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ショスタコーヴィチの遺作

今日も快晴で雲ひとつないベルリン。皮肉なことに最近、天気だけは何が起ころうと安定した「晴れ」の日が続いている。

Twitterのタイムラインに流れてきた「ショスタコーヴィチへのオマージュ」。もうロシア関連の音楽を当分聴けなくなるのでは、という過剰な心配を吹き飛ばしてくれた。「ショスタコでも久しぶりに聴きに行きたいな」などと思っていた矢先のことだった。

急遽、ベルリンのジャンダルマン広場にあるコンツェルトハウスのサイトでチケットを確認する。目についたのはブラームスとショスタコーヴィチのヴィオラ・ソナタの演目だった。

ショスタコーヴィチといえば、自分の中ではクラシックというより、アクロバティックというか、とにかく破天荒で予測がつかない非常にロシア的な作曲家である。コンサート中にあまりの激しさにビクッと驚かされることが度々起こる、まさにそんなイメージを持っている。

さて、今回久しぶりに足を運んだコンツェルトハウスの小ホール。こじんまりとしたホールで座席の感覚もかなり狭い。お世辞にも座りごごちがいいとはいえないシートになんとか体制を整える。

間に休憩を挟み、いよいよショスタコーヴィチのビオラ・ソナタが始まる。この曲は1957年7月、彼が世を去る直前に書かれた「遺作」にあたり、没後に初演された曲である。

不思議なことにどこかで聴いたことのあるフレーズが出てきた。「あれ、これってベートーヴェンの月光では??」そのほかにも何となく聴いたことのあるフレーズが出てきたような気がしたのだ。

どうも気になったので調べてみると、この曲にはベートーヴェンの「月光」だけではなく、未完の歌劇「賭博師」の転用や15歳のときに書いた「2台のピアノのための組曲」という作品も出てくる、というではないか。しかし、一番驚いたのは終楽章にショスタコーヴィチの15の交響曲が全て引用されている、という論文をピアニストのイヴァン・ソコロフが発表したということだった。

さすがにそこまで気付けなかったが、「どこかで一度聴いたことあるな」という感じはまんざら間違っていなかったのかもしれない。遺作としても、それほど静かな曲、というわけでもなく全く期待を裏切られることなくコンサートは終了したのである。

天気がいくらよくても、心がざわざわとして落ち着かない今日この頃。こんなときこそ、こうして音楽に触れたり美術館で展示を眺めたりする時間がとても貴重で大切なことに思えるのだ。


参考までにバシュメットとムンティアンによるヴィオラ・ソナタを置いておきます。


*タイトル写真は1936年発行のプラヴダ紙の記事「音楽の代わりにカオスを」というショスタコーヴィチについて書かれたもの


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