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がんのサイン

 出ない。どうやっても出ない。

 出張先のベッドの上で、おなかをひたすらマッサージしたり便秘体操をしたり。なんとか出そうと私は四苦八苦していた。日数的には3日ほど出ていないという程度だったが、ホテルのビュッフェも沢山たべているのにコロンと少しずつしかでてくれないので、なんだかずっとお腹が張って苦しい感覚があったのだ。

 ホテルの個室。家より硬いベッド。
 『遠い昔にやった逆子体操に似てるなぁ…このポーズ』とか思いながら、いろんな体勢を試したりしたが、出ない。なんの気配もない時間に無理やり出そうとしていたわけではなく、便意はある。だけどどうやっても出なかった。分厚いカーテンが閉まった薄暗い部屋で、眠れずに何度も体勢を変えながら、身体も心もなんとなく辛いなぁ、と感じていた。
 
 でも、『環境が変わると、便秘になりがちだよね…。』なんて深刻に捉えることはなかった。出張の多い時期で、自宅に戻ると逆に下痢になるというのを繰り返していたから、過敏性のものかな、と勝手に解釈していたのだ。

 思い返せば他にも不調はあった。
 
 まず頻繁に熱を出すようになっていた。風邪症状もなく、ただファーっと高熱を出して3日ほど出しっぱなしだったり。咳が出たりと色々だったが、とにかく高熱を出す頻度が高くなっていた。私の仕事は人前に立つものだったし、人の人生に関わる大切な機会だったりもしたから、私は約束を守ると決めていて、誰かに変わってもらうということをしなかった。

 さすがに、ナレーションなど声だけを納品する仕事で、どうしても声が枯れていて泣く泣く代打を頼んだことはあった。でも、ほとんどの仕事は自分が立ち続けた。だって、私だからとお願いしてくれたのに。やっぱり応えたいじゃない?

 高熱をだしているのに
『熱っていいなぁ。誰からも見えない』なんて心の中で思っていた。あほすぎる。
『顔が腫れるとか、目に見えるものじゃなくてよかった』なんて思ってた。

 ちょうど50歳の私が何を考えていたのかというと、下の子が高校を卒業するタイミングだったので勝手に子育て終了と決めつけて
『よ~し、バリバリ働くぞぉ。第二の人生だぁ!!!』とやたら燃えていたのだった。人生100年時代の折り返し地点。私の人生もあと半分あるのだと信じて疑わなかったし、半世紀という節目も、何故だか私を燃えさせた。
 
 甘えん坊だった長男は、大学進学と共に糸の切れた凧みたいになって、突然遠い存在になったように感じたから、しっかり者の長女も、そうなるに違いないと思ったのだ。
 
 娘の高校最後の陸上大会、競技場でラストランを見届けるとすぐに、わたしは突然スケジュール帳を、仕事の予定でパンパンにした。子供にかけていたエネルギーの向ける先を探していたのかもしれない。

 次の春以降、私立の大学に通う長男に加え、娘も私立の大学に進学することが決まっていたから、
『二人同時に私立?うわわ、学費を稼がないと!』と思って焦っていたような気もする。そんなこんなで私は急にギアをいきなりトップにして、暴走しはじめた。そんなころだったから、身体の声は、遠~くにかすかにきこえる程度だったのだ。身体は悲鳴をあげていたのに。

 これは、そんなころの私。呑気に笑ってる場合ではなかった。

 

 

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