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ある密かな恋⑤


↑前編(ある密かな恋④)はこちら↑


団地のエレベータ

マナと僕は同じ公営団地に住んでいた。

公営団地が並んだ下町に住んでいたが、住んでいる棟も同じ。
比較的高層の公営団地で、エレベータがあった。
だからマナと下校時などにエレベータで一緒に乗り合わすことがあった。僕が7階。マナが8階だ。

かけひき


小学校からの帰り道。マナが先に下校していて、僕の前に居たら気づかぬように歩みを早める。

逆に僕が先に通学路を下校していて、後ろにちらりとマナが見えたら、道から死角になるところでノロノロ歩きをして。

このようにマナを下校の時に見つけたら、同じタイミングで、住んでいる団地のエレベータに乗り合わせられるように頭をフル回転させた。

この時間が期待と緊張で最も胸が高鳴る、ワクワクする瞬間だった。
心臓は早鐘のように高鳴る。その時を今か今かと待ちわびる。

至福の1分間


エレベータホールで2人で待つ時間。
乗車してからの時間。
そこまで頭を巡らせ、胸の鼓動を感じながら苦心して作った2人の時間は数十秒となかったと思うのだが、まさに至福の時間であった。 
一瞬のものに感じ、会話でマナが笑顔になると胸が一杯になった。
なにかマナと少しでも会話できたら、まるで有名人に触れたかのように嬉しかったし、とにかくエレベータから降りるのが名残惜しかった。 

先に僕の住む7階にエレベータが着くと、マナは明るい声で「バイバイ」と言ってくれた。
その眩しさに僕は半身だけを返して答える。
本当はずっとマナを見つめていたいのだが、照れてすぐに背中を向けてしまう。

「情けない」
自分の臆病さがこのうえなく憎かった。

7階から1階あがり、8階でマナが降り帰っていく足音を聞き、家へと歩みを進めた。
彼女の足音さえも愛おしくなるくらいだった。
もっと彼女と共にいたかった。
彼女と少しでも接点を持つことがこの上なく嬉しくて、気持ちが高鳴って仕方がなかったのだ。

まぁ中々2人きりで乗る機会は相当貴重で、他の人が乗ってくることも多かったが。 
2人きりで乗れた時は、その幸運に有頂天になった。

気遣いにも惚れて

エレベータで、彼女は人が入ってくるとボタンを長押しして待ち、「何階ですか?」と聞きボタンを押してあげる。
人がたくさん入ってくると、開ボタンを押してあげたり、他の人に挨拶をする。
そんなスマートな気遣いができるところも、自分の彼女へのあこがれを更に高めることとなった。

注釈を加えると、これがひそやかに彼女を追う僕の唯一の時間だった。
ストーカーという概念ができ、社会問題にもなった。好きな相手をしつこく追いかける。
ここまで好きだと、その状態に陥りかけたのでは。と思う読者もいるかもしれないが、そうはならなかった。

なぜならマナの美しさに見惚れ、絶対に傷つけたりしてはいけない。神聖なものに近い感情を抱いていたからである。
しかし。だからこそ。言葉はカタカナのようにぎこちなくなった。

宝物を前にして壊すのや汚すのを恐れて、触れるのが怖くなるのと似た感じで、自分の放つ言葉や行動で彼女を嫌な気分にさせるのがこの上なく嫌だった。
だから彼女の前ではこの上なく僕は臆病で、繊細になった。

本当は宝物に触れて、大事にしたい。
でも、僕からマナに対して実際にアウトプットされる言動はぎこちなく、彼女を喜ばすような、気持ちと力が乗ったものにはならなかった。

野球でいうと力ない三振。ポップフライ。のような。
自分の心身が言うことを聞いてくれない。操縦不能状態に陥ったのだ。

近くて限りなく遠いワンフロア

ワンフロアの差。団地の廊下は一本の通路として繋がっていたから、わざと用もないのに階段を上がりマナが住む号室の前を通り過ぎることもあった。

この中にマナが居るのか。遊びに行けないかな。入ってマナと一緒に過ごせないかな。という叶いっこない気持ちを連れて。

ワンフロア上のマナの部屋の中。
めちゃくちゃ物理的に近いのに、それは月に行くくらい遠く、現実に触れられないもののように思えた。

彼女は女友達からマナの一文字を取り、まーちゃん。と呼ばれていた。
もちろん僕は気安く彼女のことを呼び捨てやちゃん付けで呼ぶ勇気は出なかった。

一方で彼女は屈託のない笑顔で、僕のことを愛称で呼んでくる。
それが無性に嬉しかった。

ドレスアップ姿

あれは冬休み。正月の頃の季節だったと思うが、家族で外出をしようと7階からエレベータに乗ろうとしたとき。
扉が開くと、マナの家族が乗ってきた。

マナはおめかししていた。マナには妹がいたが、お揃いのコーディネート。
黒いコートにシニョン(お団子)スタイルの髪形で。
冬の冷たい空気に、少し紅潮した頬。
その時のマナの纏っているオーラには見とれてしまい、まともに直視できなかった。
挨拶をしたかどうかさえ覚えていない。

自分の親と弟とエレベータに乗った。僕の家族と、マナの家族あわせると7人がエレベータに乗ってる状態となった。
結構密な状態でマナがいつもに増して近く、ドキドキは一気に最高潮に達する。

家族に動揺。マナへの気持ちを悟られないよう取り繕うのにもう必死だ。
だがその意志に反して、自然と僕の顔は赤らみ、体温は上がって手汗が出た。コントロールできない。
自分のところだけ真夏のようになってしまった。
狭い空間で、目をそらせるのはかなり不自然だったと思う。

僕の住んでいた下町の公団住宅は、基本的に富裕層が住むところではなかった。
とはいえ、僕の思うマナの絶頂期の90年代の中盤はまだバブルの残り香からか、住んでいて貧困感を体感することはなかったと思う。

思い出補正もあるだろうが、そのマナの姿は令嬢のそれに近かったとさえ思う。

いまでもその記憶のマナの姿を見たいと思ってしまうほどである。

現在。スマホで動画や写真を気軽に思い出を残せる時代である。
しかし、当時そんなものはなくマナの姿は自分の記憶の中にあるだけ。

当時のマナの写真はほとんど手元にないのである。

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夏の思い出

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