101年倶楽部は、居場所ではありません

「居場所」みたいなことに違和感がある。

サードプレイスなんて言葉もあって、最近は家と会社以外にも居場所をつくろうという人が多い。

僕は、101年倶楽部を「みんなの居場所」にしようとは考えていない。

「居場所は、皆さんそれぞれ他でつくってください」と思っている。

じゃあ101年倶楽部のFacebookグループは何なんだというと、常に「居場所ではないところ」にしたい。

101は、「『まなぶ力を高め合うことで人生を楽しむ』ことを目的とした、人のつながり」だ。

だから、ある程度の多様性がある状態のほうが楽しい。

どんな問いを立てても、みんな似たようなことを言うようになったら、まなびはない。

「居場所」という単語に違和感があるのは、「そういうのって、新鮮なうちはいいけど、そのうち閉鎖的になっていくんじゃないの?」と思うからだ。

居場所なるものは、自分のすべてを肯定してくれるのだろうし、「いていいんだ」という安心もできるんだろう。

でも、その居心地のいい状態に、それを乱す人が入ってきたらどうする?

追い出すことになるはずだ。

そうして、皆が同じ意見を持ち、同じ行動をする集団ができあがっていく。

なんか、ダサくないか。

僕は、101年倶楽部を、「みんな違う(けど、みんなまなび力高い。結果、資産めっちゃ持ってるw)」感じのままにしておきたいんだ。



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