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幸せになるのに

すべて自己解決するのが大人だと思っていた。
今だに街行く人々はそう見えるし、
それに憧れてもいた。

けど、真にすべてを1人で考えて、動いて、
生み出して、維持している人なんてそういないと
知っては疑ってを繰り返して、少し前にやっと腹落ちした。

そして、そんな「在り方」そのものは
当人にとっては美徳ではないのかもしれないことも。
その苦しみと必要な強さも。


救いは探しに行こう。

待っていても用意はしてもらえない。

1人の頭で塞がったら、会いに行こう。
答えやヒントを持っていそうな人に。
赤裸々に話せるような、
そしてそのうちに自ずと気付きをくれる人に。
(もちろん、人に限らず)

人一倍不器用なくせに、器用ぶるのは上手いし、
面倒臭がりなくせに、フッ軽ぶるのは上手いから、
誰かに頼ることや、誘うこと、巻き込むことが苦手なんて、
会いたいと思って言葉にせずに終わることがこんなにも多いなんて、
打ち明けない限り、誰も思わないだろうな。

もうそれも終わりにしないと。


今朝からずっと、
去年の夏から今日までのことを思い出してた。

この1年間に会っていた人、
読んでいた本や出会った言葉のおかげで今がある。

彼ら彼女らにとっては些細な記憶だとしても、
会えたたった1日のことを、
言ってくれたたった一言を、
反芻して今日まで選択してきた。

ありがとうね。

自覚がなくてもいいから、この気持ちだけは伝わっていてほしいな。


けど、そんな「救いを自分で求めに行くこと」ができないのが創作で。

こればかりは1人で何とかしたいし、
干渉されてしまったら意味のないものになってしまうから、
苦しくても1人塞ぎ込むしかない。

どれだけ底が見えてしまっても、
とにかく自分の内と向き合い続けることが創作だと思うから、
不器用でも頑固でも、遅くても、
苦しんでもこうするしかない。

だから誰かの話とか、触れた文学や映画の影響を受けたくなかったし、
共感を狙って書かれたありふれた言葉も、
感想文、二番煎じ、付け焼き刃的な詞なんかも
「私のもの」じゃないと思ってた。
(まだ半分くらいそう思ってる)

自分で自分の作品を愛せるのは、
産みの苦しみや時間を知っているからだと思うし、
自分の作品が愛せなかったら、自分の言葉じゃなかったら、
きっと創作する意味を感じられなくなってしまうと思う。

きっとそれじゃ限界はあるし、頑固なこともわかってる。
バランスだねって思う。
自己満足の音楽はしたくないし、
散々そうしてきて楽しくなかったから。


脈絡のない文章になってしまったけど、
今、これからの人生のことを考えては不安に思うし、
作詞作曲には躁鬱の波があって、
心なんてそれ次第で簡単にブレてて、
お気楽じゃない毎日を過ごしてます。(ダサ)

だけど、逃げてかけた保険のレール上で
身を削り続けていた先月までの生活よりは幾分マシ。
ちゃんと向かいたい方向へ歩を進められてる。

レールから外れる恐怖に勝っても、
外れ続ける恐怖とは戦い続けなければならない。

けど、苦しみたい場所で苦しめてるから。

大好きな人たちに、良い報告ができるように。


最後に、この1年間、
ずっと信じてきた言葉を。

また会いに行くまで頑張ろうね。

幸せになるのに金持ちになる必要はない。

していて気分がいいことをしなさい。

あなたが幸せなとき、
他のみんなも幸せだから。

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