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コトバフィルター 泣き虫の私がたどり着いたこたえ。

 こんにちは!
梅雨前とはいえ、既に高い湿度で頭がやられそうな水晶です。


 突然ですが・・・

皆さんは喧嘩するとき、どんな風に喧嘩しますか?
沸騰してガンガン自分の思いをぶつけるタイプですか?
それとも熱くならずに淡々と相手の主張を論破していくタイプですか?

 今回のテーマは「喧嘩」です。
よく喧嘩したとき、「男は黙る、女は泣く」といいますが、私もこの例に漏れず泣いてしまうタイプです。泣きたくて泣いているわけじゃないし、涙を武器にしてるぶりっ子とかじゃないんです。勝手に出てくるので困っています。。。泣

 小さい時から、親と喧嘩するといつも泣き喚いていました。まぁ多分親が相当怖かったんでしょうね。母はともかく、当時の父は結構な剣幕で怒っていました。今あざらしのごとく丸くなった父がうそみたいです笑


 小学校に上がっても、私の泣き癖は止みませんでした。親に叱られたときはもちろん泣いていましたが、先生に叱られてもやっぱり泣きそうになってました。クラスメイトとの言い合いでもそうです。

小学校1年生の時、クラスメイトのある女の子に内容は忘れたけれど、強く言われたことがあったんですよ。同じ時期に生活の授業でシオカラトンボを飼っていたのですが、飼い方が分からずに餓死させてしまって、すごく悲しいと思ってた時に強く言われて、泣き癖もあって泣いてしまったんです。そしたら「なんでこれくらいで泣くの!?」と怒られまた泣けてきて無理でした。はい。。思い返したらびっくりするくらい豆腐メンタルでした、、

個人的になんでこれくらい泣くの!?は地雷ワードになりました。だってしょうがないじゃん涙が勝手に出るんだもん!涙に言ってくれよ!


 中学校に上がると、「喧嘩したとき泣かないようにするにはどうしたらいいか」を考えるようになりました。解決したい物事に対して、具体的な解決案を模索する、成長してますね自分。

考えた解決策、

・歯を食いしばる
・舌を噛む
・喧嘩してるときに違うことを考える(猫とか考えると落ち着くはず!)
・相手の主張で間違っている・矛盾しているところを探す

などなど考えましたが、
実際喧嘩の時には役立ちませんでした・・・


歯を食いしばったらその反動で涙袋から涙落ちてくるし、舌を嚙むってよく考えたら古代からある自決方法だし(生きていたい)、喧嘩してたら喧嘩のことしか頭に浮かばないしなんなら頭真っ白だし・・・


理論と実践が伴わないこともこの時に実感しました・・・

親と進路の意見が合わなくて号泣したときは過呼吸の一歩手前まで行ったので本当に苦しかったです。身体も心も。泣


 高校生になると、「そもそもなんで喧嘩の時泣くの?」と根本に立ち返る問いが心に芽生えました。

前述したとおり、小さい頃の私と違って、この頃の私は悲しいから泣いているのではありませんでした。ぶりっ子属性のつもりでもないし、なんでかよく分からないけど涙が出てくるのです。言いたいことは山ほどあるのに、相手と話し合って問題解決をする気はとっっってもあるのに、いざ口から出そうとすると喉でつっかえる。その反動で涙が出る。これが悔しくて泣いているのかと思うくらい、なぜだかよく涙が出ました。


 このくらいの時期になんとなく思ったのは、心の中にろ過装置があって、そこで罵りの言葉、見下しの言葉をろ過してきれいにしてから口に出しているのだろうなぁということ。それを私は「コトバフィルター」と名付けました。


 コトバフィルターの役目は、ひっくるめて汚い言葉をきれいにするろ過兼浄化装置。いつも清らかな水をたたえ、角のある言葉はできる限り丸くします。きれいで丸い言葉のほうが、耳どおりがよいでしょうから。

コトバフィルターのイメージ図。この図はかなり理想。


 でも、喧嘩中は気持ちの昂りで心の中に幾つも汚い言葉が浮かんできてしまって、でもそれをそのまま口に出そうとするのを止めようとする理性はまだ保てています。そんな時にコトバフィルターはいつもよりもかなりのスピードで稼働せねばならず、最終的には汚い言葉がフィルターに詰まってコトバフィルターは故障してしまうのではないかと思います。

 だから、たくさんの水で対処しなければならないのです。そうすれば、少しは詰まるのが遅くなると思ったのです。水面に汚い言葉が浮いてゆらゆらして、少しばかり恥ずかしさを覚えます。コトバフィルターを通った水が、私の心から瞳に移動して涙に変わるのだと思います。



そんな風に考えたら、なんだか気持ちが軽くなりました。


 喧嘩した後、泣きたくないのに泣いてばかりで何も結実しなかったあと、それすら悔しくて一人でやっぱりよく泣いていました。私には喧嘩できるような友達を持てたことがないので、喧嘩の思い出の殆どは両親です。

一人で泣きながら反省会をしているときによく思ったのは、泣きつく相手がいないというのは苦しいものだなということです。何かあっても自分に泣きつかなくてはなりませんから。自分だって泣きたいだろうに。その自分に泣きつかなきゃならないのは、なんというか待たせる身もつらいというかそんな感じです。


 大人になるとますます泣きにくくなってくるので大変ですね。

涙腺の蛇口を固く締められるように生きていきたいです。これからの梅雨みたいに、台風みたいに涙がよく出るのはまっぴらごめんです。

大人になってゆくほど 涙がよく出てしまうのは
1人で生きて行けるからだと信じてやまない
それでも淋しいのも知ってるから
あたたかい場所へ行こうよ

『川べりの家』松崎ナオ


笑う門には福来る、よく笑って生きていきたいな。

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