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宗教と、科学の統合!デジタル構造宇宙空間理論(次元の迷い後に成らぬ様ブックマーク!)


このnoteには、既に間違いが、ふくまれておりますが、その件に付きましては、以下をお読みください。「現在準備中」ですが、お読み頂きたく願いたてまつる。

光速「C」と空間に見受けられる、光と時間の関係。並び、神仏と人の関係

光速「C」=30万㎞/秒=30万Km÷1秒=30万Km×1=30万㎞秒

。時間の意味を考える時、時間は、空間と言う一巡の中で、時が、駒をすすめる乗り物と考えたり、意識が、空間と言う入れ物を移り行く、箱と考えるなど、様々に、考える事が出来るが、考えを、光が、運動する事と、考えると、時間は、時が、動く距離であると考える。
よって「光速=1秒と言う時間に、進む、光の進む距離」
「子宇即」「恣意」「意子宇瑠」」「三充満・気路目意渡瑠・舞い・描」
「意子得瑠」「参充満・来路・目意都瑠」「輪留」「位置・平」
「異子得瑠」「産充満・期路目異十瑠」「華家瑠」「異地美世宇」
「意越宇瑠」「酸充満・帰路・芽意渡留・描」
余津手、「子宇速」「異子宇瑠」「異智描・渡・意宇・自冠荷」、「晋」、「非可理・野」。「煤夢気余理」
距離は、長さであり、30万キロメートルが、1秒間に進む距離なら、時間で、割らねばならず、この式は、時間で、割っていないので、長さ、距離である。
割らずに、掛けているという事は、その速度で、時間が進んでいる距離で、ある事を意味している。
以下をお読み頂ただかれる前に、noteをブックマークする事をお勧めします。本文中に、修正、加筆修正する場合、及び、下部に貼り付けてある、noteを更新、又は、その中のnoteを更新する場合があり、又、今後、この、コロナ時代に生きる皆さん方と共に、新たな時代を歩んで行く為に、協力し合う必要も出て来る場合もあるものと思われますので、ある意味お願いでもありますが、ご本人様自身の問題でも、ありますので、お勧めするものです。
これによりて、光速である光を吸い込むブラックホールは、
「子霊荷拠り手」、「子宇即・出・有る・非狩り・宇御」、「素意混む」「舞羅津久保宇瑠」「波(輪)」、
この宇宙と、違って、時間の進む距離が、光速より速いと言う事であり、時間が、早く過ぎ去る事を意味し、すなわち、光に、とっては、過去に向かうトンネルである事がわかると考える。
「子野・宇智游・徒」、「智我津手」、「自冠・野・煤夢・気余理・我」、「子宇即・余理・波耶異徒・異宇・事・出有理」、「自冠・我」、「葉薬・素疑瑠・個渡・得御・異美・志」、「素縄智」、「非可理・荷」、「都津手輪」、「華個爾・夢華宇・遁寝瑠・出・在留・個都・我・輪華瑠」。
しかるに、光速でない我々が、そのまま、巻き込まれた場合、どの様に成るか不明で、今回それが、火急の命題でもある。
「死狩る荷」、「子宇即・出・奈意・輪霊割霊・我」、「祖野真間」、「魔気子真霊他場相」、「度乃用荷・奈瑠・華・歩目異・出」「魂界・反霊我」
、「可気癒宇・乃・迷題・出喪在瑠」。
一方、光を放出している太陽や星は、時間を進めていると言えるのであり、この光と言う時間の、進む距離が、30万Kmで、時空の形であるが、3次元をすきまなく、埋める、最低単位の為には、光の基本の形は、正三角形の、ピラミッド「比良身都土」、から成る、18面体「自癒有八面多意」、をしており、この、ピラミッドが基本単位で、その、一つの一辺の長さが、1秒「位置平」辺り30万キロメートル「三充満気路目意都留」、と成っている。これが、この空間「喰宇感」をあまねく構成「向正」している、形「可太刀」で、空間の、粒「津部」の大きさと成る。
全体「善他意」の形を申せば、まず、縦「多手」に十字「自癒宇時」を描いて交差する二つの異なる面の交わりと、縦「他手」に斜め「奈名目」を、クロス「苦炉素」に貫く面、次に、横「余子」に十字「時癒有自」に貫く面と、横(世子)に斜めをクロスする面、縦(多手)に4面「死免」(余免)、横(世子)に4面「閉めん」の(世免)「読めん」「読め円」の8面「波智面」「耶免」の、(病めん)「辞めん」が、貫く構造「子有増」が、正確「性格」に、折り合って、阿弥陀(あみだ)の、網(あみ)を、形成「化意正」し、正三角形「聖参華久系」を、底辺「手意編」としたどこから見ても、正三角形「静酸華久系」のである、光「非可理」の粒「津部」が、集まり、正六角形「聖炉華久系」のハチの巣「8の素」を形成し、YHWY「ヤハウェ」「八波宇恵」となっていた
H(叡智)は、そこを走る(波知瑠)「時間」「自冠」の形でW「陀舞龍」にはV「舞意」が、二つの意味「意身」を持ち、ひとつは、「神」で、もうひとつは、「仏」の意味で、Wは、2度目「荷止め」の勝利(正理)の意味を持つが、宇宙を、遍(阿真音)く、流れる波「名身」の形「可太刀」でもある。このH「叡智」の上下の二股「歩他真多」にY「輪意」が付き正六角形「聖炉苦架津敬」と成っている。ここに出来る、Y「輪意」は、この三ツ矢「蜜耶」の形を表わしており、これは、用いられた「Y」でもあるが、神と仏を、父、母とし、生まれた「人」を表わし、この三つが、揃い、輪意を、意味する、「Y」とされ、正六角形のハチの巣をもって、YHWY(ヤハウェ)とよばれる、神の正体「招待」とするものであった。
なお、アラー「吾羅輪」、アッラ「吾津羅」も、宇宙全体、世界全体を意味する。ただ、アラー、アッラは、全体そのものであるに対して、耶波宇恵意「ヤハウェ」は、その段階、段階を治める「父」「智治」の事を意味する。また、日本古来からある「わらわ」は、と言う「わらわ」には、この「吾羅輪」(アラー)と言う意味が、含まれていたと思われる。
まず、Yを、逆に使い、二股にHをつけて、下の二股にもYを付けて出来る、正六角形から、成る、ハチの巣の箱の、Hの中央の線に充る面に流れる気、からなる、中心の神の座(を)YHWYであらわしていた。
この「H」の中央の線は、ハチの巣の中央に、出来る、面を表し、ここに、仏が座し、無為・無位・無畏で、無意を貫き通している
この中心のハチの巣が、仏であり、神であるYHWYであるが、このひとつ、の正六角のハチの巣の周りに六「緑・禄・録・肋・碌・麓」のハチの巣が、6×6=36 碌麓参自癒宇麓の御麓「弥勒」と成っており、又、こNO[の」、「Y」(輪意)は、「仏・神・体」を「真」とする、三ツ矢「蜜耶」の宴をも、意味する意味「異身」を持っていた。
なお、この36から成る、弥勒の構造と、三ツ矢を意味する身内の構造、及び正三角形を意味する基本構造から成る正三角形を底辺とする、どこから見ても、正三角形の三角錐の構造は、限り無く縮小、拡大出来るが、ふたつに、分岐する時、要らぬ旗印の構造が出来る事と成るが、これも又、宴を新たに掲げる仕組みに繋がる為に、涙を呑んで苦痛を味わい、新たな旅に出る事を意味し、その為、智と地で血を見る事、もある、争う火急の舞台と成る事もあり、現在別れた国々に、まとまりがないまま、このコロナ時代を治めるに当たっては、一致団結して、一刻も早く協力しあい。本当の宴をあげるべき時が、来ており、隠している秘密を、即刻、怪我の無い様に、知らせ合い、皆が、真実の宴の舞台に、上がれる様に、協力し合い、学びの習得と、より高い知識では、測れない智慧、の学習に励める場を、皆が持てる様、協力し合うべき時が、来ている事を知らせており、私の察知するところ、予期せぬ事態で、本番に入ってしまっている事に、怒りの声を上げ、現実と、舞台の幕切りの事を意味する、「事の違い」を見極めらず、その意味との違いに、気付いてないままでいる首脳の方もおられる様に、見受けられるが、既に、舞台は、幕切りと成り、火急を争う事態である事を、認識すべく、知らせるべきで、まだまだ、舞台を演じている国も、あるのか、領土侵犯の情報が、最近に及んでも流れていた。
今回、火急を要する課題は、下記、数式から、ブラックホールと言う宇宙の閉ざされるノットバンとの関係を計算し、その問題解決を急ぐ事であり、ブラックホール内にある、別の宇宙には、逃げ出せそうでは、あるが、途方もない期間、この宇宙が、閉ざされる為、その間、その宇宙をさまよう事に成る為、まず、ブラックホール内の宇宙時間の計算と、宇宙の収縮を、解決する事である。
どうやら、安全に、この宇宙を別の位相に、そのまま移す方法が、ある様で、それは、三回左右に時空の時間を動かし、網を掛けてから、消す方法に、カギが、ある様であるのであるが、未熟な私には、まだ、習得出来ておらず、この宇宙を守ってあげられるか、わからず、とにかく、まず、各国に於いて、自国の国々内の、経済的保障と、平和の実現を急ぎ、皆が、全員一致で、自分の使命と、喜びに励める様に、世界が団結し、取り組み、このコロナ(子路名)時代の正しい幕開けが、出来る事に注力し、万国が、万国の名にふさわしい国々の在り方を見直し、万民幸福と平和の願いが叶う様、急ぐ事が、新しい時代と次元への、幕開けであり、皆で、協力し合い、この地が、天国、浄土と成るべく取り急ぎ、励んで頂きたいのです。
なお、ブラックホールの発生には、原子炉や、核兵器の使用にも、関係が、見いだせそうに、思えるのですが、その辺りの関係と、宇宙とブラックホールの数、大きさ等から、宇宙の終焉の時期に、危機的、関係がないかまで、一刻も早く調べる必要性があり、緊急の課題と成っているのです。


時空に関する、物理、数学、の数理的考察の結果!

数式に関しての説明。
以下に於ける数式は、実は、未来の数式であり、現在を超越した式でありますが、それに関してお話ししていきます。
なお、以下に置きまして、科学式を、数式といたしておりますが、これは、物理に於ける数式の序章である為に、「数式」と、致しております。

実は、以下に書かれた式が、おそらく、4次元の数理で、父が、それ以上の次元の、式を与えるはずは、ないと、考えるからです。
ただ、もしかしたら、誤って、今までの世界に合わせようとした時に、誤り、間違いが、入っていないとは、限り得ませんが、おそらく、大丈夫のはずです。
高い次元に立つと言う事は、逆に自在になる事で、その為に、今まで縛られていた、式に、お別れし、自由に使える式にする必要が、あるのです。
「しき」は、「式」「識」「指揮」を基本とし、
「意識」「数式」「雅楽指揮」が、根本と考えます。
その為、以下の式は、理解不能に見えるのですが、この式を解き、理解する為の、お手伝いまでは、したいと考え、こうして、話しを、しているわけですが、それから後は、皆さんの、手柄(てがら)です。
それでは、まず、はじめに、世界が、八身(やみ)であったことは、お話ししましまたね。そして、吾身(あみ)であった事も、お話ししましたね。
どういう事かと言うと、世界は、「十」と「×」が、クロスした。八つの面から出来ていて、その八身(やみ)が、無数に集まり、三角(味覚)を、基本とする目が、くまなく織り合わさり、網(あみ)に成っている事も、お話ししました。
実は、光「非か理」は、その網「吾身」をくまなく行きかう電気「伝記」の様「陽」にとらえるべきであり、底「祖子」から放出されているのが、気であり、また、光子「神子」であり、又、真「神」には、物質「仏室」も、人「非十」も、その気「奇」によって、構成されているだけなのですが、複雑に、構成されている思考が、様々に、あらゆる事を規定し「期帝四」、逆「疑ハ共」にその為に、硬い物や、柔らかい物を、作り出し、色や、光や、臭いや、音や、味や、感触(かんしょく)と言うモノを、創り出し、様々な、法則も、創り出していたのです。
そして、これら五感と精神を合わせ身六「弥勒」のハチの巣と成っていたのです。
こうしたものは、全て皆「実名(みな)」の、名身(なみ)つまり、「波(なみ)」によって、創られているのです。
光も、そのひとつでは、あるのですが、本当の光は、実際に観察できるものとは違い、光ったり、色を放ったりしません。
本当の光は、八身(やみ)を走る、気です。
電気で言えば、電線を流れているままの状態です。
そこから出る、陽気が、実際のひかりです。
ひかりの性質は、既に学んでいる様に、秒速、30万Km/秒(三充満舞い平)で移動する、どこでも、同じ速度で、移動すると言う性質を、持っています。
つまり、正三角形の面を、充満すると、移動する。充満とは、三回を三回繰り返す事で、面を形成し、同じ様に繰り返す事で、立体を形成する。
つまり、3×3×3=27回です。あるいは、底面を入れ30回
これは、実は、時間「耳管」を、規定し(気帝士)ている事を、認めている事を、表わしているのですが、現在の時点で、それを、説明するまでには、至っておりません。
ですが、話しを、進める中で、おいおい、わかってくるとおもわれます。
まず、ひかりは、線のようにとらえるうべきもので、三角形のあみの目を、くまなく走っている気で、ここから、放出された、抵抗を帯びて、本来の、スピードを、失う形で、逃げだして来た、陽気で、その為、次元、時空ごとに、違うのですが、光って見えるのが、陽気で、あみの目を、走っているのが、本来のひかりであると、現在、考えております。
その為、時間の、「速度」を、決定しているのは、その宇宙を、構成している、この三角形の一辺の長さなのですが、この長さを、規定しているのが、この時空のひかりの、速度であると、言う事に、成ります。
時間には、じかんの速度、というのが、あり、それによって、時間の、感覚や、年齢の重ね方の度合いに、違いが、出るのであり、真の意味での、共通の時間と言うものは、存在していないのですが、4次元空間の、時空の旅の夢を、現実のものとして、楽しめる様に、新たに仕組まれた仕組みであり、それは、この世の先駆者たちに、よって、もたらされた、新たな、時代の幕開けでも、あったのです。
コロナは、わたしの前に、とつぜん現われた、新次元です。
ですので、わたしは、まだ、準備が、出来ていなかった為に、とんでもない、経験の末に、今に、至っているのですが、それは、さておき、話しを、続けると、質量と言うのは、簡単に言えば、抵抗値です。
物質は、ひかりを、吸収するひとつの、ブラックホールで、透明なものは、別として、ヒカルものや、反射するものは、すべて、ぎゃくに、ホワイト・ホールの、はたらきを、しているのです。
太陽や、月は、ひかりの、ホワイト・ホールで、月は、別ですが、太陽は、神の身体のホワイト・ホールに成っている可能性が、有ります。
そして、下記、式で、難解に、感じられるところは、光、における、時間の、速度と、時空における、時間の速度が、同時に、表記されているところであります。
その先にある、「J」(ジュール)のひかりの、速度の、計算なのですが、もしかしたら、ここは、わたしが、後で、書き換えた為に、逆に、難解に、した可能性が、あるのですが、単位が、立方メートルで、表記されております
これを、理解するのは、実は、現在の私にも、できておりませんが、ひかりが
面を、くまなく満たすのに、必要な数値になっているのではないかと今の所そう、考えている所であります。
実は、この式を最初に、計算したとき、単位に関する計算は、しておりませんでした。
ほんとうには、そちらの方が、ただしく、ただ、今の時代に、あわせる為にそうしたのでありますが、しかし、今、と成っては、実は、それは、何か、急ぐ理由があり、あえて先回りして、そこまでを、計算する必要が、あった為と、理解いたしております。
先ほど、いきなり現われた新次元だったと、申しました、その出来事が、生じる前までは、確かに、初めて経験した、経験だったのですが、実は、私には、昔、今見ている人の誰かだったかの記憶や、時には、見ているそのアリだった、記憶を思い出す事が、度々あり、又、キリストだった記憶もなぜかありました。おそらく、それは、昔、全てのひとを体験した記憶のなごりで、実は、すべてのひとが、ただ、それをわすれているのであろうと、考えておりましが、自分に関する記憶は、ありませんでした。
ところが、このコロナの時代に入ってから、自分の記憶に関しても、思い出す時が、はっきりと、ある時も、ある事が、あり、つまり、それは、この人生も、ほんとうには、はじめてでは、ないことを、さとる様になりました。
そこから導き出される事は、「J」を、線として、捉えていては、間に合わない為、今回、線を止めて、立体として、計算しているのでは、ないかと言う事です。
ほんとうには、立体として、とられまでに、進めて置くべきであるのですがむずかしく、なり過ぎるので、その時が、来るまで、面として、計算する、方法を、先に考えて、それから、つぎに、立体として計算する方法を、編み出せば、早いと思われ、皆さんに置きましては、先に線として捉え、考える方法から、あみだされても、もしかすれば、楽に辿れるのでは、ないかと、考える次第で、あります。
次に、以下の式に於いて、質量に関する計算の仕方についてでありますが、質量は、縦×横×高さであります。
なぜかというと、その質量を持つ時空であり、時空の移動していない、体積を表わすからです。
ということは、3乗(じょう)を、逆に計算すれば、良い訳で、おなじ数で、3回割ると、その量に成る様に計算すれば、線が、できる。
質量×長さは、物が、移動する距離です。つまり、時空が、移動する距離を表わしており、そこに、時間を掛けた「式」は、時間の速度という事に成ります。
ひかりに於ける、時間の速度は、ひかりの、質量が、移動する距離ですので、元の30万Km/秒に戻る訳ですが、[量/30万Km=30万Km/秒]が意味する所は、ひかりの量は、測れない程小さい訳ですが、それを30万Kmで割ると、ますます、小さくなり、それが、秒速30万Kmの時間の速度を持つと言う事に成り、実際の光が、途方もない速度で、時間を過ごしていると言う事です。
地球の時間の速度を計算する場合は、地球の質量を計算する必要が出て来るのですが、これは、自転の速度と一致しなければ、おかしいはずです。
次にブラックホール内の時間の速度の求め方ですが、これは、ブラックホールの重力から割り出せるはずで、重力とは、なにかと言うと、質量の持つ引力ですが、質量を力の単位に、おきかえたもの、であることは、以下で述べてあります。
いま、私に出来る説明は、ここまでです。
念の為もう一度触れますが、上記をお読み下されば、分かる通り、単位的、空間の粒の形は、正三角形を底辺とする、三角錐です。
もちろん、理窟の上では、立方体でも、おかしくない様に感じられます。
ただ、空間を、くまなく、埋めつくす為の、最小の単位は、三角形から成るピラミッドであり、この構造で、縮小無限に構成されているのが、真の空間構造であると、言えるからであり、現在、時代は、デジタル時代、ですが、実際の、技術的な仕組みを知りませんので、実際には、もう既に、理論的な事は、既知、であるのかも、分かりませんが、確かに、空間は、必ずしも、デジタルに見られる様に、最低単位としての、粒の揃いが、あるとは、まだ、今の所、断言し切れるまでには、至っておりませんが、雷などの現象が、起きる地球の空間は、少なくとも、デジタル構造が、あるが故、起きうる現象と思われ、又、それとは、別に光の速度が、一定の速度である事からその原因について、考え直す時、この、note全般から、その結論に達した事で、あります。
その糸口は、光が、どこに於いても、速度が一定であることから、時間を、測る定規の役割を演じている所であります。

新時代の数理と、ヒント!

これは、新たな時代の数学の基礎を形創るもので、今までの、数学を、より理知ある数学に高めるものであり、名前の付け方と、定義の仕方を誤ると、0「ぜろ」又は、「れい」を、「量のない点」として、それらが、集まり「量のある面」に変って行くと言う無知なるものに成ったり、また、「無」と「ない」と「場」との違いを見失ったりする、と言う、誤算や、間違いを犯す結果と成った、事を防ぐ、第1歩として、始めなければならい時期に、達している為に、始まる数学であり、それと同時に、これから、始まる、「空間」及び、「時間」の解明と理解の出発点ともなるべくして、生まれた理法解釈の為の、数学であり、数学は、当然ですが、創造されるものでも、あると言えない訳では、ありませんが、真理に働く理法を理解する為の、手段であり、絶対のものでは、ありません。
また、定義は、一意的に定めるものであり、統合する場合には、当然過去の定義は、改め治すべきものであり、いつまでも、過去を、引きずったままで前へは、進めません。数学の基本は、「かず」であり、「すう」が、先を越えて解釈したのが、現在までの数学でありした。
それは、ここまでを、歩ませる為の、神々の手段であり、もう既に、コロナ「子路名」と言う、家路を歩く道に、入ったのですから、それに、相応しい道を歩んで行かなければなりません。
まず初めに、お断りして置く数に対しする考えに関する事は、確かに、今まで、量と言う領域のない、0と言う点や、線は、ありました。
 しかしながら、量のない点が集まって、量の「ある」点に成ると言う、途方もなく、簡単な矛盾についての答えに答えていませんでした。
 ここで、考えて頂きたい事は、「量」とは何か?と言う点で、あります。
それについて、話す前に、下部に貼り付けてあるnoteを、ご覧頂き、
「無」と、「ない」と、「場」と、「0」と、「点」の違いについて、確認頂きたいのですが、「量」には、「領域」が、伴い、「無」は、物の本質、その物のソースであり、全体と同化した状態をいいます。
下部 noteにおいても、点については、触れていませんが、それは、現在まで、定義が、混沌におちいっていた為であり、上記の区別が、曖昧であった為です。
面における点は、決して、「無」では、ありません。
もう既に、面は、有(う)の中にあり、「ある」より後に「生まれた」ものです。
「無」は、「ある」の中で、「ない」を、演じて来たものです。
しかし、「ない」は、「ない」であり、「無」は、本質、ソースです。
そして、点は、面の本質である「無」であると、しても、この「無」は、本来の、「無」とは違い、「場」に充ものです。
つまり、「無」の演じる「ない」ではなく、「有」です。
面は、実在するものです。
「実在」するものは、「実在」であり、形を変える事は、ありますが、「実在」の本質としての「有」に、帰す事は、あっても、「実在」でなくなると言う事は、ありません。
これを、理解する事は、非常に難しく、説明するのは、骨が折れますが、「本質」と言うのは、全てになる「無」の様な、「全体と同化する」事をいいます。
「実在」の本質は、元の「有」であり、表現するのは、難しいですが、たとえば、消えてなくなったとしても、それは、時間という記録の中に埋没しているだけ、その時間に戻れば、ちゃんと存在しているのです。
そして、点についてですが、「点」は、まず、「量をもたない」のであると定義しても、「無」ではなく、「有」です。
「有」は、実在する「ある」です。
それでは、「有」における点を、「量を持たない」と定義し、点を考える時「場」における、「点」を考えた場合、面には、面を埋め尽く「有」の中の「点」について考えなければなりません。
「有」である以上、「実在」です。
これによって、「点」も、「実在」であることが、理解されます。
それでは、実在とは、具体的に、どういうものでしょうか?
たとえば、「目に見えないもの」を「実在」と呼べるでしょうか?
幽霊でさえ、「実在」と呼ぶ人は、少ないはずです。
「音」は、確かに、「実在」です。
しかし、「音」は、「聴覚」の世界であり、「視覚」の世界とは、違います「面」は、「視覚」の世界に属しますが、「視覚」には、盲点というものがあり、見えない点、があります。これは、目によるものですから、立体の世界です。それは、立体に於ける点です。
確かに「盲点」は、目の、機能か、構造によるものと思いますが、
数学に、これらの、視覚の、特性上のものを、持ち込んでも、説明は付きますが、それでは、ほとんどの方が、納得されないはずですので、そちらの方が実は、この理論を説明するのには、もってこいなのですが、なぜなら、それらが、隠れる点の存在の証拠となり、この時空が、デジタル的な構造である為に、生ずる見えない穴であると言う事の裏付けになるからです。
しかし、その為には、目の仕組みに至るまで、くまなく、知り尽くさないと、出来ない事でもあり、今の私では、力量不足です。
元の話しから、それましたが、「面」に於ける実在とは、面に於ける具体性があると言う事です。
たとえば、「量を持たない点」を、「点」と定義するなら、面を質の違いにより、三分割した、分岐点に、見出だす事が、できます。
しかしながら、この点に本当に、量が、「ない」と断言出来るでしょうか?
思考上、「ない」と言う「点」や、「線」は、考えられるかも、分かりませんが、しかし、「ない点」が、どうやって、「存在」出来るのかを、考える時、それらは、人間と言う無知にしか、ありえず、「神にすら出来なかった0除算」と言う言葉を見た事がありますが、それは、「神だからこそ出来なかったのです。」
量を持たない面は、領域をもちません。
領域を持たず、点と言う具体は、存在出来ません。
確かに、人間は、虚数などの領域を発見しました。
虚数は、実在ではない世界にある「存在」とかんがえます。
ですので、これらとの、整合性を加味するなら、見えない点を、考慮するべきでしょう。
しかしながら、ここには、それらの違いについて、きちんと、整理し、区別する言葉を設け、区分し、使い分けないと、現実と架空の区別がなくなるのと同じ様に、理知に混乱を招き、現象世界をコントロールする術を失い、パニックを引き起こすと言う、現実の問題となり、夢見る世界の創造を、大幅に遅らせ、それだけに留まらず、現実の問題としてやがて、自分の現実として、襲って来る事を、肝に命じるべきです。
たとえば、私は、ドラマや、映画の世界が、実際にあると言う考えに立ちます。
しかしながら、その考えは、架空と現実の境界線を破り、実際に、そこで繰り広げられる危険な物語を、現実のものとして、思考し、恐怖を、味わい、危険なドラマの中で生きると言う結果をもたらし、現実の世界に於いても、狂った考えを、持ち込む事となったのです。
ですから、その人が「0除算」で、救われるなら、タブーを破り、「0除算」も、いいでしょう。
しかしながら、正直、「0除算」について、詳しく知る訳では、ありませんが、これを、世界として、公に受け入れるか、どうかは、その世界が、決めることです。
ですが、真理と言うものは、真に、真理であるからこそ、真理であり、真理は、絶対に、働いており、長く繰り返す、人生の繰り返しの中で、やがて気付く事は、人間が、何度も生まれ変わると言うプロセスを経て、智慧を付けた様に、やがては、智慧を、付けて、霊的成長に目覚め、馬鹿げた道のりであった事を気付く時が、必ず、やってくるのです。
そう言った訳で、理知に整合性を持たせると言う事が、如何に、重要か、お分かり頂けた事と思います。
それでは、ヒントの話に戻ります。
まず、正三角形をふたつ合わせると、一辺の長さが全て同じ四角形の立体、と成ります。
これは、点が、ふたつで、2点間距離は、0か、又は、引っ付けた面の面積です。なお、0は、「ない」ではなく、無です。それは、存在に「ない」は、なく、根源、ソースにある事を意味する、「無」を表わし、この場合、距離が、無である事を意味します。これらに、関するnoteを下部に載せてありますので、不審に思われる方は、先にそちらを、お読み下さい。
つぎに、この三角形は、面に於いても、立体においても、無限に縮小、拡大出来る構造を持ち合わせている事。ただし、縮小の場合は、最低の点を光が、規定していると洞察される。
この規定する最小値は、先に述べた、光が、驚くほど速い時間で時を過ごしている事に成ると言った、距離から、割り出されると思われる。
そして、単位的、面の素を、「面素」、立体の単位としての粒を、「体素」と、すべきと考えます。なお、異次元に置きましては、これらの様に、単一の、単位と成る「光」と言う線は、必ずしも当てはまるとは、限りません。
しかしながら、異次元、と言うのは、直接の手段で、行けるものではなく、それらの理由の為、ブラックホールは、同じ空間の内部に、存在している為同じ次元の範疇に、入るものであると、言えます。
つぎに、面素が、六つ集まり、正六角形を、形成した形を、「面基」とし、その周りに、又、正六角形を描き、そこで、正六角形を、構成した場合に、外側に出来る、正六角形の、半分を使い、18個の正三角形で、正六角形が、できます。その六角形と、元の六角形の、円としての滑らかさは、この円の、一辺の長さとし、その度合いを、「円度(END)」とし、元の正六角形を、0とするか、1と置くかでありますが、それは、個原点とし、第1度と、定め、次の六角形を、第2度に、して置いた方が、0(ゼロ)を「ない」と誤解せず、誤算や、理知に外れた、数学が、生じないのでは、ないかと存じます。この、一辺の長さを、現在の、数学と区別する為、外に作られた、正三角形の数で表し、三数線円個数「さんすうせんえんこすう」と名付けるべき、と考えます。
ここで、実際に、正六角形を描き試してもらうと分かりますが、この六角形は、中心から、六方向に向かう線と、その線から成り、その線の、中心が、実際の「0」と言う点と、成ります。又、正六角形の、外側に、向かって、生じる線は、全て、同じ太さに成ります。あくまで、線を今までと、同じ、線として、線を、捉える場合は、その線は、量を持たない線分である、線として、これらの、線と、区別する必要がありますが、それを、三数個数線、と、線とで分け、量を持つ点として、正三角形を「有量点」と、名付けるのが、適当かと、考えております。
又、点に関しましては、0である「無」と、定義すべきなら、先に述べていた様に、正六角形の中心を、0とすべきで、0を点とする時、有の量点と、無の量点に、分けるべきで、「有量点」「無量点」とに、分けて、きちんと区別して、誤解の生じない様にして置くべき時と、考えます。
次に、空間に於ける、物理上の、関係数式と致しまして、時空と、空間は、基本的に違い、時空としての計算と、空間上の、各、物質の、構造を省き、質量的その物質、物体の宇宙時間の計算が、あり、先にも述べました様に、物質は光を吸収しており、その意味で、ブラックホールの働きを、していると言え、下記数式としています、科学式に、見える式に、応用して頂きたく表記致しております。

数式と再度参考分

下記、式で、難解に、感じられるところは、光、における、時間の、速度と、時空における、時間の速度が、同時に、表記されているところであります。
その先にある、「J」(ジュール)のひかりの、速度の、計算なのですが、もしかしたら、ここは、わたしが、後で、書き換えた為に、逆に、難解に、した可能性が、あるのですが、単位が、立方メートルで、表記されております
これを、理解するのは、実は、現在の私にも、できておりませんが、ひかりが
面を、くまなく満たすのに、必要な数値になっているのではないかと今の所そう、考えている所であります。
そこから導き出される事は、「J」を、線として、捉えていては、間に合わない為、今回、線を止めて、立体として、計算しているのでは、ないかと言う事です。
ほんとうには、立体として、とらえるまでに、進めて置くべきであるのですがむずかしく、なり過ぎるので、その時が、来るまで、線として、計算する、方法を、先に考えて、それから、つぎに、面、立体として計算する方法を、編み出せば、早いと思われ、皆さんに置きましては、先に線として捉え、考える方法から、あみだされても、もしかすれば、楽に辿れるのでは、ないかと、考える次第で、あります。
なお、三十万は、三充満であるところから、面なら、3×3=9回
立体=9×3=27回
が、正しい計算式では、ないかと予想されますが、もしかすれば、そこの一回を足し、30回が、正しいと思われます。こちらの方が、三が、多い為!
現実には、何かで、実験結果と照らし合わさなければ、何とも、言いきれないが、以下続きをお読み頂き、先生方のお知恵で、納得させられる理論にまで、高められないでしょうか?あるいは、私の論拠をそのまま使い、納得される手立ては、ないでしょうか?
これらに、対する権利は、要求いたしませんし、名誉に置きましても、望むものでは、ありません。
次に、以下の式に於いて、質量に関する計算の仕方についてでありますが、質量は、縦×横×高さであります。
なぜかというと、その質量を持つ時空であり、時空の移動していない、体積を表わすからです。
ということは、3乗(じょう)を、逆に計算すれば、良い訳で、おなじ数で、3回割ると、その量に成る様に計算すれば、線が、できる。
これを、再度、その式の答えに充てて、時間の進む距離を、割り出します。
質量×長さは、物が、移動する距離です。つまり、時空が、移動する距離を表わしており、そこに、時間を掛けた「式」は、時間の速度という事に成ります。
ひかりに於ける、時間の速度は、ひかりの、質量が、移動する距離ですので、元の30万Km/秒に戻る訳ですが、[量/30万Km=30万Km/秒]が意味する所は、ひかりの量は、測れない程小さい訳ですが、それを30万Kmで割ると、ますます、小さくなり、それが、秒速30万Kmの時間の速度を持つと言う事に成り、実際の光が、途方もない速度で、時間を過ごしていると言う事です。
質量×長さは、物が、移動する距離です。つまり、時空が、移動する距離を表わしており、そこに、時間を掛けた「式」は、時間の速度という事に成ります。
光速=30万㎞/秒=30万㎞÷1秒=30万㎞×1秒=30万㎞秒
光速=30万㎞秒
光速が、光と言う世界の時間が、1秒に進む長さで、ある事が、数式からわかる。
上記、式より、1秒は、長さであり、30万キロメートルであることが、わかる。
まず、はじめに、理解によって、速度は、秒速で計算する場合、
秒速=質量×長さ÷30万キロメートル。と言う事になる。
質量×「距離」÷「時間」=質量×30万Km/30Km
=質量/30万Km×30万Km/30万Km=C「光速」
よって、C「光速」=質量/30万Km=30万Km/秒
質量/30万Km=30万Km÷長さ=30万Km×1/長さ
質量/30万Km=30万Km/ 長さ=30万Km/長さ
質量/30万Km=30万Km/長さ
質量=30万Km/長さ×30万Km=900億Km/長さ=秒速
秒速=900億Km/長さ
質量=900億Km/長さ
で定義され、この「長さ」にその宇宙の時間の進む長さを当てはめる。
1ジュールの光と言う時間の長さは、
1(J)=102g×1m=「102×900億Km÷1m」×1m
=102×900億Km×1m×1m=91,800億Km×1m×1m
=91,800億キロ 立方メートル
重力は、物の質量を、力の単位に置き換えたものである。
なぜなら、重力は、万有引力の働きであり、質量に働いているのは、万有引力であるからである。
重力は、追って来る、長さであり、長さを吸い込む速さである。
時間は、1秒の長さによって、規定される、時空の流体速度である。
物質の質量は、その物質の重力であり、重力は、内に向かう流体速度の速さを示し、流体速度が、その時空の時間を規定している。
ブラックホールは、光を吸い込む事から、この流体速度が、ここより早く、別の時空を形成している。
重さは、時間の流体速度を示しており、流体速度とは、光の気の動く速度である。
ひかりは、ピラミッドが、織り成して自由に、空間を、行きかうが、物質は、光が、行きかう、入れ物に成っていて、時空を構成する次元を構成していると、思われる。
その為、光に取って、時間は、進んだ距離で表される。
ひかりは、ひとつの気であり、流れることによって、気として映る。
ブラックホールは、光を吸収する物質であり、光速を越えている事から、1秒の長さが、長く、光は、時間をゆっくりと進む、1秒の長さが、長い為、時間を進むのに、時間が、掛かる為で、光に取って時間は、逆向している様に感じられる。
その為、ブラックホールは、タイムトンネルと成っている。
この事は、相対性理論を、論理的に理解するなら、わかるはずであり、中の時空が、光を吸い込んで、いる事は、光速を越えており、タイムスリップ可能の領域であることは、理解できる、はずで、直感的に理解出来、それらを、数式化するに、過ぎないことである。
空間は、ピラミッドとして、あるだけで、気を、入れなければ、からなのである。丸い目で、気をいれるので、丸い粒子の振る舞いを、する。考える者には、ピラミッドの18面体に気が入り、波として見ている者には、気を入れないので、波として、見えない存在として存在しているのである。
物質は、気が通う宇宙であり、気が、光速から、捕まり、時間の中に入った為に、周りより、早い流体速度の、時界を創り、物質化するのである。
そして、質量は、この流体速度である。

これは、早い者勝ちである。

ブラックホールが、どの様な、時空をしているのか、計算で、出きるはずである。
このまま、ブラックホールが、増え続けた場合も、どうなるか、計算で、出るはずである。

この世は今、コロナの時代を迎えている。

このコロナは、時代の壁であり、新しい時代の幕開けの為に、準備されていた世界である。
その為、夜明に向かい、全員団結、一致して、協力し、新しい時代のいしずえを築いて行かなければ成らない大事な節目を迎えている。
世界で、この真理の時代の幕開けを知らない人達が大勢いる。
皆さんで、情報を共有し、早く世界が、目覚める様、協力を依頼する。
その為に、今、活動中のnoteが、詰まった以下のnoteに、目を通して頂きたい。そして、今、自分の世界で、最も急ぐべきは何か、改めて問い直し、使命に向かって全力をあげて、新たな天国の門を、開いて頂きたい。
なお、このnote執筆に当たっては、全てひとりで、行いましたが、実際には、様々な神仏のご指導と共に、心で活躍する、皆さんの力により書き上げましたが、特に、この理論全般に渡って、十気輪津数津子様の神命(しんみよう)を持つ、神の御働きで、在った事実を、理解するに、至りました。





面倒では、御座いましょうが、お心使いお願い申し上げます。発表する場合が、ありますので、匿名希望の方は、匿名とお申し付けください。