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『天気の子』は「幼稚」な物語なのか? ③「大丈夫」は無責任な言葉か?

Ⅳ. ③「大丈夫」は無責任な言葉か?

ⅰ. 「大丈夫」は無責任な言葉か?

 『天気の子』の感想を見ていて、一番気になったのは、「僕たちは、大丈夫だ」という言葉が無責任だ、という趣旨の感想です。
 たしかに私も映画館でこのセリフを聞いたとき違和感を覚えました。東京は海に沈んだし、天気は治らないし、何が「大丈夫」なんだろう? と、そう思いました。
 ただよく考えてみると、帆高はそういう意味で「大丈夫」と言ったわけではない、ということがわかってきました。 

ⅱ. 「悩むよりも『自分たちは次の世界に行くよ』って軽やかに飛びこえる若者たちの姿」

 では「大丈夫」とはどういう意味なのでしょうか?
 私にとってまず「大丈夫」の印象を変えるきっかけとなったのは、新海監督へのインタビューを読んだときでした。

新海 ひと言ではうまく答えられませんが、たとえば現実の世界や社会の行く末に対して「このままで良いのだろうか」という心配は、当然自分の中にもあります。でもだからこそ、僕がこの映画の中で見たかったのは、悩むよりも「自分たちは次の世界に行くよ」って軽やかに飛びこえる若者たちの姿です。
((新海誠『天気の子』インタビュー後編 ”運命”への価値観「どこかに別の自分がいるような」 - KAI-YOU.net より引用))

 まず注目したいのは、新海監督にはまず「現実の世界や社会の行く末に対して『このままで良いのだろうか』という心配」が前提としてあるということです。
 そのような現状を踏まえながらも、新海監督は「悩むよりも『自分たちは次の世界に行くよ』って軽やかに飛びこえる若者たちの姿」を『天気の子』に見たかったのだと述べています。

 ここに「大丈夫」と言う帆高の姿を重ねて見ると、「大丈夫」の真意が少し見えてくるように思えます。
 つまり帆高は、現実の世界は大丈夫とは言い切れないということを自覚しながらも、それを軽やかに飛び越えるように「大丈夫」と意気込んでいるのではないでしょうか?

 以上のような考えは、『小説 天気の子』の「あとがき」、およびRADWIMPSの『大丈夫』という楽曲を読み解いていくと、さらに説得力を増すと考えられます。

ⅲ. ラストシーンの苦悩と『大丈夫』という解決策

 『小説 天気の子』の「あとがき」で新海監督は、ラストシーンの演出について二カ月以上悩み続けたこと、そしてそれがRADWIMPSの『大丈夫』という楽曲によって解決したことを語っています。

 二カ月以上悩み続け、洋次郎さんにラストシーンの音楽の相談をしているときに、ふとまだ使われていないままだった『大丈夫』のことが話題に上ったのだ。そしてあらためてこの曲を聴いてみて、僕は衝撃を受けた。
 ぜんぶここにかいてあるじゃないか 〔※筆者註 原文では「ぜんぶここにかいてあるじゃないか」の各文字に読点(、)がルビとしてふられている〕。
 そう。必要なことも、大切な感情も、すべてが最初にもらった『大丈夫に歌われていたのだ。
((新海誠『小説 天気の子』p300))

 こうして新海監督はラストシーンを描き上げることができたのだと言います。
 つまり帆高が「大丈夫」と言うラストシーンには、『大丈夫』という楽曲に込められた意味が大いに反映されていると考えらるのです。
 したがって、「大丈夫」という言葉を掘り下げるには、RADWIMPSの『大丈夫』という楽曲を読み解く必要があると考えられます。

ⅳ. 『大丈夫』に込められた意味とは?

 では『大丈夫』とはどのような楽曲なのでしょう?
 『大丈夫』という楽曲は、要約すると、「崩れそうな」「君」がそれにもかかわらず「僕」のことを「大丈夫?」と気にかけてくれる話だと読めます。
 そして大切なのは、最後に「僕」が「君を大丈夫にしたいんじゃない 君にとっての『大丈夫』になりたい」と願いを述べることです。 

 「君を大丈夫にしたいんじゃない 君にとっての『大丈夫』になりたい」とは、「君」の安全を物理的に保障したいのではなくて、「君」に寄り添うことで「君」を安心させられるような存在になりたい、という意味だと考えられます。
 つまり『大丈夫』という楽曲は、現状の世界や身の回りの社会が物理的に大丈夫か否かを問題にしているのではなく、大切な人を「大丈夫」と安心させられる精神的支柱のような存在になりたいという、精神的な「大丈夫」を謳っているのです。

 すなわちポイントは、
・「大丈夫」という言葉は物理的世界が安全だ、安心だという意味ではない
・「大丈夫」という言葉には精神的な支えとして、相手を安心させる存在になりたいという願いが込められている

 という2点にあると考えられます。

ⅴ. 「僕たちは、大丈夫だ」の意味

 以上のことから、「僕たちは、大丈夫」という帆高のセリフは以下のように解釈できます。
 すなわち、「僕たちは、大丈夫だ」とは、(「僕たち」の身の回りの世界は何の保証もなく安全で安心だという意味ではなく、)世界には何の安全も安心もないかもしれないけれど、どんなに世界が変わってもそれを「軽やかに飛び越えて」いきたい、そして「僕」は「君」を精神的に支える存在として共に生きていきたい、ということを意味していると解釈できます。

 以上のことをふまえて、③「大丈夫」は「無責任」な言葉か? ということについて考えてみましょう。
 そもそも、「大丈夫」に「無責任」という言葉を投げかけるということは、そこに「責任」が期待されているわけですが、「大丈夫」に期待される「責任」とは何でしょうか?
 例えば、異物混入してしまった商品を売ってしまったとき、販売会社は「責任」をとって商品を自主回収したり、あるいは異物混入を見過ごしてしまった「責任」をとって、それを監督していた人や会社の社長が辞任したりします。
 「責任」とはそのように、何か起こってしまった出来事やこれから起こりうることに対して何かしらの対応をするということだと考えられます。

 これは「責任」という言葉自体を考えてみても同じことが言えます。
 「責任」とは英語で "responsibility" と書くことからわかるように、何かに対して「応答する (response)」 ということだと考えられます。
 すなわちこの場合、帆高が負うことを期待される「責任」とは、「世界」を捨てて「陽菜」を選んだことに、何らかの形で「応答する」ことだと考えられます。

 では「世界」を捨てて「陽菜」を選んだことに「応答する」とはどういうことでしょうか?
 「大丈夫」に「無責任だ」という言葉を投げかける人が期待している帆高の「応答」とは、変えてしまった「世界」に「応答する」ということだと考えられます。
 つまり、それは「世界」を元通りにする努力をしたり、異常気象で混乱した「世界」に貢献したり、あるいは「世界」を台無しにした代償として何かしらの罰を受けるという「応答」の仕方だと考えられます。
 もしもそういう「世界」に対する「応答」を期待して「無責任」という言葉を「大丈夫」に向けているのなら、「大丈夫」という言葉は確実に「無責任」です
 なぜなら、帆高はそもそも「世界」を捨てたのであって、「どうでもいい」と思っているのであって、帆高が共に生きたい、「応答したい」と思っているのは「陽菜」の方だからです。 

 反対に言えば、帆高は「陽菜」に対しては「応答したい」と思っているのです。つまり「陽菜」に対しては「責任」をとる決意はしていると考えられます。というよりむしろ、「陽菜」に対して「責任」をとるよ、という決意の言葉こそが「大丈夫」なのではないでしょうか?
 それこそまさに、RADWIMPSの『大丈夫』に込められた意味だったはずです。僕は「君にとっての『大丈夫になりたい」、つまり僕は君を精神的に支えながら共に生きていきたい、そういう決意の言葉が「大丈夫」でした。
 したがって、そのように「陽菜」に対して「責任」をとっているという点では、「大丈夫」という言葉は無責任ではない、と言えるでしょう。

ⅵ. 『天気の子』は「幼稚」な物語なのか?――3つ目の答え――

 以上のことから、『天気の子』は「幼稚」な物語なのか? という問いに3つ目の答えが与えられます。
 すなわち、「幼稚」というのが、「責任」を放棄した無責任な<子供>の態度を意味するのなら、「大丈夫」という言葉は、「陽菜」に対しての「責任」をとっているという点において「幼稚」ではないと答えられます。
  そしてその「大丈夫」と意気込む姿こそ、新海監督が『天気の子』で描きたかった「悩むよりも『自分たちは次の世界に行くよ』って軽やかに飛びこえる若者たちの姿」なのではないでしょうか。
 そうだとするならば、それを帆高という主人公で体現した『天気の子』自体も「幼稚」ではない、と言えるのではないでしょうか。

 さて、以上で冒頭で立てた3つの問い(①「陽菜」という選択は「幼稚」か? ②帆高は「世界なんてもともと狂ってる」を免罪符にしているか? ③「大丈夫」は無責任か?)には答え終わりました。
 それでは、以上のことを合わせて考えると、『天気の子』という物語は「幼稚」だと言えるでしょうか?
 次の記事ではそのタイトルの問いにまとめとして答えるとともに、「物語」はどうしてあるのか? 「物語」にはなぜ<子供らしさ>が描かれるのか? という問いを、フランスの思想家ジョルジュ・バタイユの思想を用いながら考えてみたいと思います。

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<参考文献>
新海誠『小説 天気の子』(角川文庫,2019)

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