自転する日記 2月4日 深夜1時
節分の豆まきは、ひとりでやった。
縁側から、雨の降る暗闇に向けて、少し声を張って、「鬼はー 外ー!」と3回やった。もったいないので1度に投げる豆は2粒ずつにした。
声は張ったつもりだったが、しとしと降る雨と夜の冷気に吸収されて全然こだましなかった。
しかし考えてみると、この実家のある地域は古くから鬼も神様のように崇めてきた長い歴史がある。追い出すものではなくて、信仰の対象なんだと言われてきて、鬼が主役の伝統行事も連綿と続いている。ここで豆まきをしてもいいんだろうか。
なんてことを半世紀生きた今さら思ってみたが、幼稚園からやってたなあ豆まき。先生も何にも言わなかったしな。
晩ご飯は焼き鮭に具沢山のお味噌汁に、買ってきた細めの恵方巻き。それに残りの豆をつけた。
でも恵方(吉方)がどこかを調べもせずに、座ったままテレビを見ながら、時々ビールを飲んで母と会話も楽しみながら食べたので、ご利益は期待できそうにない。
砂糖衣に包まれた豆も、入れ歯を使わなくなってしまった母には固すぎて食べられず、私だけで数を数えることもなくぽりぽりとつまんだ。
いろんな行事があるけれど、毎年だんだんどうでも良くなってきている。
こういうのを楽しんでちゃんとやっている家庭や人々のほうが、まだ多数派なんだろうなあ。それはいいことだと思う。
自分たちのことはさておき、そういうのはなんとなく健やかな感じがする。
と思って夜7時のNHKをつけていると、石川の被災地が映った。
人々が手に手に配られた恵方巻を持っている。方角を確認しあって食べていた。
ほぼつけっぱなしのテレビで、今日一番ストンと来る映像だった。
神様に真っ先に届くとよい、これが届かないでどうする。
しかしいろんな悪いことをした人のニュースもひっきりなしに流れてくる毎日。
詐欺とか煽り運転とか強盗殺人とかの類の。
そういう人も豆をまいたのだろうか。
ほかにもこれをしたら縁起が良いと言われていること、
神社仏閣に詣ったりおみくじひいたり、厄祓いをしたり茶柱がたったと目を細めたりすることがあるのか。ああいうことをする人たちにとっての縁起とはなんだろう。
こういう変なことを考え出すと昔から延延、止まらなくなる。
★★★
ところでコピーだ。
タイムラインにいろいろな考察が流れる事態になっている宣伝会議賞。意見できるほどしゃにむにやって来ていないので、あの場で何かいうことも躊躇われるし、わからないことも多すぎるのでただ流れを見ている。
でも、変わらない情熱で、ブラッシュアップも怠らず、毎年上限近くまで書き続けてきている人たちの書いたコピーが、悉く大幅に脱落?ひょっとしてひょっとしたら恣意的に?にわかには信じられないし、そう思いたくもない、ことだ。
いろいろな推察か出てきている。全部が当たっているような、反面いやいやそんな、と思いもする。自分には基本まったく関係ない(その想いに至るレベルには、とてもじゃないけど到達できない)領域の話でもあるし、受賞作が決定していない今の時点では、なんとも考えようがない。むずかしい。
でも審査基準に判然としないイメージが生まれてしまったのは事実みたいだ。ひょっとしてコピーの世界にも、Adoみたいな綺羅星が突如として大発生したんじゃないの?
・・・などと意識的に茶化したほうがいいのでは、と思ってしまうほどにはちょっと驚きの事象。
ただ、今回のことをロジカルに説明される日なんて来るんだろうかと考えたら来ない気がする。多分このことについての見解をちゃんと口にする審査員もいないような気がする。ここだけの独り言。事務局ならさらに何をかいわんや、だと思うんだなー。
これはもう、SKATで他人の全作品をすべてチェックして自分のコピーと比較研究し、それぞれが自分の中に新しい基準を設けてやってやろうと燃えるしかないのかもしれない。
AIとの競合時代、コンプラ全盛時代にあって
、コピーのプロが本当に見たいのはどんなものだろう。それと今回の1次通過基準との間には、何の矛盾もないんだろうか。ないことを、底辺の底辺から、見上げながら、祈る。
あ、もう2時半になってしまった。
初の自転日記はここまで。寝よう。
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