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ヤメル講座 (5) お中元・お歳暮をヤメル

単に儀礼的なだけで特別な気持ちもないのに、
なぜ贈るのですか?

何のための「贈り物」?

「結婚祝い」「出産祝い」「入学祝い」「お香典」「お年玉」「誕生祝い」「卒業祝い」、そして「お中元」に「お歳暮」。
生活の節々で登場する“差し上げる”世界と“いただく”世界。
こうしてあらためて見渡してみると、不思議に違和感のある「お中元とお歳暮」。祝うといった気持ちもなく、相手の大変な状況を察してといった必然もなく、ただ時期がくれば贈っているもの。しかも、ほかが「お金」そのものであるのに比べ、お中元とお歳暮だけが「モノ」なのです。
とくに、会社関係の相手に個人的に贈る場合など、この「モノ」という点も、逆に真意を悟(さと)らせまい! という、ゆるやかな意図などを感じてしまうのは考えすぎでしょうか?
そのほかが、素直に祝う気持ち、あるいは、いたわりの気持ちであるだけに“率直”にお金を贈るのに対して、お中元・お歳暮では「モノ」を贈ります。そこには、「お金」を出すほどの強い、きちんとした理由はないにせよ、「ひとつよろしくね!」という気持ちが込められている気がしてなりません。
「何を今さら、あたり前のことを!」
「そうはいっても、人間関係を円滑(えん かつ)にするためには……」
「日本の季節の文化だから……」
そんな声も聞こえてきそうです。
昔流の営業の世界、上司部下の関係において、お中元とお歳暮は欠かせないものでした。もしも欠かすようなことがあれば、
「お客さまに対するありがたみ、感謝の気持ちが足りない!」
「日ごろ、お世話になっている上司に対して何もないのか!」
とさえいわれていました。まったく、ひどいものです。
確かに、終身雇用で、担当者の胸先三寸で「出入り業者」が決められていた時代の“付け届け”には、「あなたにお世話になっています」「忘れておりません!」的儀礼として、おおいに役立っていたことでしょう。
 

「あの人が贈るなら……」のくだらなさ


しかし、お中元とお歳暮とは、考えてみれば、相手も儀礼とわかっているのです。これほど空(むな)しい制度もありません。
 
・単に決まりごととして、価格帯で贈るものを決める
・相手の個人的趣味、嗜好(し こう)も知らずに、ほんとうに欲しいものなど贈れない
・少なくとも邪魔にならないものを贈る
・別にそんなに相手が喜ぶことなど考えない
・相手の立場が変わったら、贈らなくなることもある
 
しかも、贈られた相手は、これまた機械的に送り返すこともあるでしょう。「あの人が贈るなら、私も!」という人も出てくるかもしれません。
なんと空しい、喜びの少ない競争でしょう。もし、「主婦に聞きました! お歳暮は好きですか?」といったアンケートが存在するなら、おそらく9割がた「とてもキライ」「キライなほう」を選ぶことでしょう。機械的に贈った「お中元・お歳暮」に、これまた機械的に返す「お中元・お歳暮」。こうしたムダな行為は、やめたいものです。
そもそも、ほんとうに今も「お中元・お歳暮」は有効なのでしょうか? 答えはハッキリいって「NO」。もはやそんな時代ではありません。
考えてもみてください。最近、お中元やお歳暮のおかげで得た仕事があるでしょうか。よくわからない世界ではありますが、付け届けで昇進、というのは、今もできるものなのでしょうか。いや、できるわけがありません。
逆に、「あいつは付け届けを欠かさないから、仕事をやろう」などと発注をしている会社があったら、そこはあぶない! と考えたほうがいいくらいです。品質や価格、あるいは、オリジナリティーあふれる発想、製品やサービスに対するケア。仕事を決め進めていく要素は、こうした“実質的”なものに、すっかり移行しているのです。
そんな時代にあって、「盆暮れの付け届け活動」をいまだ続けているのなら、旧世代に属している、ないし、旧態依然のシステムのなかで仕事をしていた人=実力的にはいまひとつの人、といった判断さえ下されかねません。
あんなにも付け届けやお金が好きな国会議員でさえ、今や付け届けは自粛しているほど。しかも、公務員の世界でいえば、立派なワイロです。
さらに、地方の町や村では、親戚縁者、ご近所さんに対する「祝いごと」の多さに耐えかね、葬式5000円、結婚祝儀3万円など、見栄の世界を捨てて、定額制度を導入している地域があるくらいです。そこはかえって、都会よりも進んでいるのです。

やめるための現実的な方法

そろそろ私たちも“付け届け縛り”から解放されてもいい時期ではないでしょうか。ちなみに、お中元やお歳暮の総額平均は、2万数千円。この金額を考えただけでも、ちょっと努力してみる価値はあります。
ただ贈ってあたり前の査定ゼロ、ところが、急に断りもなく贈らなかったりしたらマイナス査定、という「付け届け」の世界。こんな空しい行為をやめるために、あらぬ不幸を引き起こしてしまうのでは、ワリが合いません(みんなそれで“やめられない”わけですが……)。
仕事上、ほんとうに必要で重要な相手ならば、会社から贈るほうがいいでしょう。
しかし何より、自分はけっして受け取らないこと。まず、「あの人はそういうことをしない人」という評判をたてることも大切です。あるいは、ちょっと乱暴なやり方ですが、相手の数倍も高いものを贈り返すのです。「あの人に贈ると、ほんとうに気をつかうので、かえって大変!」と思ってもらえたら、それこそラッキーです。
問題は、社内の相手。これはもう、部署の異動などを待つほかありません。そこは毎日顔をあわせる相手です。部署が変わるまでは、あきらめて贈り続けるのが賢明でしょう。そして、異動したら即座に、過去を捨てること。あるいは、まったく別のタイミングで数回「付け届け」などをしたのち、「お中元・お歳暮」をはずし、目立たぬようにこの儀礼の世界からフェード・アウトすることです。
「お中元・お歳暮」は、今まで贈ってきた相手が贈ってこなくなれば腹が立つもの。しかし、最初からそんなことをしなければ、別にどうってこともないものなのです。
これまで贈ったことがない人は、実にラッキーです。これからも、ぜひ贈らないでほしいものです。贈ったが最後、くだらないスパイラルに巻き込まれることになるのですから……。
すでに贈ってしまった人は、確かに、断ち切ることはむずかしいでしょう。大変な努力が必要です。仕方のないことですが、この際ポジションの異動など、チャンスをけっして見逃さないことです。
何にせよ、「“心を伝える”お中元・お歳暮」というウソの世界からは、もうそろそろ卒業してもいいころです。
 

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