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スナック社会科vol.4『In-Matesと私(たち)』に寄せて

《In-Mates オンライン編集版》
2021年 26分50秒 写真:金川晋吾

 2022年12月4日にネイキッドロフト横浜で行われた、スナック社会科vol.4『In-Matesと私(たち)』にあわせて執筆した文章をこちらでも公開します。スナック社会科の配布資料より一部改訂したものになります。


『In-Matesと私(たち)』に寄せて


 飯山由貴『In-Mates』は1930年頃日本に渡り、精神病院に入院、その後亡くなった二人の在日朝鮮人を取り上げた作品である。劇中では、日本での生活を経て精神病と診断された二人の姿が、歴史研究者による史実の解説とラッパー/詩人のFUNIによるパフォーマンスの両方で表現されている。
 この作品は2021年に国際交流基金の助成により制作されたが、「暴力的な発言や、歴史認識を巡って非生産的な議論を招きかねない場面が含まれる[1]」を主とした理由で会期直前に上映中止の判断が下された。その後2022年8月30日から11月30日まで東京都人権プラザの主催事業として開催された飯山由貴『あなたの本当の家を探しに行く』という企画展の附帯事業において今作の上映が企画されていたのだが、東京都人権部による懸念の表明によって再び上映を中止することになった。
 二度上映を中止せざるをえなかった本作はそのように「暴力的な」作品であるのだろうか。この作品の基となっているのは、1930年当時東京都にあった王子脳病院の診療記録である。残された診療録には、入院患者である二人の朝鮮人(患者A、B)が日常的に朝鮮語で「放歌、叫喚」していたと記載されている。しかし彼らが実際に何を叫んでいたのかは知る術がない。当時朝鮮語での叫びを理解し彼らの言葉を書き記す者はいなかったのだ。
 彼らは10年間同じ病院内で生活し、1940年にその生涯を終えた。作中で監督の飯山とFUNIはともに、研究者による史実の解説に耳を傾け、残された診療録の断片から関東大震災後の彼らの苦悩、故郷や家族への思いを想像しパフォーマンスをつくりあげる。1923年に起きた関東大震災では、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」等のデマによって多くの朝鮮人が民間人に虐殺された。彼らが震災を直接経験し、朝鮮人虐殺を生き延びたのかは定かではない。ただ二人が朝鮮人を虐殺するような偏見にあふれた社会で生きたのは事実である。それはどれほどの恐怖だっただろうか。その社会で生きる中で彼らは精神病と診断された。
 FUNIの演じる患者Aは朝鮮語で「俺は日本人だから朝鮮人は全員抹殺だ」とつぶやく。日本社会で生きていく中で、何度この言葉が彼に投げかけられたのだろうか。Aは自身を岡本信吉と名乗っていた記録が残されている。日本社会で生きるため日本名を使い、かつて自分を苦しめた言葉を、朝鮮人であるAが自ら口にする苦悩について考えさせられる。一方、患者Bについては診療録に「自分は偉い。凡人ではないという我意固執」という記述が残されている。彼はエリート層の出身であったという。FUNIはそのようなBを演じる際に、エリートとして生まれた朝鮮での自分と日本での自分の自意識の葛藤と、Aに対し「お前は偽物の日本人で偽物の韓国人だ」と批判する姿を表現する。それはB自身が日本において感じていた苦しみでもあったのかもしれない。そして最後に彼は「俺は見せ物の凡人」と呟く。日本社会によって自分を見失い壊された二人の姿を通して、当時の在日朝鮮人が抱えていた苦しみを私たちは知る。
 先日筆者は29年前に他界した祖父の骨を散骨するため彼の墓を訪れた。祖父は患者A、Bと同様に在日朝鮮人一世で、戦後の混乱した朝鮮半島から安全な生活を求め日本に渡り、故郷に戻ることなく日本でその生涯を終えた。そんな祖父の墓の背面には「全羅南道〜」から始まる祖父の本籍地が彫られていた。戦後、自分の故郷を離れ日本にやってくるしか生きる道がなかった祖父はどのような思いを日本に、また故郷に抱いていたのだろうか。海が見える日本の墓地で、朝鮮の本籍が彫られた墓を見ながらそんなことを考えた。本作で取り上げられる二人の患者や私の祖父だけではなく、戦前戦後の混乱の時代を生きた在日朝鮮人は日本社会によって自身のアイデンティティを揺さぶられ、迷いの中で生きてきたのだろう。そして彼らの記憶や言葉の多くは誰にも打ち明けられることなく歴史の中で埋もれていった。
 東京都人権部は本作の上映に対する懸念として以下の三点を挙げている[2]。

①「関東大震災での朝鮮人大虐殺について、インタビュー内で「日本人が朝鮮人を殺したのは事実」と言っています。これに対して都ではこの歴史認識について言及をしていません」。これに加え、関東大震災の朝鮮人追悼式典に都知事が今年も追悼文を送らなかったという内容の朝日新聞の記事を参照したうえで、「都知事がこうした立場をとっているにも関わらず、朝鮮人虐殺を「事実」と発言する動画を使用する事に懸念があります」。
②作品内のFUNIによるラップの歌詞について、「見方によっては「ヘイトスピーチ」と捉えかねられません。ご自身が在日朝鮮人ということや、動画全体を視聴すればそうではないということがわかりますが、参加者の受け取り方によっては《本邦外出身者に対する差別を「煽動」する》行為になるのではないかと思います。都でヘイトスピーチ対策をしているなかで、想像の「歌」であったとしても、懸念があります」。
③「動画全体を視聴した感想ですが、「在日朝鮮人は日本で生きづらい」という面が強調されており、それが歴史観、民族の問題、日本の問題などと連想してしまうところがあります。参加者がこういった点について嫌悪感を抱かないような配慮が必要かと思います」。
福島夏子『「公権⼒による在⽇コリアンへの差別」:関東大震災時の朝鮮人等の虐殺事件を扱う現代アートをめぐり』Tokyo Art Beat、2022年10月28日、(https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/iiyamayuki-tokyo-metropolitan-human-rights-plaza-news-2022-10)

 関東大震災における朝鮮人虐殺は内閣府もホームページ上で資料を公開している「史実」であり、個人の主観によってさまざまな解釈が存在するような「認識」は存在しない[3]。そこにあるのは変えようのない「歴史」であり、「歴史認識」というあやふやな言葉でごまかしてよいものではない。さらに作中の「朝鮮人は全員抹殺だ」という言葉は、歴史の中で日本人が朝鮮人に対し放ってきた言葉ではないのか。震災後の日本を生きた朝鮮人を演じたFUNIの言葉が、在日朝鮮人(外国人)へのヘイトスピーチであるならば、それは日本社会が犯した過ちを再びマイノリティに押し付ける行為であり、二重の苦しみを与えることになる。そして本作を通して当時生きていた朝鮮人の存在を知った人々が、在日朝鮮人の歴史や民族の問題に嫌悪感を抱くのだとしたら、それは作品の問題ではなく、まぎれもなく「日本の問題」であろう。
 この作品は決して暴力的でもヘイトにあふれたものでも配慮の無い作品でもない。また「表現の自由」として認否を問われるようなものでもなく、当時「このような人間が生きていた」という姿と声を拾い上げ、日本社会の周縁に置かれて忘れ去られてきた存在を掬い上げるものだ。11月30日、『あなたの本当の家を探しに行く』は会期を終えた。約3万の署名、制作陣の思いや抗議の声に都は耳を貸すことなく、本作が会期中に上映されることはなかった。奇しくも本作『In-Mates』は彼らの存在を「なかったこと」にしようとする者たちの姿を暴き出した。暴力的でヘイトにあふれ無配慮なのは、当時彼らの心と体を傷つけた社会であり、そして今もなお日本社会はそうであることが、今回の都の応答によって明らかになった。その意味においてこの作品は東京都人権部の応答によって補完されたと言える。作品の終盤でFUNIが叫ぶ「俺だけにまかせるなよ」という言葉は、このような社会に生きる私たちへの連帯の呼びかけのように聞こえてくる。今日本で生きる私たちが一人の人間としてこの作品にどう応答するのかが問われているのだと私は感じる。


[1] 『国際交流基金が中止判断/在日精神病患者に関する映像作品』朝鮮新報、2021年9月21日、(https://chosonsinbo.com/jp/2021/09/18-49top-2/

[2] 福島夏子『「公権⼒による在⽇コリアンへの差別」:関東大震災時の朝鮮人等の虐殺事件を扱う現代アートをめぐり』Tokyo Art Beat、2022年10月28日、(https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/iiyamayuki-tokyo-metropolitan-human-rights-plaza-news-2022-10
また2022年12月3日には都議会議員の五十嵐えりがこの原文をツイッター上で公開している(https://twitter.com/igarashi_eri/status/1598958261835026436?s=46&t=BVtM9zYRIKufRoCVzyqwUA%EF%BC%89)。

[3]『1923関東大震災報告書【第2編】』中央防災会議災害教訓の継承に関する専門調査会、2008年3月、(https://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923_kanto_daishinsai_2/pdf/1_hyoushi.pdf

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