血友病vs川崎病vsダークライ 9日目

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起き抜けの腰痛が日に日に悪化している。考えられる原因はいくつかあるのだが、大きいのはたんたの抱っこだ。ポータブルになったとはいえ、酸素と心拍のモニターが常についている状態なので、コードが絡まないように抱っこ紐に出し入れするのが面倒で、結果8kg弱にステゴロで挑んでしまう。

たんたは今、首のすわりがあともう一息で、横抱っこ(お姫様抱っこみたいなの)と縦抱っこのどちらをメインにするか迷う時期である。横だと全ての重みが腕にかかる。縦だと胸にも寄りかからせられるが、どうしても自分で動きたがり、首がぐらつくので常に気を遣う。
実は、もう少し成長すると、多少重くても抱っこされることが上手くなる。バランスをとったりしがみついたりを自分でするようになるので、抱っこする側が大分楽になるのだ。わたこやまめこは、もう抱っこされるプロなのでヒョイと抱えることができるが、眠った(脱力した)状態で抱えると重みに驚いたりもする。

とにもかくにも、アンメルツヨコヨコとガードナーベルトの力を借りて、よたよたとベッドを這い出す毎日なのだった。

またバタバタと朝の準備をし、車に飛び乗っていざ出発。働いていた頃より15分早く家を出られればいいだけなのだが、30分早く起きてもギリギリになるのが人間の大いなる謎である。



病室のたんたは、おでこに傷をつくり、ガキ大将のような顔になっていた。
赤ちゃんは、自分の爪で顔を引っかいてしまうことがよくある。かなり気を遣って頻繁に爪を切っても、悲しいかな切った直後の方が傷が増えたりする。引っかき防止に手袋をはめるという手段もあるが、動きの少ない新生児でもない限り嫌がって自力で外してしまうし、見た目にも邪魔そうで私が苦手なのである。
最初は少しの出血でもビビり散らかし、慌てて傷口を押さえたりしたが、8日目の記事に書いた通り案外大丈夫と分かってからは、基本的になにもしなくなった。入院してから顔の傷は一日一個のペースで増えていたので、看護師さんの方が「先生にお薬だしてもらいましょうか?」と心配してくださるくらいである。病棟は温かいので、汗っかきな赤ちゃんは少し痒くなったりするのかもしれなかった。

夜勤の看護師さんが引き継ぎにきた。ベッドに家のものではないニコーンのおもちゃが置かれていたので、夜の間ぐずって貸してもらったのかな?と思い話を聞くと、
「夜中に起きた時もご機嫌すぎて、興奮してきゃっきゃとお喋りしちゃうので、オルゴールかけてみました」
とのことだった。おもちゃのユニコーンは、下にスイッチがあり、押せばヒーリングな雰囲気のオルゴールが流れる仕様であった。オルゴールをかけてからもしばらくは寝つかず、看護師さんに手遊びをしてもらっていたらしい。お手数をおかけしている。まあ、泣き続けるよりはマシだろうか。



今日は2回目の血液検査と、ヘムライブラ注射の日である。
朝の回診で早速採血の処置が始まるということで、たんたにがんばれ!とエールを送ってからラウンジと呼ばれる待機場所に出た。ラウンジでは飲食や電話も許可されており、平日でもちらほら人がいる。

この病院では、コロナ以降厳しくなった面会制限の一部がまだ解除されずに残っている。きょうだい児を連れていくことはできないし、病室には保護者一名ずつしか入れない。両親とも会いたい場合は入れ替わりで行くしかなく、ラウンジにどちらか片方が残って待っているケースが多いようだ。
毎日通っている中で、意外とパパの訪問が多いな、と感じていた。病棟の貸出用おもちゃを一緒に選んでいるところや、シャワールームに連れていくところなど、すれ違うのは母親よりむしろ父親の方が多かったくらいだ。(残念ながら面会者は病室では食事を摂れないが、)夕食を共にするためだけに仕事帰りに寄った風な方もいて、温かさと寂しさとを同時に感じた。
家族が会いにきている時の子どもたちは、みんな嬉しそうだ。

病気の子どものケア=母親の役割という構図は、もう昔の話のようだ。父親の子育てへの参加については、自分の職場やわたまめの保育園でも、もっと言えば街を歩く家族を見ていても、年々進化を感じているところだったが、病院も例外ではないのだろう。
我が家も、たんたが0歳児でなければ、私が仕事をしている時期なら、入院したのがお姉ちゃんたちだったら……それぞれ違う形で毎日を乗り切らなくてはいけなかった。それこそ、入院した子にパパが、家で生活を送る子にママがついて世話をする形も充分に有り得る話だった。
家族がで負担を分け合い、支え合っていける環境さえあれば、前向きに考えられることがたくさんありそうだ。逆に、その部分で協力を得られない方の苦労は計り知れない。病院のスタッフさんたちは最大限に協力してくださるが、最後に受け止めるのは家族だ。今回の件で、支援の仕組みもたくさんあることを知った。必要な人に届いてほしい。


「終わりましたよー」と呼び戻され、部屋に入るとたんたはケロッとしていた。今回は内出血もなく、注射用の小さい絆創膏が腕にひとつ増えただけで済んだ。

続いて、看護師さんがヘムライブラ用のエムラパッチを貼りにきた。採血ではやらなかったのに?と不思議な気持ちになった。
というのも、よく聞けばこのエムラパッチ、「針を刺す痛み」は軽減されるものの、「薬を注入する痛み」はなくならないらしいのである。

以前書いた通り、血友病の薬は大きく分けて2種類あり、注射の種類としても静脈内注射と皮下注射で異なっている。静脈内注射は刺す時痛いが、薬を注入している間は痛まない。皮下注射は刺す時も注入している間も痛い。ヘムライブラは皮下注射であり、刺す時痛くなかったとしても、その後結局痛い時間がくるということになる。なんというか、痛みをごまかす薬のリスクを補って余りあるほどの効果があるとは思えないのであった。
逆に、採血は静脈に刺すのだから、痛みはほぼなくなるはずだ。しかしエムラパッチは処方されずそのまま刺される。謎である。

一時間後、ヘムライブラを打たれたたんたは、確かに薬を入れられている間の方が激しく泣いていた。注射が終わるとまたスンッとしてすぐニコニコしていたので、大したことはないようである。ただ、大抵の薬がそうであるように、ヘムライブラの投与量は体重に比して増えていく。今後、注射をどんどん嫌がるようになるのはほぼ間違いない。

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自己注射と薬の種類について

0歳児のたんたは、注射となれば病院へ連れて行って打ってもらうわけだが、一生涯、毎週あるいは隔週で病院に通い続けなければならないのか?というとそうでもない。ある程度大きくなった時点で、在宅自己注射を行うようになることが考えられる。

糖尿病の方のインスリンなどが有名であるが、病で日常的に注射を打つ必要がある人は、医師の指導のもと、自宅で自身や家族が打つことを許可されている。私も子どもの頃から父が家で注射をしているところをよく見かけいた(今後のためにわざと見せていたというのもあるらしい)。当時は2日程度しか効果が保たない薬しかなく、すなわち父は2日に1回は注射を行なっていたことになる。また、血友病の薬は冷蔵保存が必須で、クーラーボックスに入れて運ぶ必要があるというのは、現在も変わらないようだ。

自己注射は心的にも物理的にも負担が大きい。その負担を少しでも減らそうと、ありがたいことに薬や注射器の開発を進めてくださった方々のおかげで、今では痛みの少ないものや、回数が少なくて済むよう長く持続する薬がでてきている。
例えば、アレモという薬は、皮下注射でインスリンのように少量ずつ毎日打つ必要がある代わりに、針がごくごく細く、痛みはほとんど感じないという。また、たんたが生まれたのと同時期に承認されたばかりのオルツビーオという薬、こちらは静脈内注射のものであるが、凝固因子の活性の数値でみたとき、血友病でない人と同じレベルを一週間持続できるという画期的なものである。

注射の方法・間隔、効き目、止血の仕組み、年齢や運動量、インヒビターの問題…などによって薬の選択肢は多岐に渡り、選ぶには様々な要素を考慮に入れる必要がある。状況によっては2種類の薬(凝固因子製剤と機能代替製剤)を併用する人もおり、治療の幅が広がっているという。現代では、医師の指示に従うというよりは、ライフスタイルに合わせて相談しながら治療方針を決めていくというのがスタンダードということで、我が子のQOL向上のためには常に目を光らせながら最新の情報収集に勤しむ必要がある。

いずれにせよ、遺伝子治療(根本的治療)が一般的になるまでは、嫌がろうが面倒だろうが定期的な注射は免れない。自己注射が始まる際には、その時々のたんたに合わせてぴったりだと思える治療方針が決め、あとはやたら可哀想がることなく、できる限りあっさりと、当たり前のこととして注射をしていきたいなと思ったりする。

***



朝から2回の注射をこなしても、お風呂に入ってウキウキご機嫌にしているたんたはかなりの大物にみえた。注射を怖がり始めるのはもう少し後のことだろうが、わたこやまめこの予防接種を思い出しても、たんたはひときわ気分の回復がはやい。
実はお風呂に入る前に体重測定があり、みるとほぼ8kgだった。実際にたくましくなっていたわけだ。この日はたんたが生まれてちょうど4ヶ月だったので、母子手帳に体重を記録し、全身の写真もしかっかり撮っておいた。



あっという間に夕方になり、血液検査の結果は良好であった。
明日か明後日の心エコーの結果を待って、大丈夫ならその翌日には退院できますよと言われたので、「早くて明後日ってことですか!?」と食い気味の反応になってしまった。というのも、救急外来にきた当初、最低14日間と言われていたためである。ネットで調べると、川崎病の入院は10日程度とあったので、二週間は長いなあとは思っていたのだが、血友病のこともあり慎重にならざるを得ないんだろうなと勝手に納得していた。お医者さんは大抵、「悪い場合」の方を示すというだけであった。

もう少しで、たんたを家に連れて帰ることができる。ここ数日のことが思い出されて、じわーーーっと喜びが胸に広がった。と同時に、退院についての不安要素が浮かび上がった。入院費についてである。

未就学児の医療費は2割負担であるが、助成金を導入して負担額を減らしている自治体が多く、私たち家族が住んでいる地域では窓口負担がない。そのため、ちょっとした風邪や怪我でも、お金のことは考えず迷いなく受診することができる。しかし、その助成にも限度額はあり、入院となると限度額を上回る可能性がある。なので、旦那さんには職場の事務さんを通して限度額適用認定証の申請もお願いしておいた。これがあると、医療費が自己負担限度額を超えた場合に、保険者からあとでいくらか払い戻してもらえる。
また、血友病は「小児慢性特定疾病(以下小児慢性)」に指定されており、治療には自治体ではなく国からの助成を受けることができる。しかし、たんたが生まれたのが11月、血友病の診断が下りてMSW(医療ソーシャルワーカー)さんから制度について教わったのが12月、主治医の診断書を受け取ったのが1月、それを旦那さんの職場に出して手続きをし、最後の書類が揃ったのが2月…先々週のことだった。もう、あとは保健所に出すだけだったのだが、間に合わなかった。
いや、そもそも小児慢性の申請が済んでいたとしても、今回は川崎病での入院である。川崎病そのものに対する医療費の助成はない。前倒しで始まってしまった血友病の注射の部分だけ適応されるのだろうか?入院中に知らぬ間に処方されたプロペト(顔の保湿)や亜鉛華軟膏(おしりの保湿)も全て入院費の扱いなのだろうか?
うーん、ダメだ、調べてもわからないことだらけである。

こんなとき頼りになるのが病棟クラークさんであった。いわゆる医療事務さんである。看護師さんに相談すると、すぐにクラークさんが部屋に訪れ、状況を確認してくださった。
「入院の時に出していただいた受給者証で、お住いの地域の【子育て】が入っているので、窓口負担は食費以外はないですね」
とのシンプルなお答えだった。【子育て】とは、自治体の助成のことだと思われ、それで足りるのであれば安心だった。小児慢性の申請が通ってれば、食費も半額ほどになるらしかった。

その後、地域の保健所に電話して確認すると、小児慢性の助成は申請から1ヶ月は遡って適応できるとのことだった。更に、今回のように急な入院で申請が遅れたなど特別な事情がある場合には3ヶ月前まで遡れることにもなっていた。

すごい。

率直な感想だった。何がすごいかというと、これらの制度を必要だと感じ、確立するために行動した人がいるということだ。
子どもの医療費も、血友病の医療費も、最初から無料だったわけではない。父の幼少期には、郵便局(当時は官営)に勤めていた祖父の稼ぎはほとんど父を生かすための薬代に消えていったという。つまり、この50年の間に誰かが働きかけた結果として手に入った権利なのだ。当たり前だと思ってはいけない。権利は、主張する人がいなければあっという間にないものにされてしまうかもしれないのだ。


この間、たんたは長いこと昼寝をしていた。難しいことを考えていて疲れたので、私も部屋の窓際にあるカウンターに突っ伏し、仮眠をとった。都会の真ん中にいるとは思えない静けさだった。



家に帰って、たんたの状況を話すと喜んだのは姉ふたりである。「はやく会いたいよ〜」「今日の写真見せて!!!」とくっついてくる。そしていつの間にか喧嘩になっている。
なるべく早く連れ帰りたいが、病院と比べてうるさすぎて、たんたはちょっと嫌かもな、と思い、笑った。


10日目へ続く

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