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発達ゆっくり息子について【妊娠中から1歳まで】


おはようございます。もりです!
ご覧いただきありがとうございます。

今日は最初の投稿「もりって何者?!」にも少しでてきた、発達ゆっくり息子の話をしようと思います。


お話するにあたって

すこしセンシティブな話になります。
あくまでも「私たちの場合」ということで、どんな選択肢を選んだ方の否定をするつもりは全くありません。

拙い文章ですが、ご容赦ください。


思い描いていたマタニティライフとはかけ離れた妊娠中

妊娠するまでも時間のかかった私たち夫婦の間にやっとやっと息子がきてくれました。

町の産婦人科を選んだ私たち。喜んだのはつかの間で、妊娠初期に「胎児の首に浮腫みがあるので、大きい病院(A病院)で検査を受けてください」と医師から告げられました。


その後大きい病院に転院しましたが、「出生前診断をするなら、検査だけは、さらに大きい(B病院)病院へ行ってください」と告げられます。


出生前診断には賛否両論ありますが、医師から可能性を伝えられている以上、私たち夫婦に断る理由はありませんでした。


「どんな結果になろうとも、私は絶対産むからね」と泣きながら、毎日お風呂でお腹に語りかけていたこと、今でも鮮明に思い出されます。



私たち夫婦は「NIPT検査」を選択しました。
検査できる期間も迫っていたので、説明を聞いたその日に検査し、後日結果を聞きに行きました。


結果は「陰性」


首の浮腫みもその頃にはわからないくらいになっており、一安心したのを覚えています。



その後いわゆる「安定期」に入りましたが、私のつわりは少しマシにはなったものの、依然食べられるものは限られる生活をしていました。

妊娠後期に入ると、「臍帯下垂」に「逆子」「貧血」と問題も山積みです。
特に臍帯下垂は、破水をして臍帯脱出すると危険が伴うので「救急車を呼んでくださいね」と言われていました。


大好きな料理は大嫌いになり、妊娠前は縫い物をしようと思っていましたが、そんな気にもなれませんでした。

全ての出来事が、はじめての妊娠だったこともあり、情緒不安定で落ち着くことの少ない日々を過ごすのでした。


なんとか出産を終えて、今度こそ思い描いていたこどもとの生活

臍帯下垂や逆子も最後の最後で解消され、無事にA病院で出産することができました。
ただ少しだけ頭囲が大きかったです。


寝不足や授乳トラブル、皮膚トラブルに悩みながらも、今思えば尊い日々だった4ヶ月間。

妊娠中いろいろあったけれど、これから先、思い描いていた「普通の生活」が待ってるんだと、心踊っていました。

首が座らないことに少しだけ不安を感じたものの、個性と思いながら過ごしていました。




市の集団健診がコロナの影響で少し遅れて、生後5ヶ月のときに「3、4ヶ月健診」がありました。

最初の医師の健診ではスルーされていた「頭囲の大きさ」

ここで母の勘が働くのです。

どうしても聞いておいたほうがいい気がしました。保健師さんに相談した所、再度医師の診察になりました。


その時に首が完全に座っていないことと、足の筋肉が弱いことを伝えられて、紹介状を書いていただきました。




脳性麻痺と言われて

向かったのは出産したA病院。

頭囲の大きさをやはり指摘され、もし腫瘍があったらいけないからと、その日にMRI検査をすることになりました。


結果は「特に腫瘍などはなく。血液検査でも筋肉の病気ではなさそう」とのこと。

「ただ、脳の中の水が多くて脳自体は小さいです。病名をつけるなら脳性麻痺ですね。」

「これから先、一生立てないかもしれないし、歩けないかもしれないです。脳を成長させる薬はないので、刺激を与えることしかないです。」


と言われて頭が真っ白になりました。


それからというもの、「刺激」を与えるために生後6ヶ月でリハビリをはじめ、いろいろな所へ連れて行き、必死に毎日「刺激」を求める生活をしていました。


コロナ禍もあったり、ちょうど県境に住んでおりA病院が住んでいる県ではなかったので、知り合いの研修医の勧めの病院(C病院)に転院をしました。


しかしC病院では小児のリハビリを行ってないことが発覚し、自宅近くの総合病院(D病院)へ理学療法を受けに行くのでした。

2週に1度病院へ行き、生後6カ月でようやく首が座り、7カ月でお座りが出来るようになりました。

そして1歳を無事に迎えやっとハイハイを始めるのでした。



続きはまた次回。
読んでいただきありがとうございます。

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