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やりたいことなんか、ない

企業の再最終面接時に「やりたいことはなんですか?」と再三聞かれた。

その度に答えに戸惑っていたし、なんとか搾り出した答えもどこか腑に落ちていないのは面接官の表情を見れば一目瞭然だった。
そして、言った本人の僕ですら、納得していなかった。

すごく、もやもやした面接だった。

企業が仕事もまだできない新卒をわざわざ採用し、一から仕事を教えながら、かつ給料もあげる。企業に貢献する人材を育てるための投資費用が決して安くはないことも、例え投資したからといって、思い通りの人材に育つかもわからない。

そんなリスクを犯してまで採用する価値のある学生か。そのための安心材料を提示できる学生であるかが問われる場が面接だということは重々承知しているつもりだったし、再最終面接の場が今回改めて設けられた意味もわかってるつもりだった。

面接官が自分の20代のころの話をしてくれた。
自分の中に目標があったから、前年度よりもはるかに高い売上げを叩き出すことができた。
その結果を生み出すためには目標が必要不可欠である。ということが実体験としてあるため、僕にもそれを求め、リスクをとってまで採用するに値する学生かを決める判断材料にしようとしていた。おそらく。

でも僕は、その質問に答えることができず、結局「やりたいことなんかないんですよ。あったら自分で勝手に起業してます。」と言った。

自分の気持ち云々でなく、出来ること。出来そうなこと。かつ、企業にとって利益になることを淡々とやるだけだと思っていた。
もっといえば、やりたいことは、実際に業務に携わってから見えてくるものだと思ってもいた。

料理に例えると、まずどんな材料があるかも知らないのに、どういう料理がつくれるのかはわからない。
でも、シンプルにつくりたい料理を聞かれているのに、材料がわからないから作れないと思ったことに関しては、見当違いすぎると後々振り返って思った。

そもそも、僕は料理をつくりたくてたまらない云々よりも、そこで料理をつくっている人達と働きたかった。

結局、自分の中では『何をするか』よりも、『誰と働くか』を重視していた。

大学1年時の居酒屋バイトのとき、店長と合わないという理由から、バイトをはじめて二ヶ月後には、辞めたい。と先輩に相談していた。
でもなんだかんだいって1年続いたのは、そこで働く社員さんや他のバイトの人たちに恵まれていたからだ。
閉店後には、よくご飯に連れて行ってもらったり、営業中でも落ち着いている時間帯は気さくに話しかけてくれたりと、何気ないコミュニケーションが多かった。
バイトも実際続けてみると、自分の任される仕事の量も増えてやりがいもあったし、顔なじみのお客さんとの会話のやりとりが楽しかったりもした。続けたからこそ気づけたこともたくさんあった。


面接を受けた企業も選考や交流会を通して、自分を素直に肯定してくれる人や、場や人を気遣える人、聞く姿勢がしっかりできているから話しやすい人やいい意味でクレイジーな人がいることがわかっていた。

最初の一歩は「自分のため」ではなく、もう一方の「誰かのため」の足を出し、それが喜びとなって「自分のため」になり、また「誰かのため」の足を踏み出すことで歩いていこうとしていた。

自分が見た部分は、企業全体のほんの一部だけだということは重々承知だけれど、自分自身がここで働きたいと思うには充分だった。


あのとき、「やりたいことは何ですか?」に対して、「やりたいことはないです。」と言ったまではいいものの、「やりたいことは入社してから見つけます。」と言葉を続けることも目的、目標を持つこと以外で結果を出せる、僕なりの『動機』も過去のエピソードもその場で話すことができなかったのは、自分がただただ甘かったなと思う。


#就活 #気づき #メモ



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