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面白さには叶わない

今日は本来なら作業が一通り終わっているはずだったのだが、お昼を食べながらテルマエ・ロマエを見始めたのが運の尽きだった。噂には聞いていたが、予想以上に面白かったのである。意志の敗北。面白さに叶うものなどない。

ローマの堅物が究極のテルマエを求めて考えを巡らせる話だが、なぜか風呂の湯を介して「平たい顔」の支配する国へと足を滑らせる。

かなり無理のある設定だが、この妙なアンバランス感が堪らない。是非、まだの方は一度見てほしい。この作品が2010年に漫画大賞を受賞していたのも知らずにいた。だから、以前よく話題になっていたのか。

仕事の方は途中でハッと我に返って、再び遂行(および推敲)したのであるが、これまたルールがないので延々とやってしまう。ある意味、終わりがない。読み返せば読み返すほど気に入らない箇所や不自然な箇所が見えてくるのだから、どうしようもない。毎日短時間でさっと書くようにしているこのnoteでさえ、公開してから5分後には誤字や脱字、わかりにくい箇所などが必ず見つかる。文章というのは本来そういうものなのだろうか。

人生もやり直しばかりのような気もするので、あまり細かいことにばかり気を取られていては先に進めない。そういうことにしておこう。

自分の中の締め切りは明日の午前中までなので、できたところで一旦終わることにしようと思う。先はまだ長いのだ。

それにしても、「先はまだ長い」と思っている人生そのものは一体全体どうなのだろうか。一寸先は闇、みたいなご時世ではあるし、それほど先が長いようにも思えなくなってきた。

先が読めないときは誰しも不安に駆られやすいが、そんなときは無理に先を読もうとせず、どうせ一寸先は闇で何も見えないのであるし、それならば灯台下暗し、ではないが今いるここにフォーカスして身近なところから何か発見できないか目を凝らしてみるのもいいかもしれない。

要は日々の自分の生活をいつも以上に丁寧に過ごしたり、些細なことに喜びを見つけたり、感謝したり、とかまぁそういうことである。

公園の花がきれいだなぁ、でもいいし、今日も1日無事に過ごせたな、でもいい。なんでもいいから何かに感謝して生き延びたい。自分の知らないことはまだまだ山ほどあるし、読んでいない本も観ていない映画も会いたい人もいるのだから。

さて、テルマエ・ロマエの続きをそろそろ見ることにしよう。

ヴィクトル・ペレーヴィンの「オモン・ラー」も読み返したい気分だし、「ウクライナの歴史」の続きも読まなくてはいけない。ベルリンのシュタージ博物館にもまだ行っていないし、シュプレーパークのガイドツアーのこともすっかり忘れていた。

やりたいこともやるべきこともありがたいことに、まだまだたくさんあるのだ。

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