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無償の仕事という活動

僕がやっているウェブメディアのWind Band Pressでは、インタビュー記事を掲載しています。

もともとは広告収益を目当てに始めた事業で、個人事業主として独立(というかそれしか道がない状況に追い込まれたんだよ)してから最初に始めたのが「元手が必要なくて収益が見込めそうなもの」ということでウェブメディアだったんですよ。

数百社に営業をかけましたがまあこれがニッチな吹奏楽のウェブメディアでPVも少ないとなると広告を出してくれる会社もそんなになく、吹奏楽関係の会社には予算がなく、あてがはずれてGoogleAdSenseに頼ることになったのです。

ところが最近になってGoogleAdSenseのプログラムに収益最適化をお任せしていたら広告だらけになって記事が読めたもんじゃない。しかも収益確かにあがってるんだけど年間、年間ですよ、年間で収益が1万円くらいです。だったらもういらんわいボケと思って先日GoogleAdSenseを外しました。

そうするとスッキリして記事も読めるのですが、ほかに純広告が入っているわけでもないので収益0です。仕事なのかこれは・・・事業と呼べるのか・・・というのが今の状況。

で、昨夜、4月(まだ広告を出していた時期)にインタビューの依頼を出していたオランダのサクソフォーン奏者のアルノ・ボーンカンプさんからインタビューの回答が届いていたので、さきほどアップしました。

インタビューにしてもこれまでお願いしていたコラムなどにしても皆様無償で引き受けていただいていて、本当にありがたいのですが、僕のリクエストに応えてくれる人も無償、僕自身の作業も無償(GoogleAdSenseを外す以前も年間収益1万くらいだったので実質無賃)。

これはなんなんだ、健全ではないぞ、という感じもするのですが、ボーンカンプ氏はじめ、インタビューをした演奏家や作曲家からは「このような機会を与えてくれたことに感謝します」という文章が添えられていることが多いです。

それは社交辞令で、「俺の話聞きたかったら金を払えよ」というのが本音かもしれないのですが、まあでもそうやって協力いただけるのは本当にありがたいことで、Wind Band Pressは貴重なインタビューやコラムの宝庫になりつつあります。

これは趣味じゃないのか、ボランティアじゃないのか、そんなことやってる余裕があるのか、と悶々とすることも多いのですが、インタビューの回答やコラムの原稿をいただくと、僕自身「そうなのか」とハッとするような発見もあったりして、お金がどうこうという次元を超えたところで視座が上がるような体験になっている気もします。

インタビュアーもインタビュイーも無償でやっているので、趣味?ボランティア?という感じではありますが、ひとまず今日のところは、これは「無償の仕事」という仕事なんだというところで落ち着きました。

すべての仕事が有償ではない。

例えば、自分に与えられた仕事をこなして給料をもらうことだけが仕事であるならば、「隣のデスクの同僚が落としたペンを拾ってあげることは仕事のうちに入らないから拾わない」そういう考えや選択もあるでしょう。でもおそらくだいたいの人はペンを拾うような「業務外だけど業務時間内に行っているなにか」がたくさんあるわけで、その「なにか」がないと業務が円滑に進まないこともあります。

そう考えるとペンを拾うのも仕事のうちという気がしませんか。ただそれを仕事として感じるかどうかというと感じないというだけで、ペンを拾う数秒の間にも給料が発生している。「ペンを拾って給料をもらってるわけではない」というのであればそれはなんなのだ。

それを僕は無償の仕事だと思うのです。無償の仕事は存在して良い。無償の仕事の対価は何かしら発生しているでしょう。ただそれを限られた自分の可処分時間の中でどこまでやるかという塩梅の話であって、僕であればWind Band Pressに1日をフルマックス割り振ることは出来ないよね、という、ただそれだけの話ではないかなと思います。

「情けは人の為ならず」という言葉そのものですが、巡り巡って何かいいことにつながるだろうということもあって皆さん協力してくれるのでしょうし、僕も趣味でやっているわけではなくて巡り巡ってなにかにつながるだろうと思ってやっています。やり取りを通じて友達になれる人もたくさんいます。

それでいいんじゃないかな。生活のためのお金を得るための仕事もあれば、お金どうこうを超えた無償の仕事もある。

人生の豊かさとは何かと考えたときに、「無償の仕事の質」が大きく関係してくるような気がしませんか。

ボーンカンプさんから返事をもらって、記事にして、公開して、告知して、誰かがそれを読んで救われることがあれば、ボーンカンプさんも、僕も、読者も、みんなハッピーです。そこにお金は一切発生していないのですが、ハッピー。

「お金が発生しないのであればいかなる仕事もしない」というのも一つの価値観なので否定はしませんが、僕はこの無償の仕事を(ほどよい塩梅で)続けていくのでしょう。無償であっても趣味ではなくて仕事である以上、いろんな責任も伴うし、気も遣います。なにより良いものを届けたい、作りたい、そうあらねばならないという気持ちがあります。だからこれは趣味ではなくて仕事なのです。僕の場合はそう思っていないと気が抜けてテキトーになってしまうので。

さて、ここまで書いておいてなんなんですが、「なんて哀れなやつなんだ」と思われた方はぜひ広告を出稿してください。収益がないよりあったほうがもちろん良いので。


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