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「安住の地」なんてあるのか


楽な場所を求めて彷徨うことよりも、あの町で呼吸の仕方を覚えなきゃいけない。ひとところで生きれるようになりたい、そう思ってたのを思いだした

町田その子『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』


 『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』という連絡短編集からの抜粋だ。「溺れるスイミー」というタイトルの短編を読んでいてハッとさせられた。放浪癖、とまではいかないが、私もどちらかといえば常に「ここではないどこか」に安住の地を求めて彷徨うタイプだからだ。それが彼女のいう「楽な場所」なんだろう。要は自分の現状にとことん向き合うこと、今いる「ここ」と対峙するのを恐れている、とも言えるわけだ。

ずっと同じところにいると息苦しくなる、という傾向は確かにあるので撮影コーディネーターという仕事が性に合うのだろう。毎回、違うクルーと別の場所に行って異なるテーマで撮影や取材をするので飽きるということがない。なんだかんだで会社で10年、フリーになってからも10年くらい続いている。

だからベルリンにも20年以上、なんだかんだで住んでいる。同じところに住んでいるからといって、放浪癖が治まったわけでも、呼吸の仕方が上手くなったわけでもない。移動を伴う仕事をしながらなんとかやってこれている、そんな程度だ。今まで付き合ってきた人の中には、結婚をして子どもを産んだら落ち着くんじゃない?と言った人もいたけれど、あくまでも自分自身の問題なのでその辺はあまり関係がないような気がする。

さすがに子どもたちが幼児の頃はどこにも行けなかったが、ふたりとも大きくなってきた途端、またひとりでふらっと出かけることが増えつつある。そして、おそらくこの傾向は今後さらに強まるだろう。だから、「映画にもコンサートにも行ってない!旅行なんてひとりで行ったのいつだろう?」ということを同じ年頃の子どもを持つママ友から聞くと、首を傾げるほかない。行こうと思えば、案外いつでも行けるものだからだ。

なぜか育児を始めるとちょっとしたことでも、ハードルが高く感じてしまうのが常なのだ。それ以前に1日を何とか生き延びて、晩からまた出かける体力や気力が残っていない、というのが本当のところだろう。自分のことに使う時間がほぼなくなるのが育児中初期の状況なのかもしれない。

最近はこんなおかしな世の中に「安住の地」なんてないのだ、ということで割り切って、ただ単に自分が行きたいと思うところに行こう、というふうに気持ちを切り替えるようになった。子どもたちを連れて行ってあげたい、とまた旅にも別の目的が生まれたように思う。今年もできるだけ身軽にいろいろなところに出かけたい。











「言ってはいけない言葉を平気で放つ人も、その言葉が回り回っていつかは自分に返ってくることを念頭に置いた方がいいと思う。」

それは例えば行く当てのない人に「出ていけ」と言うことだったり、育児に必死な母親に「おまえは何もしていない」と言い放ったり、仕事が簡単に見つからなくて困っている人に「本気で探せば見つかるでしょ」と何気なく言ったり、と本人たちは大して考えもなしに口からするっと出てきた言葉たち。

それらのそれほど悪意のない言葉たちは、言われた本人にとっては踵のように何年も深く突き刺さるかもしれない。


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