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ちょっと酔ってあの頃を①

※この記事はごく軽く酔いながら思いつきで書き始めました。昔々の思い出から今に続く話ですが、多分尻切れになったり誤字脱字があったり、何を言いたいのかわからなくなったり、したまま終わる可能性があるのですが、あんまり気にせずに書こうと、ちょっと酔った頭で決めたので、このままいこうと思います。まったくもって個人の思い出で、共感や感動のさざ波などは生まれるべくもないかと思いますが、その点ご容赦願います。ちなみに長くなりそうなので連載にします。自己満足で、悪しからず。

◇◇◇

ずっと出会えていない懐かしい人に、久しぶりにメールを送った。

本当は手書きの手紙を送ろうとしたのだけど、半年以上の空白を空けてしまっていたので、いきなり数枚の便せんで想いを綴るのはちょっと重いかもと気になった。
先方は人生の大先輩にあたる年齢である。
もし体調を崩して入院なんてしていたら、という心配が、ふと頭をよぎったのも正直なところ。

『お兄さん、ご無沙汰しています。お変わりありませんか?
こちらは変わらずやっています!母も体のほうは元気です!』

ほどなく返信が来た。変わらないご様子。ホッとする。
ーすぐに数枚の画像も続けて届いた。わッ!と心まで笑顔になる。
またすぐに返信。

『お兄さんお若い!お元気で良かった!相変わらずにぎやかで、羨ましいです!○○くんも○○ちゃんも、大きくなりましたね~!』

!マークを多用するのはお約束だ。そうして何度もやりとりが続く。

私の心は、すっかり数十年前の若かった自分に戻っている。
「お兄さん」も記憶の中で、もちろん同じだけ若返る。
当時一緒に暮らしていた私の姉も。
そして今は亡き、「お兄さんの奥さん」も「お母さん」も。


みんなあの頃の姿で、目の前にいて笑っている。

◇◇

もともとは1人暮らしだった姉のもとに私が転がり込み、1年ほど同居生活を送ったものの、やはり1DKのアパートでは手狭すぎて、共同生活2年目にして引っ越すこととなった。20代前半の話だ。
まだ親のすねをかじってばかりだった私たちは、引っ越しまでのもろもろすべてを父や叔父夫婦に頼った。

そんなの考えられない、とこれをたまたま読んだ皆さんには思われるかもしれないけれど、新しく住む街さえ、本当に親たちにまかせきりだったのである。
こちらの地理に明るくもない田舎の親が叔父と話してテキトーに決め、それに文句もなく従った、ホヤホヤのひよっこながらも一応社会人だった娘二人。

今思うとどれだけ甘ちゃんだったのか、という気もするけれど、それはどんどん、どうでもいい話、むしろこれでよかった、という話になっていくので、子どもの精神的自立についてここで是非を論じることはパスしたい。

結果、引っ越し先と、姉の職場と私の職場、3つはそれぞれ区さえバラバラだった。

◇◇

それまで家族の誰も、一度も行ったことのない街を父が選んだのは、叔父夫婦がバスで行き来できる近さに住んでいたこと、その叔父がこの街を勧めてくれたことが大きかったと思う。

交通機関も充実してるし、うまい店もたくさんあるし、とにかく若い奴らに今人気の住みやすいとこだぞー、と叔父は言っていた。
(ちなみに叔父夫妻はそろって教員だった、叔父は優しいのだがかなりなアウトローかつ繊細な性格であって、私はそんな叔父が大好きだった。)
また、アパートのすぐ近くに大家さん夫婦が住んでいたことも、親にとっては選ぶ決め手であっただろう。

パソコンやスマホなどでの事前リサーチが当然、の現代からすれば、
とにかく本当に信じられないような箱入り娘たち?のお引越しだった。
他に何の予備知識も持たず、姉と私は引っ越し当日を迎えた。

◇◇

4戸入った(正確には大家さんの息子夫婦が建物の半分を2階建ての家屋として住んでいたので、5戸となるが)、2階建ての2階部屋、2LDK。

その前に住んでいたのは長屋みたいな薄暗いオンボロアパートだったから、姉妹にとって、この物件はもう、天国と言えた。

まず部屋が1つ増えたし、お風呂から独立しているトイレはかわいいサーモンピンクのタイルで広々としていたし、造り付けの下駄箱のついた「玄関とよべる長方形の三和土のスペース」がちゃんとあるのが嬉しかったし、前の建物よりとにかく天井が高い。
以前のアパートでは陽が射さず真っ暗だったキッチンも、今度は明るく広々として、見晴らしもいい。
急行がとまる駅から歩いて6、7分ほど。バスの走る幹線道路からも少し奥に入った閑静な住宅地だった。

近くに小学校があるため、子どもたちも朝夕たくさん通るのだけど、道幅が狭く、しかも三叉路に面していたので車もスピードを出せず、交通量のわりには騒音に悩まされることもなさそうだった。さらには洒落た住宅の間になぜか田んぼが1枚だけあって、ドアを出たところから見下ろせた。その四角い緑の風景が、ど田舎から来た私の、小さなコンプレックスと郷愁を長年ひそかに掻き立て続けていたことは、姉を含め誰にも言ってない。

◇◇

荷物の運び込みと設置がどうにか終わり、両親とともに大家さんへ挨拶に行った。

大家さんは、ガタイの大きな、当時70代と思われる白髪頭の好々爺だった。
はんてん股引姿で、あまり目的もなくのっそり歩きまわっているやさしげな熊、という感じ。
私と姉は瞬時に懐いた。

こういう地元のお年寄りの大家さんがすぐそばにいてくれる、というのは、本当に心強い。初めての街を身近に、親しみあるものに変えてくれる確かなスイッチだ。
鷹揚な雰囲気が全身からにじみ出ている、枯れたユーモアも多分にありそうな大家さんに自己紹介などしながら、

(ここなら長く住めそうだね)

と、二人で目くばせしあうほど、順調な滑り出しだった。


私たちが引っ越しの作業を終えたその日、20メートルほど離れたお隣の一軒家も、ちょうど何かの改装作業をしていたようだった。
職人さんが出入りし、玄関先に脚立があったりと、慌ただしい動きを見せていた。

時は3月。
いろいろなことが新しく動き始める、はじまりのシーズン。
両親が郷里へ帰ってしまい二人きりになったあとも、さみしさよりは、
快適なこの部屋でこれから迎える新しい日々を想像し、ワクワクソワソワがとまらない田舎者の若い姉妹であった。

そしてその時点ではまだ、想像もつかない幸運が私たちを待ち受けているとは、当然ながら知る由もなかったのである。

いちおう、続く。

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