【読書メモ】不動産営業に役立つか!? 顕正会に学ぶ折伏思考


浅井昭衛『基礎教学書 日蓮大聖人の仏法』の読書メモです。

(1)競合を潰す

仏法を弘める方法に「摂受」と「折伏」の二大潮流がある。
摂受とは摂引容受といって、たとえ相手が低俗な法を信じていても、これを容認しつつ次第に正しい教えに誘引していく柔らかい弘教法である。
一方、折伏とは破折屈服の義で、相手の間違った思想・信仰を破折し、唯一の正法に帰依せしめる剛い弘教法である。(p.118)

釈迦仏法の利益のおよぶ正像二千年間は接受であり、末法は折伏でなければならない。(p.119)

末法においては、成仏の大法は南無妙法蓮華経以外にない。よって、「一切の邪法を捨てて、南無妙法蓮華経と唱えなさい」と勧めるのが、末法の折伏である。(p.120)

まとめ:押しの営業しか勝たん。自社商品以外はぜんぶ正法違背のクソ物件だという確信を持たなければならない。

(2)マインドセット

折伏は何のために行ずるのかといえば、一には一切衆生を救う広宣流布のため、二には自身の成仏のためである。(p.120)

もし広宣流布しなければ、国土の三災七難はいよいよ激しくなり、日本はついに亡国にいたる。(p.122)

折伏は人のためのように見えるが、実は自分自身の成仏の修行である。広宣流布以前においては、勤行とともに折伏の大精神を持ち続けなければ成仏が叶わない。
そのわけは、謗法充満の国土においてもし折伏を行じなければ、知らず知らずのうちに自身が一国の謗法に同化してしまう。これを「与同罪」という。すなわち自身は謗法をしなくても、謗法を見て責める心がなければ、その悪に与したことになるのである。(p.122)

しかし折伏を行ずれば、この与同罪を免れることができる。そして蓮華が泥水の中でも清らかな花を咲かせるように、謗法充満の国土においても少しも謗法に染まることなく、清浄な仏果、一生成仏を得ることができるのである。(p.123)

折伏は、仏様の使いとして一切大衆を救う行為であるから、何よりも御本仏絶対の確信と、慈悲の思いに立たなくてはならない。そして「この人もご本尊を信ずれば必ず幸せになれる」との慈悲の思いをこめて、柔和に諄々と御本仏の功徳を説き聞かせていこう。(p.126)

折伏を行ずるに当っては、勇気を持たなくてはいけない。たとえ相手が社会的地位の高い者であろうと大学者であろうと、こと仏法に関しては無智なのであるから、仏様の使いとして臆してはならない。(p.127)

まとめ:自社商品への絶対の確信とお客様を謗法から救う覚悟を持てば、自分自身が精神的な救いを得ることができる。

(3)罵倒されて功徳を積む

折伏を行ずると、御本仏の冥々の加護が生活に現れてくる。(p.124)

折伏を行ずる者は仏様の使いである。ゆえに自然と御本仏のケイ属としての生命力が湧いてくる。たとえ打ち沈んだ弱々しい境界であっても、折伏を行ずると、生き生きとしてくる。そして人を救うに当っての智恵と勇気が自然と具わってくる。それまでは自分のことだけで頭がいっぱいだった凡夫が、このように人を救い国を憂うる境界に一変するのは、まさに御本仏のケイ属・地涌の菩薩としての命が涌いてきたゆえである。(p.124)

折伏は宿命転換の強き実践法である。(中略)折伏を行じて難を受けたり悪口をいわれれば、その罪障が消滅するのである。(p.125)

また末法の大衆は貪・瞋・痴の三毒が強く、正法を素直に聞く者は少ない。小さな親切なら誰にも理解され感謝もされるが、人を根底から救う大きな慈悲はかえって理解され難く、時には謂れなき悪口・罵リをされることもある。
ゆえに忍耐の心がなければ、末法の大衆を救うことはできない。(p.127)

まとめ:私を罵倒する相手は私の罪障消滅を手助けしてくれている尊い存在。感謝の心を忘れずに接していきたい。

(4)冷静さが大切

折伏は理論闘争ではない。日蓮大聖人の大慈悲と御本仏の功徳を教え人を救うのが目的であるから、いたずらに議論のための議論に終始してはならない。
まして相手と対等の立場に立って興奮したり、感情的になって相争うようなことがあってはならない。あくまで仏の御使いとして一段高い慈悲の立場に立つべきである。(p.128)

また折伏に当っては、いたずらに荒い言葉を発したり、粗暴な態度をしてはならない。非常識な言動はかえって法を下げることになる。(p.129)

ただし、仏法をあなずる者に対しては、師子王の気迫を以てその驕慢を打ち砕かねばならぬ。(p.129)

折伏には徒労ということがない。たとえ反対しようとも、逆種下種といって、相手の生命にはすでに仏種が下されたことになる。よって必ず将来、信心にめざめて成仏するのである。

まとめ:ただ押せばいいというわけではなく、私の営業は相手への慈悲・慈愛なのだから、穏やかな心と冷静さを持っていきたい。