今日考えたこと(人種差別)


前職で接客業をしていて、その時に思ったこと。

近くにゲストハウスなどあった影響もあり、お客さんの半分以上は外国人観光客が来る店で、私は英語を全然喋れないけどジェスチャーやつたない英語で頑張って接客していた。

ほとんどオーナーと私だけでまわしているようなお店だったので店番の日は基本的に1人だったのだが、その日どんなお客様が来たか、オーナーに報告することがよくあった。

お客様の会話から、フランス人だな、とか単語が聞き取りやすいから多分イギリスの人かな、とか、見た目と喋っている言語や実際の会話から判断することが大半だった。

でも、実際喋っている言語はそうだけど、見た目で判断するというのは、私は本当にそれでいいのか?と自分の中でめちゃくちゃモヤモヤしてた。

今はハッキリ言えるけど、絶対にやるべき判断方法ではなかったと反省してる。

特に、「黒人さん」と呼ばれる人達。

なぜ「黒人さん」と一括りにされてるのか。

「黒人さんが来た」と言えばそれはそうなのだが、わざわざ「白人さんが来た」「アジア系の人が来た」とは言わないのに、「黒人」は「黒人さん」と呼ばれることがやけに多くない?

というか、自分が「黄色人種さん」とか言われてたら単純にモヤるし嫌な感じする。と思った。

「黒人さん」て括り、範囲めちゃめちゃ広いじゃん。いや、肌の黒い人なんてどこの国にだっているじゃん。

日本の土産物も多く扱う店だったので、どこの国の人に何が売れているか、という統計は確かに大切だった。

でも、それに必要な情報は「肌の色」ではなく「言語」と実際の「会話」だけだった。

そういうこともあり、色んなところでたとえ良い話であっても「黒人さん」という言い方をされていると、私はひたすらモヤモヤ、ヒヤヒヤする。

最近はモヤモヤする言葉は曖昧に使わないように自分でも心がけてる。

私は純日本人だが、昔から「色が黒い」とか、ばりばりに文化部なのに「運動部でしょ?笑」とからかわれることがあってずっとそれがコンプレックスだった。(今は自分の肌の色好き)

接客していて「九州の人?」と聞かれて「いやもっと北の方です」というと「全然見えないね!笑」とお客様に言われたこともある。その人にとっては何気ない会話だろうけど、そう言われて私は嬉しいとも嫌だとも思わないし、ただひたすら「無駄な詮索」としか感じなかった。知ったところでなんなのか?という。反応に困った。

見た目だけで判断されるっていうのはそれくらい中身のない、意味のないことだ。

それに、「黒人」はまず扱われてきた歴史が違いすぎる。

Netflixの「Queereye」で、主要メンバーであるKaramoさんに対して、ゲストで警察官の一般人が「職務質問する」という悪ふざけをする回があった。Karamoさんはめちゃくちゃに悔しそうにカメラを前に怒っていた。奴隷として扱われてきた歴史も、実際にそれで無実で捕まっている肌の黒い人、殺された肌の黒い人がいるという事実があるから。

その姿を見て私は色々自分の発言や行動を見直さなければと思った。

無意識下で「黒人さん」と一括りにすることでなんでもどこか美談にしやすかったり、下に見て扱ってるんじゃないか?と思うことがTwitterなど見ていてよくある。

たとえば、美談として「今日知らない黒人さんに助けてもらった」と言ったとする。それは「今日知らない人に助けてもらった」ではだめなの?

「差別と言う方が差別」という言葉をよく聞くけど、差別をする人って大半が「無知」だったり「冗談」でやってる。

「悪気のない冗談」が一番当事者にとっての悪だと私は思っているので、そういうのは「差別と言った方が悪い」的な、「そっちが悪い」とかただ白黒つけたがってるようにしか聞こえない。

差別ってそういうことじゃなくて実際にそれで苦しんでるって事実がそこにあるってこと。

それを見たり聞いたりして、どう感じるかは自由だけど、個人で知識を蓄えて考えて意識していくことで、自分の中で整理して自分の中だけで白黒決めたら良いんじゃなかな〜。って思う。

「その人」のことをその人として見ることを大事にしていきたいな〜

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