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安定とはなにか

今朝方、なんとなくイラッとしてその原因をよくよく考えてみると、自分の不甲斐なさであった。まぁ、よくあることだとは思う。

不甲斐なさといってもよくわからないと思うが、要は自分の現状に満足していない、ということに尽きる。このご時世、自分の現状に満足している人の方が少ないような気もするが、それが人生というものなのだろう。

よく言われるのが「あなたなら大丈夫」というセリフなんだが、例え外からそう見えたとしても、自分では全くそう思えないのだから、一時的な慰めにしかならない。

「ドイツに(長すぎるほど)長くいて、結婚して子どもがいて、フリーランスだけど仕事もそれなりにしている」ということで安定しているように見えるのかもしれない。ただ、正直なところ戦闘能力としては結婚前に自分の契約したアパートで一人暮らしをし、制作会社の正社員として月々安定した収入を得ていた時の方がよっぽど高かったように思うのだ。

結婚して家庭を持つ、ということはある人にとっては心の安定に繋がるのかもしれないが、それ以前に海外で全てひとりでやってきた身としては自分以外の責任が増えただけで戦闘能力的には落ちまくっている、というふうにしか捉えることができないのである。悲しいかな。「全てひとりでやってきた」と書いたが、これはもちろんベルリンに来てすぐのことではなく、7年くらい経って就職したタイミング以降の話である。それ以前は申し訳ないことにいろんな人を巻き込んで助けてもらった記憶しかない。

ようやく下の息子が今年の夏で小学校を卒業するタイミング。出産から12年でようやく自分のための時間を少し確保できるようになりつつある。言い換えれば約10年間は職歴としてある意味ハンデになるわけだ。それをハンデと捉えずに前に進めばいいではないか。そんな声がどこからか聞こえてきそうだが、こればっかりは妊娠・出産時がいつだったかにも多いに影響される話だと思う。だからといって、子どもを産んだことを後悔しているとかそういう話では全くない。

あくまでも、「自立」文字通りひとりで生活する能力があるかないか、で考えた時に現時点で過去と比べてどうなのか、という話である。

慣れない育児や現地校の学習サポートや継承語の学習サポート、家庭学習にホームオフィスでカオスでしかなかったコロナ禍。10年くらいフリーランスとして仕事もしながら、なんとかここまでやってきたつもりだ。

これまでの職歴やこれからのこと。相変わらず、考えなければいけないことは山積みのままだ。もうあれこれ考えてばかりもいられないので、今日できることから徐々に始めていかなくてはな、とこれを書きながら思うなどした。自転車操業もさすがに長年やっていると疲れてしまう、ということなのかな。


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