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そんなことを、思い出す。

夏だからだろうか
亡き祖父のことを思い出す。
大正生まれで、生きていたら108歳。
小学校の教師で、校長でもあった。
退職してから90歳まで書道の先生をし、老老介護をしつつも亡くなるまで短歌を書き続けた──尊敬する祖父。

そんな祖父は、第二次世界大戦時、兵士として戦場に立っていた。
私は子供だったから詳細は聞いていないが、軍曹だか、上の立場にいたらしい。

祖父は、よく寝言を言っていた。
いや、あれは寝言と言ってよかったのだろうか。
あんな苦しそうで、恐怖に怯えた叫びをーー寝言と言っていいのだろうか。

何も知らない幼い私は、母に彼の寝言について聞いたことがあった。
「じいちゃんの寝言って、どうしてあんなにうるさいの?」
幼いながらに残酷な質問だ。

母は少し考えたあと、私にこう答えた。
「おじいちゃんは戦争に行ったことがあるからーー戦争の夢を見てるんだろうね」
そう答えた彼女の目は、どこか遠い目をしていた。

戦争は終わった。
けれども、彼の中では終わっていなかった。
戦場にいた彼は、夢の中でも戦っていた。
残酷で、虚しい夢の世界だ。
戦争は、平和になった平成の時代でも、彼を苦しめていたのだ。

知らない世界がそこにあった。
理解できない苦しみがあった。
そう、経験していない私には、ひとかけらもーー
残っているのは、「そんな人がいた」という記憶だけ。

とある夏の日。
終戦から78年。
彼が戦った夏があったこと。
彼らが生きようとした夏があったこと。
そんなことを思い出す。
ーーそんなことを、思い出す。

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