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【傍点論】我々は「ない」ものに盲目になっている~傍点が標準実装されないことの弊害~

傍点とは、これ●●のことである。


傍点があるとどれだけ便利で、文章の理解に役に立つのか。まず、この文を読んでほしい。


探偵は、その殺人現場にあるべき凶器が無かった●●●●ことを思い出した。探偵は急いで病院から出た。


傍点があるおかげで、凶器が無かったこと、すなわち、殺人には絶対に必要な「凶器」がまだどこかにあり、見つかっていないことが強調されている。


では、傍点が無い場合を見てみよう。


探偵は、その殺人現場にあるべき凶器が無かったことを思い出した。探偵は急いで病院から出た。


ミステリー小説好きなら、凶器が無かったことは一大事だと気づき、この文章が重要であることはわかるはずだ。しかし、世間一般の読者はそうではないだろう。流し読みをしていたり、人のセリフしか読まないような読者は、この部分をスルー(あるいは軽視)してしまうのではないか?

ミステリー小説は紙媒体だから大丈夫かもしれない。しかし、肯定的な文言と否定的な文言がコロコロ変わるWebサービスの利用規約や、注意して読まないと真逆の意味になってしまう皮肉交じりのツイートなど、傍点がある方が間違いなく誤解は減るし、実際誤解している人は多いだろう。


しかし、我々が普段目にするWebページや、そしてTwitterに傍点機能は標準実装されていない。


ちょっと言い過ぎた。Webページの場合は、搭載されていないこともない●●●●●●●●

Webページは、HTMLという「お作法」で描画されている。

このお作法の中の<ruby>というタグを使えば、簡易的な傍点機能を使うことができるが、使われることは珍しい。ハッキリ言ってこのタグ付けは面倒だし、あまり有名なお作法ではない。太文字にしたり色文字にする方が手法としてはポピュラーで、よく使われる。読者の皆さんも、ネットの記事とかで、太文字はよく見ても、傍点を見ることは少ないのではないだろうか。Webサイトで傍点が使われる頻度は、本で傍点が使われる頻度より、明らかに低い。

繰り返すがTwitterには傍点機能は無い。今や政府の情報発信もTwitterで行われる時代で、Twitterの重要性はますます増すばかりだというのに。


因みに英文は、大文字を使うことで傍点の代わりとすることもできよう(例:This is NOT a pen.)。だが日本語ではできない。


もちろん、傍点は他にもいろいろな使われ方をする。しかし、総じて、傍点は「ないことに注目してください」「否定であることに注目してください」「否定が否定されて二重否定=強い肯定、となっていることに注目してください」と言ったシチュエーションで使われることが多い。

傍点がないことで、現代人が「ないことに注目できなくなっている」可能性を指摘したいのである。


◇◇◇


今日も、傍点が標準実装されていない●●●Webサイトや、ツイートが執筆されていく。

その度に、傍点のないことが当たり前になり、傍点の無い文章が氾濫していく。

傍点が無いことに慣れた子供が成長していく。


嗚呼。人類は、「ない」ものに対してどんどん盲目になっていく――

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