見出し画像

役所嫌いな男〜過去にあったイタイ話②〜

1994年の春休み、ベルリンに2度目に旅行で来たときに「行くといいよ!」と知り合いになった人から言われたのがプレンツラウアー・ベルク地区だった。そこのCafe Blabla(ぺちゃくちゃカフェ)で見つけたポストカードのフライヤーが気になり、見に行くことにしたのが当時はまだ地下鉄9番線ハンザプラッツ(Hansaplatz)駅の側にあった芸術アカデミー(Akademie der Künste)で行われていた展示だった。

X Positionというタイトルでおそらく初めてベルリンのアンダーグラウンドシーンで活動しているアーティストを紹介するといった内容だったように思う。検索してみるとカタログの表紙の写真が出てきた。そうそう、これ。


展覧会カタログ

ちょっと行きにくい場所にあったせいなのか、会場に着くと誰もいなかった。静まり返ったホールの中で機械音のようなものがガチャン、ガチャンとこれまた不気味な音を立てている。

そこで知り合ったのが全身赤のライダースーツで身を固めたひとりの「若いアーティスト」だったわけだ。自分の作品の説明を頼んでもいないのにどんどんやってくれた上、カタログの表紙の写真を指差して「このタイツ姿、ぼくなんだよね」と言ってカタログを手渡された。90年代ベルリンのアンダーグラウンドシーンでは知られた人だったんだろう。これまた奇妙な人に出会ったものだ。

そして翌年の春、ベルリンによくわからないままやってきた私は3ヶ月分しかなかった仮ビザを語学学習ビザに切り替える必要に迫られていた。ドイツ語力は文法の知識と渡独を決めてから始めた会話練習のみ。当時はまだ外国人局という名称だった役所に問い合わせの電話を掛ける。Excuse me, may I speak…と言いかけた瞬間、受話器の向こうから大きな声でNein!と言われた挙句、ガチャンと電話を切られ、それ以上話すことすらできなかった。

当時はまだ英語で対応してくれるような人はいなかったのである。これは困った、ということでダメ元で赤いライダースーツの男にかくかくしかじかで外国人局に同行願えないだろうか、と頼んでみたところ「役所なんて絶対に行きたくない」という返事が返ってきた。まぁ、そうなるよね。

当時住んでいたシャワーすら付いていなかったアパートもおそらくは違法で住んでいたのだろう。ちらっとでも期待した私が馬鹿でした。さて、どうする?

知り合いのつてもなく海外生活を始めようとすると、相談する相手もいなければ、言語的なサポートをお願いすることも叶わない。そして、当時はまだネットもスマホもなかった時代だ。

日本にいたときにお世話になったドイツ語の先生に相談すると、「ぼくがドイツに帰るタイミングでベルリンにも寄ってあげるよ」と言ってくれたではないか。ああ、情けない。ひとりでは何もできない。そんなことを思った。

その先生はやめればいいのに赤いライダースーツに会いたがった。なぜ役所くらい同行してやれないのか、理由が知りたかったんだろう。このふたり、まさにアンダーグラウンドVS.真っ当な社会人みたいな絵面で、ベルリンに住むドイツ人が他の街のドイツ人から揶揄されるのも仕方ないのかも、なんて思ってしまったくらいだ。まぁそうは言っても、赤いライダースーツの男も西ドイツの田舎町が退屈すぎて、ベルリンにやってきた口なので生粋のベルリナーというわけではない。

ひとしきりなんだかんだあったあと、赤いライダースーツの男は「なんてつまらないやつなんだ!あんなやつと付き合っていたのか」と憤慨していた。そのあんなやつが結局は外国人局に同行してくれたおかげで仮ビザを切り替えることができたわけで、あんたがどうこう言わないでくれ、とは思ったが「そうかもね」と一言だけいっておいた。

あのときわざわざ助けてくれたドイツ語の先生はまだ日本にいるのだろうか。それともドイツのどこかの街で真っ当な暮らしをしているのだろうか。今となっては全くわからない。赤いライダースーツの男はその後、ドイツ人女性との間に息子をもうけたようだ。接点がなくなると人は同じ街に暮らしていてもすれ違うことすらしなくなるものだ。不思議なもので2000年以降は、赤いライダースーツの男をベルリンで見かけたことが一度もないのである。



サポートは今後の取材費や本の制作費などに当てさせて頂きたいと思います。よろしくお願いします!