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変な人 (30)山梨の、あけっぱなし家族

 その家族は決して扉を閉めなかった。

 それは友人たちと山梨県の低山トレッキングに出かけた宿泊先でのことだった。
 その宿はかなり古ぼけていて、主要駅からバスで30分、お風呂は温泉ではなく100%水道水使用、トイレは共同であった。
 部屋は2階。
 真ん中に広めの廊下があり、左右に3部屋ずつが並んでいた。
 その日の宿泊客は、私たちの他には1組の家族連れのみ。
 私たち2組には、廊下の一番奥の部屋が割り振られていた。
 扉を開ければ廊下を挟んで正面に向かいの部屋の扉がある、そんな位置関係。
 下山し、私たちがその宿に到着したのは午後4時。
 食事は下階の食堂で6時から。
 ということで、私たちは「とりあえずビール」の時間を楽しんでいた。
 ビールにとって、人はただの通り道。飲めば30分後には当然トイレということになる。
 トイレは廊下を歩いた先にある。
「ちょっとオレ、トイレ」と、私は扉を開けて廊下に出た。
 すると、どういうわけか、隣の部屋の扉が開け放たれている。
 それもちょっと閉めそこなったという程度でなく、明らかに「わざと全開」風にしっかりと開け放たれているのだ。
 当然部屋の中はまる見え。
 私のほんの2m先には寝転がってゲーム機をいじる子供。その向こうで、テーブルのビールを飲むお父さん、手前でお茶を飲むお母さん、つまり家族の日常の姿がそのまま公開されていた。

こんな昔ながらの普通のドアが、普通に開けっ放しになっている。

 私は何となく見てはいけないものを見てしまったような気持ちに襲われ、とっさに目をそらしトイレに向かった。
 夜7時、古い宿なりに贅を尽くした肉中心の夕食とビールを美味しくいただき部屋に戻る。
 お隣の「扉開けっ放し家族」も同じ時間に親子三人、和気あいあいと夕食を楽しんでいた。
「あぁ、そうか、さっきは部屋の空気でも入れ替えていたのかな」
などとぼんやり思いながら部屋の戻ると、部屋にはすでにふかふかの布団が敷いてある。
 私たちは、残された畳スペースに移動されたテーブルに小さく集まって、持参したウイスキーとつまみで、何の意味もない馬鹿話をしながら楽しい宴会を続けた。
 やっぱりトイレに行きたくなる。
「ちょっとオレ、トイレ」
 廊下に出ると、驚いたことにまだ隣の部屋の扉が開いている。
 真正面ゆえ、いやでも部屋の中の様子が目に入る。
 そこにはテレビの前に集まる、浴衣に着替えた三人家族の姿。
 テレビの前に置かれたお盆の上に、たぶんお父さんが飲んでいるのだろう缶ビールが乗せられ、テーブルの横には自分たちの部屋と同じようにふかふかの布団が敷かれている。
 他人の家庭。布団が敷いてある部屋の風景。
 こんな言い方をすると隠微な感じになってしまうが、
「なんか生々しいなー」
と、感じてしまう。
 この状況でさらに部屋の中の奥さんなんかと目があったりしたら気まずいぞ。だいたい、なんで扉閉めないんだ? いろんなこと考えながらトイレに行く。
 ビール、ウイスキーと飲酒を繰り返す私たち3人は、頻繁にトイレ通いを繰り返す。その結果、扉を開けるたびに隣の生活シーンが目に飛び込んでくるということが繰り返されることなる。
 そうなると馬鹿話の話題も自然に「なんで隣は扉を閉めないのか」ということになるわけで。
「そういうのが好きな人たちなのかもしれない」
「日本人に見えるが、もっと開放的な暮らしをしてきた国の人たちなのかもしれない」
「何かのアリバイ作りなのかも」
「ドッキリじゃない?」

 なぞは深まるばかりなのだった。


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