観光客と英語/「保育園」って英語でなんだっけ
街中に観光客が増えてきました。
昔通りの賑わいの場所も多い。
この前は、なにか滅茶苦茶長い行列ができているなと思ったら、それは一蘭の行列でした。
昔はうんざりとすることが多かった観光客の集団や、路上駐車するバスの行列も、戻ってくればそれなりに嬉しいものです。
今のうちは。
先日の土曜、駅から自宅までの15分程度の家路を、息子7歳と歩いていると、数人の観光客グループに話しかけられた。
アジアのどこかから来たようで、英語で私に、「このホテルはどこだ」みたいなことを尋ねている。
これも、久しぶりの体験である。
懐かしさもあるが、何より私が意識するのは、息子の視線。
ここは一つ、物おじせず英語で親切&国際交流を洒落込む、父親の立派な姿を見せなくてはならない。
ホテル名と、スマホで見せられた地図をみると、なんとなく場所はわかった。
本当なら、英語でばしっと道案内をしたい。
なんだっけな・・・。ゴー・ストレイトアヘッド&ターン・レフトみたいな英語だが、咄嗟にはそんな英語は出てこないし、息子は見ているしで、私は努めて余裕たっぷりに、
「OK。フォロミー」
と言った。英語で道案内もできるけど、そこまで連れてってやるよ。というニュアンスを十分に感じさせる語感だったはずである。
「Where are you from?」
と聞くと、リーダー格っぽい、THE(※「ジ」)アジアインテリ風のヒョロ眼鏡は、
「We’re from 台湾」
と答えた。
おー、タイワーン。と、意思疎通が取れていることを大袈裟に示した(息子よ、見てるか?)。
「おー。ベリーグッドカントリー!」と、私。
何かの本で、
「台湾人は、台湾のことを『カントリー』と呼ぶと、喜ぶ」
という体験談を目にしたことがあったので、あえての「カントリー」呼び。
ハイクラスのインターナショナルなコミュニケーションだぜ。とかその瞬間悦に浸ったが、肝心の台湾人たちは、無反応とまではいかないが、非常にそっけない反応だった。
あらま、、、。
独立派じゃなかったのかしら。それとも繊細な領域すぎたのか。もしくは、この日本人、ただの無知なアホだと思われたのか。
微妙な雰囲気が流れる。
それでも、日本で何したとか何食べたとか、拙い英語でそれなりにコミュニケーションを続けながら歩いていると、「これはなんだ」と、ある建物を指された。
そこは、うちの息子も通っていた保育園で、仏教系でもあったので、確かに観光客が喜ぶ神社仏閣チックに見えなくもない。
これは保育園だ。
そう返したいのだが、保育園という単語が出てこない。
なんだっけな・・・保育園。
ここで、「はいすくーる、じゅにあはいすーくる、えれめんたりーすくーる、あんど わっつ?」など、身振り手振りで出川イングリッシュ式に伝えるやり方もあったが、息子の手前そんなことはできない。
保育園かー。なんだっけ。
キンダガートン・コップっていう、警察官シュワルツェネッガーが幼稚園に潜入するって映画のことを思い出したが、これは保育園だし、そこはちゃんと伝えたい。
てか、キンダガートンだっけ?キンガダートンだっけ?と自信も無くなってきた。
時間にすれば一瞬だろうが、個人的にはずいぶん長時間に感じられる中、頭を振り絞っていると、そうだ!と閃き、
「This is ナースリーホーム!」と回答した。
折しも、保育士が土曜保育の子どもたち数名を遊ばせている光景が、門越しには見えており、それをみながら台湾人たちは、
「ベリーナイス」「グレート」
みたいな感嘆を漏らしていた。
よくやったぞ、俺。
彼らをホテルまで見届けた後は、散々に息子にドヤ顔した。
「父ちゃん(私は父ちゃんと呼ばせている)、英語喋れるの?」
「ああ、あれくらい簡単さ。誰でも喋れるんじゃないか?HAHAHA」
家に着くと、まずは妻に一連の出来事を、興奮気味に報告する息子。
それをみながら、「あれくらい簡単」のくだりをまたやる私。英会話スクールに通ってみるか、息子よ。などと言いながら。
達成感もひとしお、リビングに座って落ち着くと、若干の疑念も頭によぎるので、一応、「保育園 英語」で検索してみた。
結果。
保育園は、「nursery school /ナースリー・スクール」だった。
「nursery home/ナースリー・ホーム」は、老人ホームというか、もうちょっと介護が必要な老人の「介護施設」くらいの意味合いらしい。
なんと。
台湾人たちはどう思っただろう。
「この日本人、やっぱ英語できねーぜ」と勘づいたか。
もしくは、偶然にも、そのとき外に出ていた保育士が結構おばあちゃん先生だったので、奇跡的に話の辻褄があった可能性もある。
そういや、「ナースリーホーム」という私の回答に、えらく感心していたので、
「すげえ。ジャパンでは、保育施設と介護施設が併設されているのか。確かに好循環が期待できる取り組みかもな」
と考えたのかもしれん。
というわけで、いつか「保育および介護園」が台湾から輸入されたら、それは私の功績です。
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