変な人 (28)地元商店街、消えた寿司無宿おばちゃん
そのおばちゃんは、醤油をかけた寿司を持って忽然と姿を消した。
それは秋の、とある一日。
まだ温かい日が差すお昼時に、駅前の銀行に立ち寄ろうとした時だった。
銀行は、コンビニと持ち帰り寿司チェーン店の間にある、キャッシュディスペンサーだけが並ぶ無人店舗。
店舗の自動ドアの前の狭いスペースには自転車がぎゅうぎゅうにとめられ、その真ん中に空いた50cmほどの狭い通路を通って奥に行く。
それはいつもの風景であった。
私の前には70歳くらいの、ややお太り気味、ゆったりとした肉色のスカート(たぶんウエストはゴム)に、煮しめたような独特の深みのある茶色のカーディガンを着込んだおばちゃん。
その手に、お隣の店で買ったと思われる透明のパックに入ったお寿司を袋にも入れずに持っていた。
「そのまま自転車のカゴにでも入れて持ち帰るのかな。途中で開いちゃったりしたらどうするんだろう」
と一瞬思ったものの、
「まあ、そんな人もいるよね」
と、奥の銀行に入ろうと思ったその時、そのおばちゃんは意外な行動に出た。
そこに置かれている自転車の後ろの荷台部分に微妙なバランスで寿司パックを置き、ぱかっとふたを開け、添付されていた醤油を迷わず寿司全体に行きわたるようにかけ始めたのであった。
「ええ? 今ここで食べるの?」
驚きとともに、私はそのわずか10秒程度の行動をおばちゃんの後ろで眺めていた。
しかし、まさかそのままそこに立って、おばちゃんが寿司を喰う姿をじっと眺めているわけにもいかない。
とりあえずお金を下して戻ってきても、まだここで食べてるだろう、との思いでそのままおばちゃんの脇を通り抜け、1分ほどで要件を済ませワクワクしながら現場に戻る。
しかし意外なことに、おばちゃんの姿はそこから消えていた。
「えーー! いない!」
「でも、どこに?」
おばちゃんの、直後の行動として考えられるのは、
・歩きながら、醤油のかかった寿司を食べる。
・目を離した1分で、全部食べ終えた。
・別の落ち着ける場所を探しに歩いている。
2つめ、そして3つめの推理は決定力に欠ける。
さすがに寿司1人前の量を1分で食べるのは無理だし、落ち着ける場所を探すのなら、そこで醤油を使うはずである。醤油をかけたということは、すぐに食べ始めるという決意の表れである。
ならば歩きながらということになる。
人は歩きながら寿司を食えるものなのだろうか。
まあ食べられるだろうけど、家で食べてはいけなかったのか。
そんなにお腹が減っていたのか、おばちゃん。
あるいは、お出かけのために今すぐお腹を満たす必要があり、それは「どうしても寿司でなくてならなかった」ということか。
寿司は歩きながら食べるものではない、という庶民の小さな常識など、おばちゃんにとってはどうでもよいことなのだろう。
それにしても、忽然と姿を消したおばちゃんは、いずこ。
まだそこいらに居るのではと私は尾行対象者にまかれた探偵のように、曲がり角の先を確かめたり、辺りを探したりしたが、おばちゃんの姿はない。
わずか一分。歩いているなら発見できるはずである。
まさか走ってここから離れたのか。寿司の走り喰い、か。
もしやあれは幻、白昼夢であったのか。
全然見たくもない、幻だけど……。
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