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67年前の二眼レフカメラを買ったら、すでに愛着がすごい

二眼レフカメラを買った。先日、noteの「あなたへのおすすめ」で出てきたこの記事を読んで、心底「いいなァ…」と思った。こんなにも心を刺してくるなんて、noteのおすすめ機能は侮れない。

読んだのはこの記事。何がいいかって、記事の中のこの部分です。

撮りたいものをじっと見つめて集中するので、ある種の儀式のような感じがして結構好きな時間です。

ここね、儀式。上手いこと言うなぁ。

現代のデジカメとは違い、二眼レフカメラの撮影の行程は手数が多いです。なんせ手動のフィルムカメラですから。

フィルムをセットし、巻き上げる。露出を測って、絞りとシャッタースピードを決める。箱の中を覗いてピントを合わせ、シャッターを切る。もちろん手ブレ補正なんてついてないので、慎重に切る必要がある。

これらの行程を「儀式」と表現し、写真を撮るときはカメラの一部になってる気がするとまで表現されてた記事。これにはビビッときました。心が動きました。ああ、これは自分のための記事だな、そう思いました。これは買うしかない。

で、買った。かなり勢いで買った。MINOLTAのフレックス3型。二眼レフのことなんて何も知らなかったけど、買うならずっと使ってきたMINOLTAがいい。今はまぁSONYになってしまったけど。

MINOLTAフレックス3型は1954年のカメラらしい。つまり昭和29年。戦争が終わって9年経った時代。高度経済成長が1955年からなので、まさにその前夜。

当時の販売価格は43,500円とのこと。大学初任給が8000円を切ってたという時代だから、そーとーな高級品ですよ。どんな人がこれをどんな思いで買ったんだろうなぁ…

活気づいてきた日本を遺しておきたかったのか。それとも家族や友人や恋人を撮りたいとプライベート的なことで買ったのか。それとも仕事で使ってたのか。

なんせ67年前のカメラ。間違いなくこのファインダーはいろんなドラマや人情を見てきてるはず。親から子供に継承されたかもしれない。そう思うとグッとくるよね。もうこの時点でこのカメラ買ってよかったと思ってる。

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気分を高めるために同じ時代の雑誌も買った。1951年のアサヒカメラ。型は違うけど、MINOLTAフレックスの広告が載っててニヤリ。

既にカメラは手元にあるので順序は違うけど、この広告を見て「欲しいなァ…」と思って3年後にようやく買ったことにする。イメージを膨らませます。

「最近、仕事の調子もいいし、娘も大きくなってきたしな」
「焼け野原だった日本の町もどんどん復興して姿を変えてきた。ここからは時代が一気に変わる予感がするぞ。今のうちにこの景色を遺しておいた方がいいかもしれない」
「そういえば3年前のアサヒカメラ、あれに載ってたMINOLTAフレックス…あれいくらだったか?」
「あ、今は3型が出てるんだ。43,500円か…高いな。でも今なら消費税もかからないし…よし、買うか!」

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で、買ったのがこちらのカメラです。(妄想)

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雰囲気を出すために、早起きして純喫茶でモーニングを食べてきました。ちなみに普段はコンビニのパンを10時くらいにモソモソ食べてます。二眼レフカメラを買ったら早起きできました。目覚ましより効果あるかもしれません。

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普段は趣味レベルではありますが、デジタル一眼で写真を撮ってます。今のカメラの性能には驚かされるばかりです。

少し前から広島のなつかしい風景を写真に撮ってるんですが、ものすごく綺麗にくっきりと写るんですね。時にそれが物足りなく感じることもある。

技術の進歩を否定したい気持ちはありません。ただ、日々の競争や成長を求められる社会に少しだけ疲れるなぁという気持ち。

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そんなとき、思ったんです。日常の中に"無駄なもの"や"手間がかかるもの"を感じる時間があったらいいなぁって。

技術の進歩や成長って、どこか冷たく思われるじゃないですか。でも僕はそうは思いません。だってさっき妄想したように、この手にしてる二眼レフカメラが出た時代もすごいスピードで技術は進歩してたし、社会は成長してた。

あの時代と違うのは、立ち止まったり感謝することじゃないのかな、とちょっと照れくさいながらも思うのです。確かに今の時代は立ち止まりにくいし、全てのモノやサービスが良くなりすぎて、当たり前になりつつあるから感謝もしにくい。

技術の進歩や成長の恩恵を当たり前のように享受してたら無理もない気もします。だからといって懐古主義に陥り、技術の進歩と成長を否定するのもまた違うと思ってる。時代の流れに沿いながら、都合よく昔をなつかしみたい。あくまで都合よく。昭和の建物が好きと言いながら、トイレは洋式の水洗がいいと思ってる感じといえばわかりやすい(にくい)だろう。

だから思うのです。日常の中に"無駄なもの"や"手間がかかるもの"を感じる時間があればいいなって。神社に行ってお祈りして手を合わすような。そう、だからこの二眼レフカメラの撮影を「儀式」と例えられてたところにグッときたんです。

どれだけ急いでても、このカメラで写真を撮るときは立ち止まらなければならない。ひとつひとつの動作を丁寧にする、せざるを得ない。そういう時間は現代では意識しないと手に入らない。僕はそんな時間を買ったんだと思います。だからこの二眼レフがすでに愛おしい。

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ファインダーを覗くとぼやけて見える。この感じがまたいい。くっきり見えすぎないのがいい。真剣に見ないといけない時間がいい。なんだかとってもすてきね、いーでしょ?(いーよね!)

このカメラでどんな写真が撮れるのか楽しみです。いやぁ、いい買い物したな。

カメラ屋さんに聞いてフィルムも無事にセットできました。さぁ、問題はちゃんと撮れるのかどうか…勢いで買ったので整備品ではなく動作未確認のものです。その辺、かなり適当で「とりあえず買ってみるか」という性格をしております。

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フィルムは巻き上がり、3の所までいきました。つまり、3枚は撮ったということ。ただ、写ってるのかはレンズの状態とか調べてないのでわかりません。どんな写真になるのか?また書きますので楽しみにしておいてください。

まるでフィルムカメラの現像を待つかのように、いつになるかわからない続きのnoteを楽しみにしておいてください。のんびりいきましょう、2021年。

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