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鹿撃ちもかつて祈れる少年だったか?

概要

 2023ニンジャソン読書感想文コン参加用記事です。内容はX(ついったー)に画像データとして投稿したものと同様です。

以下本文

 ニンジャスレイヤー第三部のエピソード【トゥー・ファー・トゥー・ヒア・ユア・ハイク】を読み返した。このタイトルを意訳するなら【お前の辞世の句を聞くには遠すぎる】ぐらいの意味になるのだろう。韻の心地良さもさることながら、まだどんな物語が始まるかもわからない時点で荒涼とした戦いの予感をバシッと叩きつけてくれる。題名の時点でとびきりお気に入りの話だ。

 このエピソードが私を惹きつけてやまない理由は、大きく分けてふたつになる。ひとつめは、秀逸な背景描写だ。たとえば冷涼な重金属酸性雨が、やや遠いメガロシティの灯りと、オスノマタワーから発される真っ青な光に照らされている。なお、タワー展望台の中身は、実は無造作に殺された市民の死体が無数に転がっている。想像してみると一種、桜の木の下に死体が埋まっているような残酷な美しさだとも思う。オスノマタワーの天気予報を兼ねたライトアップに関する描写は、訪れることのない黄金の予報についての言及がエピソードの締めくくりとなっており、それがまたこの上ない無情な余韻を運んでくれる。

 エピソードの魅力のもうひとつは、ディアハンターの存在と来歴だ。そもそもこの話のあらすじは、ディアハンターがニンジャスレイヤーことフジキド・ケンジを殺すために罠を敷き、狙撃し、決着するというシンプルなものだ。主人公であるニンジャスレイヤーが悪しきニンジャと戦い、殺すエピソードは両手の指では足りないぐらい存在する。それでもそのひとつひとつが鮮烈な印象を残すのは、各々に登場するニンジャ達の強い個性のおかげだろう。特にディアハンターが所属していたシャーテックの理念、ICBS思想の実態はニンジャらしい外連味が溢れておりたまらない。

 今回、私はディアハンターが罠として人質を選んだ点に詳しく言及したい。ディアハンター本人は過去の経験により人間的な感情は摩耗し、機械的に標的を射殺すニンジャとして描写されている。その一方で彼は、フジキドが単なる殺戮者ではなく人間的な情を捨て去ってはいないと分析する。そこで無関係の市民を捕まえて犠牲にするような罠を張る訳だが、このあたりで私はいつも、かつてのディアハンターにあった人間的な感情について考え込んでしまう。もしも彼が最初から人間らしさとは程遠い、ロボットやサイコパスのようなニンジャだったとしたら、ここでフジキドの情につけ込むような作戦を思いついて即実行しただろうか、と。できるニンジャもいるだろう。それでもディアハンターが人質を選んだのは、はるか遠い昔の彼もそうした卑劣な罠には憤り、擦り減らせる人間性を持っていたからこその判断ではないかと考えてしまう。最初からないものと、かつてあったものがないのは確かに違うと私は思う。私は摩耗したディアハンターを通して、かつて不条理に対して怒っていたかもしれない少年を悼んでしまいそうになる。

 最後に振り返ると、この話のタイトルは決着をつけたフジキドが位置的にディアハンターのハイクを聞けないという意味だけではなく、もはやディアハンター自身がハイクを詠めるような人間性を遠く過去に置いてきてしまったという意味にも聞こえてくる。ついにディアハンターは死の瞬間、ハイクを詠もうとしなかった。フジキドが聞き届けるハイクは、聞こえない以前に存在しなかった。私はそれを邪悪なニンジャの最期の物語としてクールに思うが、かつて存在した摩耗する前のディアハンターを考えて少しさみしくもなる。邪悪なニンジャの生と破滅に入れ込む私は邪悪な読者だろうか。どちらにせよ、ありとあらゆるニンジャ達は不条理に負けずにカラテして生き残って欲しいと繰り返し思う。そして私も、また毎日をもがいてみようと思う。

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