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演奏会衣裳とジェンダー

先日、後輩のレポートの指導を頼まれた際に、レポートのテーマと後輩の着眼点が非常に興味深かった。「クィア音楽文化」に関する特別講義を踏まえて、自身の演奏活動にどう活かしていくか、関わりがあると考えたか、というようなテーマだったと思う。後輩のレポートを読んでいて共感できる点が多く、ジェンダーマイノリティの私の視点でも考えてみようと思った(この話についてはまたいずれ)。

演奏会で奏者に求められる衣裳

一般的に、男性はタキシードあるいは燕尾服、女性はドレスあるいはブラウスとスカートが求められることが多いように感じる(オーケストラは自由度が高いような気もする)。もちろんTPOは大切だし、室内楽やソロなら映える衣裳を見に纏うことも演奏を聴衆に提供する側として重要なことだと思う。オーケストラなら周りの人と合わせることも必要だろう。「耳」で聴く音楽のクオリティは大前提だが、「目」で得られる情報も聴衆にとっては非常に重要な要素であり、奏者はそれについても考える必要がある。しかしそれはジェンダーやセクシュアリティを否定してまで貫く必要があるのか、とふと疑問に思った。

例えば、チェロを弾く時は脚を大きく広げなければならないが、スカートだと抵抗のある女性の奏者も一定数いるのではないだろうか。低弦やティンパニなどは脚を開きやすく動きやすいパンツスタイルの方が合っている、便利であるように感じる。声楽だと、《フィガロの結婚》のケルビーノや《ホフマン物語》のニクラウスを歌う際に、ズボン役だがドレスを着て歌うこともある。これはジェンダーやセクシュアリティに関係なく、私自身が「パンツスタイルの方が合っているのでは?」と思う例である。ただ、この例以外にも、精神的に「スカートを履きたくない」「ドレスを着たくない」という人もちらほら話を聞く。女性だがスカートよりパンツの方が好きな人もいるし、ジェンダーやセクシュアリティの点でパンツスタイルが良いという人もいる(私は後者である)。だが、実際の現場で求められるのはドレスやスカートで、演奏会用のパンツドレスを販売している店自体が少ない。なんだか時代の流れに逆行しているような印象を受ける。
逆も然りで、生まれた性は男性だが心は中性あるいは女性という人もいるし、外見だけで衣裳を決めるのは果たして正しいことなのか。

ズボン役と衣裳

今まで何回かズボン役の曲を歌う機会があり、《こうもり》のオルロフスキーを抜粋でやった際には1曲のためだけにきちんと男装した。そこそこ好評だった。それはさておき、ズボン役は「女性が演じる男性役」のはずだが、演奏会ではドレスで歌われる機会が多いように思う。「男はズボン!」と言うなら、「男性役」なのだからパンツスタイルで歌うのが筋なのでは?と思ってしまうくらいには捻くれている。しかし、先ほど触れたように演奏会用のパンツドレスを自分用に探してみたが、多くの演奏会ドレスメーカーにパンツドレスは無かった。あっても数着。商売なので需要のあるドレスを作ることは正しい。しかしパンツドレスも全く需要がない訳ではない。現状、オーダーメイドくらいしかなさそうなのが残念だ。

表現と衣裳

なぜ私が演奏会の衣裳についてネチネチ考えているのか。私は、演奏会は聴衆を楽しませるだけでなく、奏者が自己表現をする場であると思っている。演奏を通してだけでなく、ありのままの自分を表現して「個」として知ってもらいたい、分かってもらいたいという意見表明の場であるとも思うのだ。そのような場で自分のアイデンティティや感情を抑制する必要はあるのか。もっと自分を大切にするべきだと思うのだ。それで離れる人よりファンになってくれる人を大切にした方が後々良いことが起きる気もする。そもそも見た目に関係なく、人を惹きつける演奏をする人はどんな衣裳でもきちんとパフォーマンスできると思う。

ただ、やはり現実は厳しいもので、パンツドレスはなかなか無い。しかしここで仕方ないと思うのは違う気もするので、まずは自分の洋裁スキルを活かしてパンツドレスを作ってみたいと思う。他にもズボン役の衣裳も作ってみたいと思うなどした深夜のぼやき──。

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