ぽん太のこと

桜が咲くと、ぽん太を思い出す。

ぽん太というのは1年と少し前まで私が乗っていた車の名だ。
HONDAのN-ONE、抹茶色とチョコレート色のツートンカラー。

きゃわいい

ころんとした車体とくりっと丸い瞳、目の周りの模様に「これはもうたぬきちゃんでは……?」となってぽん太と名付けた。
ホンダのぽん太である。

桜が咲くと、ぽん太を思い出す。

というといかにも、新生活が始まると同時に背伸びして迎えた相棒、期待に胸膨らませて共に眺めたSAKURA……という感じがするけれども、現実はいまひとつ格好がつかない。

***

社会人6年目で、東京から岡山へ転勤した。
太平洋ベルトど真ん中のだだっ広い工場。
最寄りのコンビニまでは徒歩30分。
従業員の9割以上は車通勤、そんな職場である。

そんな中、転勤して初めの半年ほど、私は残り1割のバス通勤をしている人間だった。

運転が怖かったのだ。

幼い日に再従兄弟にやらせてもらったマリオカートで私はうまくコースを辿れず、逆走と壁への衝突を繰り返していたし(時間切れでゴールできないなんて初めて見た、と言われた)、大学時代に通った教習所では「ギリギリおまけしとくわ。ギリギリやで」と言われながら実技合格をもらった。
思うに動体視力ととっさの判断力が皆無なのである。アクションゲームでもすぐ死ぬ。

そんな人間が運転なんてしたら事故を起こすに決まっている。
恐ろしすぎて、車なら40分で済む通勤経路を、電車とバスで2時間近くかけて通っていた。

***

同僚の「○○さんいつ車買うん〜?」を笑顔でごまかしつつ半年、最初の繁忙期が見えてきた。

工場が用意している通勤バスは、本数が少ない。

朝は、始業にちょうどよい時間に着くのが1本だけ。
夜は17時から約1時間に1本、19時過ぎるともう打ち止めである。

今まではなんとか19時までに退勤できていたけれど、年度末が近づくと業務量の増加が予想される。職場で夜を越すのは嫌だ。夜勤シフトならともかく、こちとら朝8時から出勤しているのである。

観念して車を買った。
買ったらそれなりに「愛いやつ」という気持ちになったので、ぽん太と名付けた。

ぽん太は可愛かったけれど、運転は相変わらず苦手だった。
コツをつかむと思ったよりも駐車は簡単で、ブレーキもなめらかにかけられるようになったのに、不得手なことを神経をすり減らしながらやっている、という感覚はなかなか消えなかった。

***

転機を迎えたのは、岡山に職場を移って最初の4月だ。

人事の4月は忙しい。
新入社員と転入者の受け入れをはじめとする年度始まりのイベント事に奔走していると、そんなときに限ってトラブルが起こるのだ。

なんとか収拾をつけて夜9時、精魂尽きた状態でぽん太に乗り込む。
早く帰りたい、という一心で、いつもより少し深めにアクセルを踏み込み、幹線道路を抜け、細くなだらかな登り坂に差し掛かった。
周囲に他の車の姿はなく、人家も遠く、頼りない街灯の光が及ばぬ先は真っ暗な闇。
ああ本当に早く帰りたい、と、嘆息したとき。 


目の前にぶわっと、桜吹雪が散った。


その道の両脇に桜が連なって咲いているのには、もちろん気づいていた。
けれど、転勤して最初の年度末、しかも慣れない運転中。
仕事と運転のことで頭がいっぱいで、せっかくの桜並木を単に背景として認識していた。

そして今、4月最初の週末が過ぎて、少し葉が出てきた桜の枝からとめどなく地に舞い落ちる花びらと、ぽん太のタイヤの回転によって舞い上がる、既に散った花びらと。
それらが渾然一体となって、フロントガラスにぶつかってくる。
都会では考えられないくらいまばらな間隔で立ち尽くす道路照明灯と、それを補おうとハイビームに設定したヘッドライトの光が、暗闇の中から躍り出るようにこちらへ向かってくる薄桃色の洪水を照らす。ほの白く輝く、雪片のようにかそけきひとひらひとひらが、渦を巻き、彼我を隔てる透明な膜にぶつかって、一瞬のちには遥か後方へ流れていく。

せいぜい数十メートルの、短い桜並木。
そこを走り抜けるごくわずかな時間が、本当にスローモーションのように感じられた。

***

次の日も、仕事を終えたときにはとっぷりと日が暮れていた。
また同じ光景が見られないかと少し期待しながらぽん太を走らせたけれど、その日も、その翌日も、その次の4月も、あんな景色は見られなかった。

疲労困憊した脳が見せた幻だったのか、哀れな会社員に神様が見せてくれたご褒美だったのか、いったいどちらなのだろう。

***

それから、運転への苦手意識が突然薄れた。
あの光景は、車に乗っていなければ見られなかったもの。そう思うと、運転をする時間がなんとなく、いとしくなった。

憂鬱な運転の時間を少しでも慰めるための愛玩動物、のように感じていたぽん太も、もはやただの「かわいいたぬきちゃん」ではない。
私に成しえない速度で私をどこまでも運び、徒歩や電車ではまみえることのできない景色を見せてくれる、凛々しい相棒である。

そのうち、「運転もできたしなぁ」というのが、個人的な合言葉になった。
やったことのない仕事を突然振られたとき。難しい性格と評判の人に交渉事をもちかけないといけなくなったとき。
気が進まないけれどやらないといけないことに取りかかるとき、こっそり呟いて自分に弾みをつける。

まぁ、運転も、やってみたらできたしなぁ。
あんな景色も、見られたんやし。

そう唱えると、頭の中にあの日の桜吹雪が浮かんで、やってみよか、という気分になる。

***

その後、私は転職して大阪に引っ越し、住宅事情の関係でぽん太を手放してしまった。
運転をすることもなくなったけれど、もしまた車が必須の生活になっても大丈夫、という妙な自信がついている。

だって一度はできたんだもの。

思えば子供のころは、できないことができるようになる喜びの連続だった気がする。
それがいつのまにか自分の「守備範囲」を設定して、何かを新しく始めることに尻込みするようになってしまっていた。

ぽん太とあの日の桜は、そんな私を少しだけ変えてくれた。

だから、桜が咲くと、ぽん太を思い出す。

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