仁丹塔

浅草にまた十二階が建つらしい。夕涼みがてらに見に行こうと、その日突然祖父の惣吉は当時七歳であった父惣一郎に云ったという。
十二階とはかつて明治大正期に同じ浅草に隆隆と聳え立ち、江戸川乱歩も『押繪と旅する男』の中で、

あれは一體、どこの魔法使ひが建てましたものか、實に途方もない變てこれんな代物でございましたよ。

と語り、大正十二年九月一日の関東大震災で崩壊した凌雲閣の通称である。惣一郎が見に行こうと云ったのはそれを模して建設途中の、後に「仁丹塔」と呼ばれる広告塔で、昭和七年にも一度建てられたのだが、戦時中、昭和十六年の「金属類回収令」の発令により翌年に解体された。それが戦後の今日に再建されると云うのである。
出来上がっても無いものを見に行ったって何が面白いものかと祖母は云ったが、惣吉は「女っつうもんはてんで浪漫ってえものが無え」と聞く耳を持たず、子供であった父にしてみれば黄昏時からの外出と云う高揚感と、惣吉の「晩飯は要らん。浅草で天麩羅でも食ってくる」の一言で凌雲閣でも仁丹塔でも、建設途中であろうが無かろうが如何でもよかった。然しながら祖母にしてみれば浪漫云々ではなく、「こんな時に外出なんて控えたらどうです」とその後に続いて出た言葉の方が真意であったようだ。
後に仁丹塔と呼ばれる建設中の物は、足場が組んであるだけで確かに面白いものではなかった。然し惣一郎は、その足場の裏側には夜の帳の降りるのを秘かに息を殺して身を潜めた怪人がいるような気がして、ひとり心を躍らせていたと云う。
「昭和二十年三月十日の真夜中の空襲でここいらはなんにも無え焼野っ原になっちまった」
建設中の仁丹塔を背にして浅草寺の方へ歩きながら惣吉は語る。空襲の前の浅草寺には立派な宝蔵門と本堂、そして五重塔があったらしく、惣一郎は想像もつかない仁丹塔よりもその五重塔の方が見たいと思ったそうだ。視えぬ五重塔を想像しながら歩く惣一郎の目に一本の巨木が目に入る。すかさず惣吉が言う。
「その空襲で焼け残ったのは浅草の駅のビルヂングとこの銀杏の木さ」
銀杏の木の幹には焼け焦げた跡が生生しく残っている。惣一郎の全身が粟立った。
忍び寄る夜闇に乗じて、焼け焦げた銀杏の木が後を付けて来ているような気がして、惣一郎は惣吉の手をひと際強く握り締めて石畳を歩いた。然し、瓢箪池の淵ある浅草楽天地の浅草宝塚劇場、この春に開場された浅草楽天地スポーツランドを眺めつつ、夜闇に抗う極彩色の看板が犇めく浅草六区の煌びやかな街並み、行き交う人並みに身を投じた時には惣一郎の心からは、そんな幻想は綺麗さっぱり消え失せた。それに、鍔広の帽子を被った洋服の女や、開襟シャツで扇子片手に歩く男、それについて行く着物の歩幅狭く歩く婦人など、通りを歩く人々を見ているだけでも浮立ち、着流しに何故かシャッポーを被った者とすれ違った時は何度も振り返り、堪らず声を出して笑ってしまった。更にはこの先にあるという安達ケ原、それが吉原花街に子供達を近づけさせまいがための大人達の誤魔化しであると当時の惣一郎にしてみれば知る由もなく、その恐ろしくも魅力的な名称がお化け屋敷のようなものを想像をさせ、胸が高鳴るのを抑えられなかった。。
「見てみろ惣一郎、何もかも焼いちまった空襲から十年足らずでこの様(さま)だ」
戦争、空襲など大人の話でしか聞かされていない惣一郎にも、未だに辻辻で偶に見掛ける身体のどこかが欠損した傷痍軍人の存在から、少少違う向きからではあるが、その悲惨さ恐ろしさは理解できていて、戦中、終戦直後の話を聞かされるたびに沈んだ気持ちになるけれども、その混乱から這い上がり、この町の賑わいを取り戻すまでを子供ながらにも思い描くと、何かしら力が湧いてくるような気がする。そんな心中を見透かしてではなかろうが、その時惣吉が呟いた。
――人間様は大したもんだ。
その一言が、惣一郎の頭の中にひと際大きく響いた。

すっかり陽が落ちても、浅草の喧騒は止む事がなく、むしろ昼間より増したように思える。さて腹も減ったし天麩羅でも食うか、と訊かれた惣一郎は大きく頷いたが、惣吉は事前に店を決めていた訳ではなかったようでまた暫く歩いた。通りから横に逸れた路地に「めし」「酒」とある赤提灯を見つけて、紺の生地に白抜きの文字で「天麩羅」と書かれた暖簾を潜った。店の端の二人用のテーブルに向かい合わせで陣取り、惣吉は、さあ好きなだけ食え、サイダーも飲めと言いながら、自分勝手に注文し、一級酒が運ばれてくると、早速ちびりちびりとやり始めた。惣一郎もサイダーを口に含み頬の裏側に蠢く奇妙な感覚を楽しんだ。
惣吉は畳屋を生業とする家の長男として生まれた。本好きの少年で、曾祖父に「本を読んでても飯は食えねえ。暇があるんなら包丁の一つでも研ぎやがれ」と何時も怒鳴られ、内心不満たらたらだが口にすればすぐさま鉄拳が飛んでくるので不承不承手伝っていた。暇さえあれば畳屋の仕事を覚えさせる曾祖父ではあったが、一度だけ件の凌雲閣へ連れて行ってくれた事があったと云う。惣吉にはその事がとても嬉しかったようで、凌雲閣の展望室からの眺めは殿様になった気分だったとか、凌雲閣は高村碎雨の「にほひ」や啄木の『一握の砂』にも出てくるのだとかと、惣一郎は物心ついた時から事あるごとに聞かされた。惣吉がその時の嬉しさをわが息子にも同じように味あわせてやりたいと思ったのか知らないが、今建てている十二階が出来たらまた連れてきてやる。展望室に上ろう。そん時は浅草のジェットコースターにも乗ってみるかなと、天麩羅を肴に呑む一級酒に赤らませた顔に満面の笑み浮かべながら語った。
青年になった惣吉は曾祖父と二人で畳屋を切盛りするようになる。やがて戦争が勃こり、兵隊となったが、幸いにも生きて敗戦を迎える。戦後の混乱の中で出来る事と云えば畳作りだけで、最初は鉄拳が厭で覚えさせられたものが、結局身を助ける事になり上野に畳屋を開いたのだと昔話に一区切りをつけた。戦後の復興と相俟って畳の注文も少なからず、この時もどこぞの屋敷の仕事が上がり、御祝儀も弾んでくれたらしい。やっと明るい時代がやって来たんだ、こんな時くらい楽しまねえとな、と呵呵大笑し、もっと食え、飲めと緊張気味の惣一郎を囃した。
天麩羅屋と云っても大衆食堂がうちは天麩羅しか置いてないよ、と謳っているような店である。畏まるような店ではないが、それでも外食などに慣れていない、それも七歳の子供には妙な緊張感を与える。そんな事など惣吉には解ろう筈もなく、海老をもっと取ってやろうか、掻揚はどうだと、惣一郎の返事も待たず自分の徳利も併せて注文する。
「お待ちどう」
追加の天麩羅と徳利を運んで来た女中に惣吉は「この辺も開けてない店が結構あるね」と声を掛ける。
「ええ私もね、旦那さんにお店開けるんですか、って聞いたんですよ。でも、うちのような店は開けてなんぼだ、心配ねえ大丈夫だ、って。あたしゃ怖くって怖くって。今日の夕方には品川や大田の海っ縁に避難命令が出されたって、さっき来たお客さんが――」
「そりゃあ昨日の今日だ、用心に越した事ァ無えって事だろうよ。なにせ品川辺りはB29が通った後より酷いなんて云ってるからね。でも旦那さんの云う事に間違いは無えさ。今の兵隊も戦争中の兵隊とは力が違うさ」
「そうでしょうけど、万が一って事があるでしょう。何とか団とか云う破落戸(ならずもの)も出回っているって云うし、一人で銭湯に行くのもおっかないですよォ」
「うん、ご婦人がたにとっちゃァおっかねえやなあ。昔イギリスに出たって云う切り裂きジャックも目じゃ無えくらい怖えなあ。」
切り裂きジャックが何の事だか解らなかったのか女中は「はあ」とだけ応え、次出来上(あが)ったよ、とおそらくはその旦那さんに呼ばれ、奥に行ってしまった。大人達の会話がひと段落したところで惣一郎は、追加の海老天と天丼の露の滲みた白米をさも旨そうに頬張りながら、今頃母親は一人留守番をしている事を惣吉に云ってみた。
「気に掛ける事は無え。奴さんは嬶連中と明日だか明後日だかに芝居に行くんだとよ。そん時皆して洋食を食ってくるってよ。ビフテキでも食ってくんじゃねえのか」
惣一郎には惣吉とのこの外出が楽しくて仕方がなかった。楽しすぎるから一人家に残してきた自分の母に何か申し訳ないやら、妙な罪悪感さえ覚えてしまっていたのだが、今の惣吉の一言で随分と楽になり、その時はビフテキとやらも食べたいと思ったらしい。
惣吉はいつのまにかテーブルに対して横向きに坐り、後ろのテーブルにいた見知らぬ男と酒を呑みながら、どこぞの島の話かと思っていただの、海が盛り上がって津波のようだっただの、電流がどうの鉄条網がどうのと話し込んでいた。惣一郎は父の兵役時代の話が始まったと退屈してしまい、店に置いてあった雑誌『キング』の挿絵や写真があるページを眺めていたが、満腹感と歩き回った疲れも加勢して次次に出てくる欠伸を噛殺せない。それもそのはずで、いつもなら布団に入っている時間を過ぎていた。到頭船を漕ぎ出した惣一郎に、惣吉も漸く気が付き、
「ああ悪いなあ。話し込んじまった。満腹か。何かまだ食べたいものがあるか。無いか。眠いか、じゃあ帰るぞ」
またも惣一郎の返事も聞かず、先程の女中を呼び勘定を済ませる。
「何の心配も無えさ。帰ったら安心して銭湯に行きねえ。ゆっくり湯に浸かってよ、それこそ命の洗濯だ。これで風呂上がりにサイダーでも飲みな」
受け取った釣銭の中の小銭を幾枚か女中に握らせた。
「さてのんびり涼みながら歩いて帰るか」
財布を懐に仕舞い、惣吉は楊枝を咥えている。御馳走さん、と店の奥に向かって声を掛け、惣一郎に眠かったら負ぶってってやるぞ、と言いながら先に暖簾を潜り天麩羅屋を出た。店の外は夕方からの靄が幽かに揺らめき、蒸し暑く夕涼みにはならない晩であった。
その靄の彼方から突如、惣吉にしてみれば悍(おぞ)ましくも聞き覚えがある、空襲警報にも似た、惣一郎には初めて耳にする、それでいて尋常な状況で無い事が伝わり眠気も吹き飛ばされるほどのサイレンが響いた。
「お姉さん。ラジオ、ラジオ」
再び店の中へ暖簾を潜りなおした惣吉は大声を上げる。女中の耳にもサイレンの音は届いていたらしく、盆を胸に抱えたまま真っ青の顔で立ち尽くしていて、惣吉の大声でわれに返りラジオの許へと走った。
「ああもう、ここいらは電波の入りが悪いんですよォ!」
女中は恐怖と苛立ちをラジオに八つ当たりするかの如くつまみを右へ左へと回す。
「*戒指令部発表、警戒**部発*――二十時***警戒警報発令――目下、***は文京*を北北東にむ****模様――台東***川区、足*区、墨****飾区、江戸川区、江**には完*退避*令が発***ました。もう一*繰り返**す。警戒警報発令*」
途切れ途切れだが緊急の報がラジオから店にいる者に伝わり、ほらァ云わんこっちゃない! と云う女中の甲高い声を合図に、店の客達は箸や猪口を放り投げて暖簾の外へと雪崩れ出た。当の女中はおろおろと右往左往しているが、自分がラジオの前から一向に離れていない事にも、雪崩れ出た客達が勘定を済ませていない事にも気付かない。店の主は女中の名を呼び、先に避難しろと厨房から顔を覗かせ大声を上げた。
「すまんがこの子の面倒をいっときの間頼んます。私ァ上野の方を見てくる。私が戻って来なかったあ時はァ、これがうちの店の住所なんで」
惣吉はいつの間にかに上野の畳屋の住所を書き殴った紙切れを女中に渡すと、店の外へ飛び出して行った。女中は、避難所っ、と再び甲高い声を上げたが未だその場から動けずにいる。咄嗟に「家に帰らなければ」と思った惣一郎は、惣吉の背中を追って店の外へ飛び出してしまった。女中は走り出す惣一郎を捕まえようとしたが叶わず、しかしそれが切っ掛けとなりラジオの前から動く事が出来、避難って何処にィ、と叫びながら店の外へ飛び出して行った。
天麩羅屋の並ぶ路地の蕎麦屋や飲み屋、あらゆる建物からの出てくる人々が、巣の中から湧き出る雀蜂のようであった。警報のサイレンが響く中、消防車やパトカーのサイレンも絡み、怒号や悲鳴、警笛が耳を聾し、すでに行李を背負っている者、赤ん坊を背に手を引いている子に何やら怒鳴っている母親、浴衣の前がはだけて喚きながら走っていく者に混じって、消防団の若者達が走り、辺りは乱衆行動然としていた。布団や箪笥、果ては人間までも詰め込んでいるオート三輪の脇を通り抜け、仏壇通りまで出た処で惣一郎は惣吉の背中を見付けた。近付くと、上野はどうなっている、未だ燃えちゃいないがこのまま行ったら危ねえ等と上野の方から逃げて来たと思しい男と話しており、そこへ声を掛けると驚いた顔で振り向き、そして邪魔者でも見るような眼で睨み付け、ちっと舌打ちをして、付いて来ちまったもんは仕方ねえ、絶対離すなよと惣一郎の手を握りしめた。
「東京の東側は軒並み完全退避発令が出ちまって、何処に逃げりゃ良いのか見当も付かねえよ。兎に角ここにじっとしてねえこった。でも上野に向かうのは止しねえ。」
 惣吉と話していた男は「俺も愚図愚図したくねえ。すまねえが行くぜ」と走り出す。男の背中が人混みに消えると、惣一郎は父親の顔を見上げた。 
「そうは云うが行かねばなるめえって」
惣吉はぼそっと口にして惣一郎の手を引き上野の方へ向って駆け出す。暫く行くと上野方面から来る人の波で先に進むのが儘ならなくなり、通りの端へと寄って身を交わさなくてはいられくなった。人人が流れ出てくる道の先、建物の間に見える上野の方の空の靄が橙色に染まっているのが、背の低い惣一郎の目にも見て取れた。そして今度は青白く照らされ、またすぐに橙色に戻り、戻ったかと思うと急速に紅く染まり、地上からは紅蓮の炎も覗き始める。上野の方から此方へ流れてくる人波は更に勢いを増し、消防車も燃えている方とは逆に逃げて来ている。人波の後方から大声で「上野は駄目だ。やられちまった」と誰かが叫んだ。その声をを皮切りに悲鳴や怒号が一際大きくなり、流れは一瞬にして怒涛となって惣吉と惣一郎を飲み込み、終には繋いだ手も外されてしまった。惣吉は一瞬にして群衆の中に消え、惣一郎が呼ぶ声は、乱衆行動の、否最早動物の暴発行動とも云えるこの状況では、父の耳には疎か発した自分の耳にも聞こえない。小さな体躯は人波を掻き分ける事も、自分の意志で止まる事も出来ず、倒されて踏み潰されない事を祈りながら流されるだけで精一杯である。それでも惣一郎の幼い体では、次第に流れにも乗る事が出来ぬようになり、到頭通りから外れる路地の方へ押し出されてしまった。惣一郎は再び群衆の流れに入る事は出来ず、その場に坐り込んでしまった。
逃げ惑う人人の本流では、女子供、足の遅い者を薙ぎ払う者。我先にと、前の人を押し倒す者。後に続く人々は止まる事は出来ず、倒れた者を踏みつけても尚先へと進む。踏み越えられず躓き、そこに後続の者らが次次と倒れ込み、悲鳴とは違う奇妙にへしゃげた声が彼方此方で上がる。
惣一郎の傍を逃げる人人の中には、大荷物を持たない身軽な者たちもいたが、坐り込んでいる子供なんぞに目もくれず通り過ぎて行く。逸れた父の事、上野に残った母の事を思うと涙が溢れて来た。耳には怒号と悲鳴が泥のように侵入してきて、地響きが頭蓋骨を痺れさせる。時折地面が盛り上がるような、天空から押し潰すような咆哮が聞こえる。涙とともに流れる洟をすすると、焼け焦げた臭いが鼻腔にへばりつく。惣一郎は、さっき浅草寺で見た焼け残った銀杏の木が、街や人を焼きながら動き回っている様を思い浮かべる。焼け残った銀杏の木は地中から引き抜いた根を八方に広げ、蜘蛛の脚のように蠢かし、そこいらを燃やしながら彷徨っているのだ。焼けた臭いと熱を帯びた風が先程よりも強くなってきているのは、もうすぐそこまで来ているからに違いない。生きながら焼かれる自分を思い描くと、嗚咽が嘔吐(えず)きに変わる。吐く、と思った瞬間、両肩を何かに掴まれ、悲鳴とともに胃の中のものを全部吐いてしまった。
絶叫と嘔吐で肺の中も空っぽになり、息を吸い込まんと首を反らせて顔を上げると、消防団の若者が惣一郎の両肩に手を掛けて揺さぶり「坊! 坊! しっかりしろ」と叫んでいた。
「親と逸れたのか。ここいらももういけねえ。早く、こっちだ」
惣一郎が我に返ったと見て取るや、消防団の若者は手を取り無理矢理立ち上がらせると路地の奥へと引っ張って行った。暫く走ったが、若者には子供の手を引いているのが足枷となり、思うように先に進めない。業を煮やし一旦立ち止まり、惣一郎を右手に抱きかかえ再び走り出す。惣一郎は振り落とされまいと首にしがみ付き、若者の荒い息遣いを耳にしていた。路地を抜け、先程とは違う通りに出る。そこは逃げる人波も引いており、怪我をして倒れこんでいる者や坐り込んでいる者しかいない。その光景を前に若者は立ち止まり呼吸を整えた。惣一郎はしがみついていた若者の肩から顔を上げ、逃げてきた方を見やる。燃え上がる建物の炎の向こうに動くものがある。惣一郎には、焼け残った銀杏の木が地面から太い根を中空へ擡(もた)げているように見えた。
惣一郎は、それが此方へ近づいてくるように感じた。否感じたのではない。それは此方に近付いてきている。若者の呼吸音に紛れて聞こえる地響きが太く激しくなっている。若者もそれを感じたのか「拙いな」と呟き、三度(みたび)駆け出した。
隅田川まで来た時には、地響きは最早耳ばかりでなく骨の髄まで震わすようになった。
「坊、諦めるなよ。助かるからな、諦めるなよ、坊!」
 若者は惣一郎にではなく、己自身に言い聞かせるように叫ぶ。空襲の時、沢山の人が川に飛び込み死んでいった、と云う話を惣一郎は思い出していた。
隅田川に架かる吾妻橋の上には、川向うの本所方面に逃げる人の群れが、先に進めずに犇めきあっているのが見える。漆黒の川面からは、泳いで逃げようとしている者がいるらしく、水を跳ねる音、叫び声や怒鳴り声も聞こえる。
「本所の方は無理だな」
 若者の息遣いは荒く、焦っているのが幼い惣一郎にも判る。
「大丈夫だ、大丈夫だ」若者は呟き、川向うに逃げる事を諦め、蔵前方面に駆け出した。
駆け出した途端、金属音とも獣の咆哮とも違う、発する物の憤怒としか言いようのない大音響が空気を引き裂いた。次の瞬間、逃げる二人の傍の木造家屋を大木の如き物が一瞬にして圧し潰す。二人のいた地面は盛り上がり、突風が二人を巻き上げ、そして地面に叩き付けた。若者は惣一郎を抱えたまま、仰向けに倒れ、呻き声を上げている。惣一郎は若者の体から離れ、振り返る。目の前に突っ立つ大木の如き物。焼け焦げた銀杏の木。自然と顔が上を向く。視線を上へ上へと、天空を仰ぎ見るように。
そこにいたのは、焼け残った銀杏の木などではない。てらてらとした厭らしい凸凹の皮膚の、天空を覆い隠すほどの巨きなモノ、であった。それが怒りの声をあげていた。
惣一郎はその巨きなモノが圧し掛かるような感覚に襲われ、直後目の前は漆黒の闇に閉ざされた。

東の空が白白とし始めた頃、小雨が降りだした。町にはまだぶすぶすと燻っている火煙、崩壊した建物、焼け焦げた自動車の残骸があちらこちらに見て取れた。救護所には、担架で運ばれてくる重傷者で溢れ、またその呻き声が響く。また何処かでは平和を祈願する合唱がされている。頭に包帯を巻いた少女が母親を呼びながら泣きじゃくり、赤ん坊の声、女の声、男の声、昨夜とは違う喧騒が辺りを支配していた。
額にひんやりとした物を感じる。手をやると水に濡らした手拭いが乗せられていた。惣一郎は何処かの校庭に設けられたテントの下に寝ていた。傍らには膝を付き、身を乗り出して覗き込むあの天麩羅屋の女中がいた。
「あら気が付いた。良かった、良かった。お父ちゃんとは逸れちまったんだねえ。ここに消防団の人があんたを抱えて来たのに丁度出くわしてね、驚いたのなんのって。急に飛び出すもんだからァもう、あんたのお父ちゃんに頼むって云われてたのにあたし、心配してたんだよォ。ああ、でも本当に良かった」
女中は一気呵成に喋る。周りを見渡すと避難して来た人々が大勢いて、途方に暮れた体(てい)である者は坐り込み、ある者は倒れ込み、新たに怪我人を運び込む者、介護にあたる者、静寂と物騒しさが入り混じっていた。その中に惣吉の姿は無い。夜の暗さが残る西の空には地上の炎に照らされながら煙が広がってゆくのが見える。
その日の昼過ぎに惣一郎は女中に連れられ、上野にある自宅の畳屋へ向かうべく避難所を後にした。一夜のうちに周りは見ず知らずの町に一変し、異様な臭いが立ち込め、倒壊した建物や燃え続ける家屋、自動車の残骸、散乱した瓦礫が道、辻を塞いでいる。誰かの名を叫びながら彷徨う者や瓦礫の山を撤去する者、怪我人を救助している者や消火作業をしている者達に混じり、黒焦げとなった者、地面に倒れたまま二度と動けぬ者が彼方此方に転がり、中には人の型を無くした塊が落ちていた。女中は、何が好物かとかどんな遊びが好きか、度度、ひッ、と短い悲鳴を上げたり、坊ちゃん見るなとか喋っていたが、惣一郎の耳には入ってこない。聞えたのは、女中が一寸立ち止り周りを見渡しながら呟いた一言だけであった。
「またやり直しだァ」
同時に、昨日の惣吉の呟いた一言が頭の中に響いた。
――人間様は大したもんだ。

この辺だ、この辺だと女中は再び立ち止った。惣一郎は、見覚えのない地に足を踏み入れた気持ちで辺りを見渡した。一町程先の半壊した家屋に、見覚えのある畳屋の看板が斜めってぶら下がっているのが眼に飛び込んできた。かつて店先であった処に坐り込んだ母親を見付けると女中の手を解き駆け出し、母の胸に飛び込み大声を上げて泣いた。母も惣一郎の無事を喜んで涙を流して喜んだ。然し、ここにも惣吉は戻って来てはいなかった。そのうち戻ってくる、怪我をして救護所に運ばれているのかも、と惣一郎に言い聞かせる母の言葉も空しく聞こえた。
あの夜から二日後に惣吉は、倒壊した勝鬨橋に半ば堰き止められた隅田川の、瓦礫や死体が流れつき澱みとなっていたその中に発見された。

仁丹塔は震災、戦災と続き三度目の復興のシンボルとなり、その年の初冬に完成し、昭和六十一年に老朽化を理由に解体されるまで、浅草の景観の一部となり皆の目に馴染んでいた。また、焼け残った銀杏の木は浅草寺の本堂の東南、観音前警備派出所の手前に今尚根を下ろし続けている。
私は、父惣一郎に仁丹塔はおろか浅草にも連れて行って貰った事が無い。二度と近寄りたくない町だったのだろう。
その父も昨年の夏に甲状腺癌がもとで鬼籍に入った。
これは昔話など口にした事の無かった父が、闘病中に臥した床の中で唯一私に語った、昭和二十九年、私の祖父惣吉との思い出、東京に巨大生物が上陸した時のものである。

引用:江戸川乱歩『押繪と旅する男』
香山滋『ゴジラ』

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