朝の礼拝と魚のお腹の中
今朝は珍しくいつもより早起きし、徒歩で30分くらい離れたゲッセマネ教会へ向かう。
よくよく考えてみたら、ベルリンの教会で礼拝に参加するのは初めてのことだ。
これまで旅先で訪れた教会に座っていたら、礼拝が始まったのでそのまま座って聞いていったことがあるくらい。言葉もさっぱり分からない国だったので、神父の話す内容は皆目検討も付かなかったのだが、雰囲気や声の調子、音楽などが耳に心地よかった記憶がある。
さて、今回の礼拝。Twitterで偶然、吉田志門氏がゲッセマネ教会の礼拝でソリストとしてバッハ(BWV37)やメンデルスゾーン(エリア)を歌われるのを知ったのだ。
Twitterにはいつも感謝している。見たくもない情報や触れたくない言葉に遭遇することもあるが、タイミングが良ければ本当に嬉しい知らせがタイムライン上に流れてくる。
さて、今日の説教のテーマは「ヨナ」だった。聖書のお話には残念ながら全く詳しくない。聞いた話を端的にまとめると、大魚に飲み込まれた「ヨナ」が魚のお腹の中で祈りながら3日3晩過ごし、また地上に吐き出される、という内容だ。
この「ヨナ」の話を今のコロナ禍に見立て、「我々も今、ちょうどヨナが真っ暗な魚の腹の中から吐き出され、地上に帰ったように希望や見通しといったものを感じられるようになったのではないでしょうか。」と語っていたのが印象的だった。
魚のお腹の中で果たして、生きながらえることができるのだろうか。先行きの見えない不安を「ヨナ」も抱えていたはず。それでも「ヨナ」は祈り続け希望を捨てることがなかった。こういうことを言っていたのだろうと思う。
それにしても、説教はまるで朗読劇かシアターのようだし、説教の合間に流れてくる聖歌は教会のオルガンと相まってどこか神々しいロック魂すら感じさせられたのだ。なんだこの世界は!すごいじゃないか。
やはり欧州の街角に馴染んでいる教会の存在というものは大きいのだ、と改めてどこか感慨深かった。ドイツ人の義母を見ていても、定期的に教会の教区民(Gemeinde)によって開催される様々なイベントを手伝ったり、教会繋がりの知人も多かった。年配の市民にとっては教会は拠り所になっているのだなぁ、と思ったものである。
しかし、若者の教会離れについては、特にベルリンのような大都会でカトリックよりプロテスタント色の強い地域では問題にされているようだ。ドイツでは、カトリック教会、福音主義、復古カトリック教会信徒、ユダヤ教徒であると登録したドイツ市民は、所得税の8%から9%にあたる教会税を課されている。この教会税を嫌い、教会を脱会する人が増えているというのだ。
相方の方は教会税は払っているものの、知り合ってからこの方、教会の礼拝に行ったことなど一度もない。「子どもの頃は親に連れられて行ったけど、もうずいぶんとご無沙汰しているな」という程度だ。教会が形ばかりのもので生活の一部にはなっていないのである。
それにしても、教会の聖歌。美声は神、としかやはり言いようがない。子どもたちにも一度、機会があれば聞いて欲しいんだけどなぁ。
参考サイト:https://ja.wikipedia.org/wiki/ヨナ
タイトルイラスト:ニネヴェ付近で魚から吐き出された預言者ヨナ、ホーエンブルク修道院で編集された百科事典(1180年頃)
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