほうが早いで!」「そんなに真面目に勉強してなかったなぁ」……地域の差だった。自分の通っていた中学校の学力レベルが低かったことに外に出てやっと気付いた。

ここから私に芽生えた信念は、「真面目=成果」ではないということ。真面目に座っていること、指導者(先生)の意見を鵜呑みにして聞くことが良いことではない。

サラリーマンで言うと、「会社に真面目に行く、上司の言うことを聞く=成果に直結」ではない。

何が問題なのか?どうすれば求める結果が得られるのか?イメージをフルに使い、ときに不真面目に、ときに真剣に自分でどんどんトライする。失敗しても凹まない。これが人生を楽しむコツだろうし、成果につながるアプローチなのだと思う。

こうも思う。極論になるが真面目は時としてバカと同じである。真面目は思考停止の一種だと。

大人と言われる年齢にあるが、時にふざけ、時に不真面目に、好きなように生きていたいと思う。

#バカ真面目 #成果 #学校 #学習 #成功脳

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