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シンエヴァを見た

シン•エヴァンゲリオン劇場版:||を公開日に見てきた。普段ネタバレなど気にしないと思っていても流石にエヴァとなるとネタバレが嫌なので、ネタバレのされないほぼ最速の時間帯で見ることにした。
感想としては完全にとんでもない終わりを見せつけられた感覚である。丁寧に風呂敷が畳まれていく気持ちよさと、ファンが日夜想像しては吐き出した無数の二次創作的なものを全力で肯定しているようにも感じたし、絶対にどのキャラも不幸にはさせないように半ば強引ではあったと思うが、救いのようなものがあった。
パンフレットではAパートとされる第3村での部分、綾波レイ(仮称)が農業や人々に触れどんどん人間みを増していくシーン、この人たちにTV版から出会ってれば一瞬でエヴァはハッピーエンドだったのでは、とも思ってしまったが破というスイッチの結果変わったものである。ニアサーも悪いことだけではないとはよく言ったもの。第3村の雰囲気が、昭和初期の農村の感じというか、昔懐かしいジブリの雰囲気を感じた。
このシーン真っ先に思い出したのは、安野モヨコ原作・脚本『よい子のれきしアニメ おおきなカブ(株)』
https://youtu.be/uqeU5a6YgCs
だった、実際に本編でもカブを収穫していたシーンもあり、このAパートだけでカラーとしてエヴァを作ってきた庵野監督自身の私小説でもあるのだなと、感じるものだった。こないだ大学の友達と、復習のために旧劇を見た時に、友達は、庵野監督は、分からないことがいっぱいあるから、それを知って欲しくて、この映画を作ったのでは、と言っていた。シンエヴァでも旧劇と同じ人類補完計画を行うはずである、しかし終末の前にこのパートを挟むのが、この物語が幸せな形で終わることを示していたと思う。
そして人類補完計画が、前とは違う条件で発動させられるのだが、何で起こせるのかは、いまだによく分からないが、25年も考察されてきたようなとても難解な設定から新たに起こせるのは、脱帽だった。何で発動できたのかいまだにわからないが。
補完計画の発動シーン旧劇では、わからないものとしての恐ろしさと絶望を見せつけられ終末に向かっていくシーンだったが、シンエヴァでは、あえてCGを使って無機物感を出していたようにも感じるが、ただのゲンドウが我儘で起こしたヘンテコな儀式のようにも感じさせられた。不安や絶望感を感じさせないようなものにしてる感があった。
補完計画のシーンは、旧劇を対をなすように、展開されていくのだが、ここで旧劇すらも作り直してしまう。もうエヴァがハッピーエンドになるためのショートショートを見てるんじゃないかという感覚になった。それこそ、エヴァにハマってからはネット上の二次創作の作品も見てきた、なんとかしてシンジやパイロットを難解な設定とほぼ必ず起きるであろう補完計画から救うにはと、沢山の作品があった。しっかりとエヴァの世界を理解しようとして、抗うひともいれば、日常的なアプローチで、救ってみようとする人もいた。そのくらいエヴァのキャラクターたちは、愛されていたし、公式での救われない為に二次創作ではなんとかしようと試みられてきた。多くのファンがキャラに対して幸せになってほしいと望んでいた作品でもあるし、だからこそこうやってシンジやアスカ、レイ、カヲルくんと未だに愛されるキャラたちなのだと思う。
マリという存在は、新キャラとしてエヴァをハッピーエンドにするためのキーとして、描かれる。マリは常時キャラクターに対して、常に前向きに接し、最後には補完計画すら乗り越えてしまう。それこそ庵野監督の孤独感とか分からないに対する他者に対する認識の変化なのかもしれないなと感じた。
ファンが望んだキャラの幸せに対して、全力で最悪のルートを決めた旧劇に対する、シンエヴァでは、皆が幸せになるルートを全力で決め込んでいて、発端であるゲンドウや、常にシンジくんの幸せを願う装置的な役割を担わされ続けていたカヲルくんすら幸せにしていて、長年のファンが夢想したものを叶えてしまう。旧劇に対する内省みたいなものを感じたし、今はみんな幸せにさせたいと思う庵野監督は、計り知れないものがあったのだろうと、思って涙が止まらなかった。

小学生からエヴァを見始めて世界観にどっぷり浸かり、おそらく2000年代に作られたであろう考察サイトを読んで、友達とも浅い考察を話し合って続きを待ったのはこの作品が初めてだった。そこから7年ほど経って、話す相手は変わり、最初に好きになった時の友達とはもう疎遠になってしまった。それでもひさしぶりにLINEでエヴァ見た?って勇気を出して聞いた。はじめての、リアルタイムでのエヴァだからこそとても胸に残る作品だ。

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