今日もだった。 この頃、仕事から帰宅してシャワーを浴びながら、不意に生死について考える。 凄く単純に「まだ生きていたい」と思う。 ふわっと胸が浮く感覚がする。不安感なのか、生を実感する揺らぎなのか。 同時に、働きずくめになっていたらダメだなと反省して、現実世界に戻ったような感覚になる(人一倍頑張りたいけど) 今年の夏が始まる頃、ふと「死」が怖くなった。 怖くて怖くて堪らなくなった。 なぜか僕はいつも、家族や大切な人たちが亡くなったら嫌だとか、戦争はやめて欲しいとか、地震
最後に泣いたのって、いつだったっけ。 その理由って、辛さだった?喜びだった? なんて考えてた。 思えば、この頃泣いてない。 それはとても良いこと。 今の自分や置かれた環境、関係に納得ができてるからだと思う。 納得するものを選べて、 幸運なことに選んでもらうこともできた。 2023年、大きすぎる一年だった。 人と本と音楽に救われて、導かれて、安心の中まで辿り着けた。 涙について考えるとき、いつも浮かぶのは、 音楽のこと、恋人のこと、家族のこと、仕事のこと。 それらが単
数年前までのことを思えば、 「肯定されている」「受け容れられている」 なんて感覚すらないまま、否定の連続の中にいた。 何に良いと思ってもらえているのか、 なぜ自分なのか、 一つも分からなかった。 聞いても答えは返ってこなかった。 自信をなくして、 相手を信じることもできなくなった。 それでいて、 無理に在りたい自分になろうとして、 感情を隠して、平然を装った。 心も身体も完全に壊れていった。 そこから、悪く言えば、逃げた。 良く言うなら、やっと決別できた。 関係に関して
音楽は記憶と強く繋がっているって、知っている。 知っていたのに、こんなに時間が経っても、 今がこんなに幸せでも、とても息が浅くなって苦しい。 あの頃と同じ。 「トラウマ」なんて被害者ヅラはしたくないけど、 他人と作る幸せに際して抱えるようになってしまった「恐れ」も「諦め」も、こんなフラッシュバックも全てここに起因してる。 平日の朝っぱらからやられてしまっていて、仕事もしないで何を言ってるんだろうね。 自分の書いた曲が、我が子のように愛しい。 好きな音を、表現したいあれこ
久しぶりに通信制限ギリギリになってしまった今月。 超過したくないから、せっかく外出するのに乗り換え案内しか見れない。 1日1GBで残り2日間を耐え抜く!絶対に。 時間が増えたんだな、と分かりやすく痛感する。(その時間でスマホ触るなよ!と自戒。反省します。) それでも時間の有限性は感じていた。 気がつくと1日、また1日と過ぎて、7月も過ぎた。あの人の誕生日も、今年も過ぎた。 みなとみらいに出かける今日は100点の夏らしさで、外に出た瞬間「うわぁ」と思った。表情は「うわぁ」
すべて自己解決するのが大人だと思っていた。 今だに街行く人々はそう見えるし、 それに憧れてもいた。 けど、真にすべてを1人で考えて、動いて、 生み出して、維持している人なんてそういないと 知っては疑ってを繰り返して、少し前にやっと腹落ちした。 そして、そんな「在り方」そのものは 当人にとっては美徳ではないのかもしれないことも。 その苦しみと必要な強さも。 救いは探しに行こう。 待っていても用意はしてもらえない。 1人の頭で塞がったら、会いに行こう。 答えやヒントを持
半年以上、悩み続けて、 ついに2年3ヶ月勤めた職場を退職しました。 送別会、本当に温かかった。 思うよりずっと愛されていたな、 当たり前じゃないよな、 人に恵まれた良い居場所だったなと、 ただしみじみと思う。 余韻が今でも続いてる。 この先もこの選択を後悔しないものにするために、続いていてほしい。 壮行って凄いな。 こうした会の主役になることなんて初めてだった。 盛大に送り出してくれたからこそ、 もう絶対に戻れないし、 強い愛情はあっても、 もう戻りたいとは思わない。
2年と2ヶ月。 よく「振り返ってみると」という枕詞で 語られる意外性は今回は無くて、 短かったとも、長かったとも感じられない 確かな時間の流れだった。 ただ、本当に色濃い時間だった。 どれほど入り乱れた感情がそこにあっても、 そんなふうに複数の感情が存在するほど、 そして結果的にこんなにも名残惜しく思うほど、大切な居場所になっていた。 気づけば、 明日が来るのが重かった使命も、 やりたいことになっていた。 それが自分にとってどうとかじゃなくて、 なんとかしたいと思う
いつからか、幸せを手にすることが ずっと怖かった。 今も怖い。 特に他人との関係において。 幸せだと感じる瞬間、 ふとそんなことを思って、 寂しい想いと「今」に対する愛しさが 入り混じったものに 緩く重く胸を締め付けられる。 これまで書いてきた 『Eternal Love』『いつも通りの朝』、 そしてCandid momentという活動名の背景に置いた気持ちも、ここにある。 手にした瞬間、 それを失う恐怖と隣り合わせになること。 その恐怖を背負いながら、 失わないよ