「すずめの戸締まり」新海誠

新海誠監督の最新作・すずめの戸締りを観てきましたー!
最初聞いた時は、「君の名は。」「天気の子」に比べてつまらなそうなタイトルだな・・・と思っていたのですが、内容は非常に自分というものについて考えさせられ、今日を大切にしようと思えるいい映画でしたよ!

「すずめの戸締まり」新海誠


九州に住む東北震災の被災者・スズメは災いが出てくる扉を閉めるために東京から旅をしてきた青年・ソウタと出合う。スズメが抜いてしまった封印・要石(かなめいし)が化けた猫・ダイジンにより、ソウタはスズメの母親の形見の椅子にされてしまう。ダイジンを追いかけて扉を閉めながら日本を北上していくスズメとソウタは、東京でもう一つの要石が抜けた場面に遭遇。二つの要石を失ったことで超巨大なミミズが東京の空を覆い、今にも大震災が起きようとする中、ソウタは自らに要石の役割が移っていることに気付き、スズメはやむを得ずソウタを使ってミミズを鎮める。
要石となり常世に行ってしまったソウタを救いたいスズメは、ソウタのもとに向かう唯一のルートである、子供時代に一度通った扉を求めて宮城へ向かい、その扉から常世へ。
ソウタを救い出し、再び暴れ出した巨大ミミズを二人で封印して一件落着。

 「東北震災があり、今後首都直下地震が来ると中で生きている自分達」ということを強く感じさせられ、「今日を生きている奇跡、自分が存在していることの尊さ」を感じさせられる作品でした。

 まず東北大震災をテーマにしたことがめちゃくちゃすごい。すでに揺るがない地位を築いている人が、バッシングされる可能性やリスクもある中で、それでも伝えたいことがあってこの映画を作っているのだという想いが伝わります。

 劇中では、扉から出てきた巨大ミミズが倒れ込むことで地震が起きるのですが、そのミミズは他の人には見えておらず、皆いつも通りの生活を送っています。そのことが一層、自分たちの日常のすぐ隣に潜んでいる生命の危機を感じさせます。
 また、常世は、地震直後のような燃え盛る世界で、以前生活していた人たちの声が聞こえてくるシーンがあります。皆がそれまでの日常と何ら変わらず、ずっとこの生活が続くかのように「おはよう」「行ってきます」「行ってらっしゃい」を言い合っているシーンは胸が痛みます。その日にそんなことが起こるなんて誰が想像しただろう。映画には出てきませんが、喧嘩して家を出た人もいただろう。それが最後の別れになってしまった人もいただろう。どれだけ後悔しただろう。どれだけ苦しんだのだろう。
 自分は被災地に住んでいたわけではないですが、震災があったことを覚えています。人から聞いたり、後から動画で見たわけではなく、それを自分の体験として間違いなく記憶しています。あの日体育館で生徒総会が行われていて、大きく揺れて、体育館の上のバスケットゴールの下の場所を空けてすわりなおして、何も知らないまま家に帰ったら、テレビでは津波のニュースが流れていて、、、、、
 その出来事は、確かに自分の中にあること。そして、そういった一つ一つの経験・記憶が、今の自分の感じ方、とらえ方、果ては生き方を決めていて、そう思うと、今日までの出来事一つ一つに今の自分は造られているわけで、そう考えると今の自分が存在していることは本当に奇跡だなと思えます。

 人の死というのはいつもすぐそばにあり、今この瞬間に何があってもおかしくない。ありきたりの感想ですが、本当に命は尊いし、今日を大事に生きていきたい。どんなふうに生きても、その時になったら後悔はしてしまうものだと思いますが、あの時ああしておけばよかったという後悔はできるだけ少なくしたい。人には優しく、自分に厳しく、他人への感謝、愛情はきちんと伝え、常に、その人に会うのがその時で最後だとしても後悔が無いように、きちんと想いを伝えるようにしたい(難しすぎるけども!)。

 監督の企画書によると、「観客が映画館から出たときに、その生が少しだけでも高揚するといい。そういう映画を作りたい。」とあるのですが、それは本当に成功しています。きっとこの映画を観た全員が、命の大切さを感じたはずです!

 「要石の猫が最初から刺さればよかっただけでは?」「結局最後は猫が刺さろうと思ったから大震災が収まったの?」とも思いましたが、神の気まぐれで地震が収まるというのも、愛とか努力で地震を防ぐことはできない我々人間のことを考えると、なんだか上手くはまっているような気もしませんか?

「この選択をして、自分は後悔しないか?」が自分の新たなキーワードになりました!

是非観てみてください!
そして感想も教えてくださいね!

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