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会話を上手にしたいキミへ

世の中において平均を取ると大抵の場合、中央値より下になる。
特殊な例として極端に最大値の高い存在が社会に入り込んだ場合平均があがる場合があるがそれは稀である。

バスの中に5人客がいて、4人が年収250万。
1人が1000万だとしたら平均年収が400万となるわけだが、多くの場合このようなことはなく、100万から800万で居て均すと200万程度だろう。

この数字というのは年収で動かしようがないからわかりやすいかもしれない。
しかし、世の中には数字で表せないことも多くある。

そして、数字で表せないことほど人間は自分の能力を過信する。
それは、賢さが一番顕著だし、コミュニケーションというものはより無自覚になるだろう。

幸いなことにコミュニケーションにおいては様々な経験をさせてもらったことで自分の能力値はさておいて、コミュニケーションの上手・下手の指標はしっかりと根付くことができた。

コミュニケーションは話すことではなく、相手の話を聞くことだ。

コミュニケーションが苦手な人は「何を話したらいいか分からない。そのために自分はコミュ障だ」と自認しているがそうではない。

本当のコミュ障ならそんなことを考えず、寧ろ自分はコミュニケーションが上手いと勘違いしている。

話を聞けないと何が問題なのか。
それは会話をすればするほど相手からの信頼が損なわれることにある。

これはあくまで私が体験した、底辺のコミュニケーションだ。
しかも、仕事におけるコミュニケーションである。

A「予約において、甲社から予約が入ると受付もキャンセルもできない」
B「乙社はそもそも予約を受けない設定ができる」
A「それは知っている、甲社からはその設定ができない」
B「(乙社の)キャンセル方法を教えるから今後キャンセルをしてほしい」

これは笑い話で無く私がAとして実際に行なった会話である。
いや、正確にはもっと同じ問答を繰り返しBに会社を間違えている旨を伝えたが最後までBは自分の勘違いに気付くことはなかった。

そして第三者として会話を聞いていたCの目には酷い会話に映ったようだ。
当然である。

私のBに対する仕事における信頼はほぼゼロになったことは言うまでもない。

この出来事の何が問題か。

Bは自分がコミュニケーション達者と自認していたことにある。

会話本が役に立たないわけ

また別件の話をしよう。

Dという人物はどんなことにもオウム返しで返していた。

確かに会話本には「相手に話を聞いていることを認識してもらうためにオウム返しをしろ」と書かれている本は多い。

だが自分がオウム返しをされ続けたことが無いのだろう。

会話をすればするほど自分の話を聞いていない印象がついていく。
それはなぜだろうか。

自分と同じ価値観を持っている人間はこの世に存在しないからだ。

100人いれば100の価値観があり、それぞれ少しずつ感覚が違う。
その感覚を擦り合わせることがコミュニケーションである。

成熟した人間同士の会話では価値観が違うことは気にならない。
違って当たり前、落としどころを探すために会話する前提があるからだ。

オウム返ししかしない人はその「すり合わせ」という概念がない。
つまり聞く気がないのだ。

コミュニケーションとは認めること

すり合わせというと反対意見として出てくるのが「すべてを受け入れろということか」という意見だ。
そうではない。

あくまでも飲めないことは飲まなくていい。
仕事でもそうだし、プライベートであればなおさらである。

章題に書いた通り、飲むことではなく認めることがコミュニケーションの基本だ。

これは表現者の基本理念にある「YES &」という考えに基づくものだ。

YESとはOKというより「I SEE」の感覚に近い。
日本語で言うのであれば「わかった」になるのだろうか。

相手の言っていることを理解しているかどうか。
先ほどのAとBの会話はBがわかっていないことが原因だし、オウム返しをし過ぎてしまうとわかっているのかわかっていないのか分からない。

つまり、会話が成立しないのだ。

幸いにして広い電脳の海、インターネット。
さまざまな価値観を持っている人間が混在して、望んでもいない議論に華を咲かせている。

そこで何が見えるのか。

本当に会話しているのか、相手への理解を努めているのかを客観的に見ることができるのだ。

コミュニケーションを学ぶ上でテク本を読むことは構わない。

だが、ノウハウ本というのはあくまでも強者が理想値で語ることが多い。

先に出したBのように、会話をする能力がなく、また無自覚の人間を相手にしなければならない状況の想定はない。
つまり「ボクの考えたさいきょうのほうほう」なのだ。

ここまで目を通してくれた人にはわかる通り、自分の会話力を高めたいのであれば聞く力である。

相手がどの程度会話する気があるのか見定める必要があるということだ。

そして、あなたとの会話を楽しんでくれる人を大切にしよう。
大切にできるようにしよう。

相手から選ばれるだけでなく、あなたも選んでいい。

ひとりでも会話を楽しめる人が増えることを願って。

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