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23.7.13誕生日餓鬼(*´艸`*)

昼過ぎ急に思いついた。
今日はケーキを作ろう。

しかし、最近胃が重く、がっつり甘いものは食べたくない。どうにかするかと、我らが母クックパッドに教えを請う事にした。

生地におからパウダーを使って、ココナッツミルクのクリームならあっさり、甘さ控えめになるらしい。
ココナッツミルクは水きりに時間がかかるらしいけど、昼に思いついたもんで、時間がない。今日食べたいのだから。下準備をざっとするで見過ごす事にした。
結果角は立たなかったけども、少しおからパウダーを混ぜて緩いクリームを固まらせる。
いちごは高いし、今は出回ってないので家にあったバナナをつける事にした。

バナナケーキ🍌

見た目は残念だけど、味はぼちぼち良かった。おから臭さが少ないし、クリームが美味しい。今度は下準備しっかりやろう。見た目ももうちょいこだわりたい。

色んな人の助けに恵まれた日々、

(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)ヘ⁠(⁠。⁠□⁠°⁠)⁠ヘ(⁠*⁠﹏⁠*⁠;⁠)(⁠*⁠﹏⁠*⁠;⁠)(⁠*⁠﹏⁠*⁠;⁠)(⁠@⁠_⁠@⁠;⁠)(⁠^⁠_⁠^⁠メ⁠)(⁠^⁠_⁠^⁠メ⁠)


書いてる途中で寝てしまった。
起きたら顔文字だらけだった(*´艸`*)怖っ。
もうぅ





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誕生日。
恥ずかしくてたまらないが、私は誕生日を祝われたい。し、大切にしている。で、「もう、いいよ~いい年なんだし、子供じゃないんだからさぁ」を本心で言える大人になりたい。そう思い続けてうん十年。
派手にされたいわけじゃないのよ。「今日、(誕生日)そうなんでしょ?」でいい。あっさりでいい。あっさり「が」いい。ラインのスタンプ一個「Happy Birthday」をポンッでいい。そんな感じ理想的だ。自分から言わなきゃ分かんないよ。と思い、言っていた時期もあるが、わざわざそんな知り合いでもない人に言ったばっかりに大人数の前で「この人今日誕生日なんですよ(笑)」と言われ、静まり返った場。凄く恥ずかしい気持ちになって、言ったやつの顔面踏み潰したい1日で終わったので、ここ数年はなるべく言わないようにしている。虚しい気持ちで1人で過ごす方が人を心の中で殺さなくていいからだ。でも、祝われたい欲は収まらない。誕生日を祝われたい欲と言うのは、面倒くさいし、丁度いい温度感ラインがあってだね…と小難しい事を言い始めるおばさんがここにいる。たぶん、いい年齢の大人の方は痛々しい奴だと思っているだろう。そういう人は毎年ゼッタイに自分発信ではなく祝われている。家族とか。それで十分に満たされた蓄積があるから「もう良いよ」が言える。私の場合まだまだ満たされてない。拗らせている。誕生日ってのは、どれだけ他者に必要だと思われているか、どれだけ他者に貢献したかの結果発表の日だ。
私の性格の悪さが八百屋の売り棚のように目の前に並べられ、現実を突きつけられ、未来が不安でいっぱいになる。
仕方ない。これが私の人生だ。私が人とコミュニケーションを取らなかったからだ。私が家族を大切にしなかったからだ。仕方ない。頭の中で納得させる。他人の誕生日なんか全く興味はない。そりゃそうだけど、これは他人止まりで線をひいている。私の問題でもある。「自分から言わない。毎年祝われる。状態が当たり前」なんて、どこの世界線のおとぎ話だろうか。そこまでの関係作りが難しい。家族だけは無条件で覚えていて欲しかった。ここ数年は皆の誕生日や、父母の日は積極的に連絡していた。そういう邪な心じゃ駄目なんだろう。たぶん物を贈らないと駄目なんだろうし、もう老いてしまってそれどころじゃない。これ以上に求めるのは違う。私が支える側にならないといけない。家族に期待してはいけない。今年もこのコミュニケーションの成績表には✖がついたわけだが、もう、40も過ぎるとそれが通常状態なので、受け入れるしかない。「40過ぎるともっと虚しくなるよ。自分は虚しいのに、自由な時間があっていいねとか言われて。」と、昔先輩に言われた事が頭を過る。家族があれば、友人がいれば、皆、それぞれの立場で、様々に大変。同じような気持ちの人はいるだろうか。その人達だけ分かってくれそうだったら、ちょっと分かってくれればいい。がっつりは怖いんで。ここでもっと人の役にたとう!人の誕生日を祝ってやろう!と思わないところがしゅーもないヤツだ。上っ面剥がせばそんなんばっかりだと思う。

追記
毎年連絡をくれる友人が1人いる。
今年も連絡をくれた。非常に嬉しい。
今年度分の拗らせは終了した。