9月7日 日記

・身なりを綺麗にしている人
先月初めて会った人がいた。
これからお世話になりそうだったので、会っている時たくさん知りたいぞ〜!という気持ちを持ちながらその人といた。
その人の第一印象としては、とても身なりを綺麗にしている人だなと思った。お顔が整っているということではなくて、身だしなみに気を遣っている人という感じ。
世間でそういう人は珍しくないが、特にその人はどこか緊張しているというか、無理をしてるくらいちゃんとしているというか、
そういう印象だった。

その人のことをずっとぼんやりと考えている。
身だしなみをちゃんとしていたし、他人からちゃんとしているように見られたいという気持ちがあるのだろうか。堅い殻を装備することで、自分を守っているようなそういう感じにも見えたな。
そのひとのことがわかりたくて、そのひとのことを考えていたのはずなのだけど、だんだん自分のことを考えていた。

私も、自分はカジュアルな服は似合わないと思っているせいか、ちゃんとしてそうな服の方が好きだ。
私も、自分を守りたかったから、他人には当たり障りのないところを話すことが多い。相手がいくら曝け出していたとしても、自分を頑なに守ろうとしてる。
書き出すと少ない気がするが、気づいた時とてもしっくりきた。

つまり、堅い甲冑で自分を守ろうとしているのは、その人だけでなくて、私もそうだったのだ。
その人を見て、自分を見ていたのかもしれない。
占いとか、友だちから言われるとか、自分以外のところから自分のことについて聞くのと、
こうやって自分で気づいていくのも、その内容自体はあまり変わらないと思う。
ただインパクトが違うな。

自分のことについて、気づいていく瞬間が他にもあった。
これまでの日記のどこかにも書いたのだが、私の最近の知人のひとりに自分を外に出すのが上手い人がいる。
私がそれをうらやましいくらい美しいなと思っていた。
でもそれは私がそれができないからこそ、美しいと思うのかもしれないと最近わかった。
人と関わる上で、自分を理解してもらうことは大切だと思う。だから、自分を理解してもらえるように、自分を表現することも大切だと思う。
でも私はそれが苦手だ。苦手だから、前よりもできるようになったのだと思う。ただなんとなく自分でやると、どこか不自然さがあるとも思っていた。
それは多分正しくて、根本が苦手だからこそ、それでも自然にできる人と比べるとどうしても不自然さがあるのだな、と分かった。とてもしっくりきていた。


こんなに自分のことを書いていてめちゃくちゃ気持ち悪いですね。
ここまで読んでくれる方に感謝はもちろんありますが、どうしてこんなの読めるの?という気持ちもあります。
今日もありがとうございました。

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