大人になると会話ムズくね

最近友達と話していても、なかなか本音で話せていない気がする。相手の為を思って言ったことでも、相手には相手の考えがあり、大人になるとなかなか人の話をすんなり受け入れられなくなる。自分は年齢を重ねていきながら、人の話をきけるようになったが、周りにはその逆が多い印象だ。自分の上司、両親、これまで関わった大人と呼ばれる人は、皆自分が生きた世界が全てであるかのように振る舞い話す。いやいや、そんなことないし、私は、俺はちゃんと話を聞いているよ。そう言う人も多く見てきたし、これを読んでいる貴方も同じことを考えるかもしれない。本当にそのパターンもあるかもしれないが、かなり珍しい人だと思う。

私は自分の考えが大方正しいと思い、これまでの人生の70%を生きてきた。しかしながらここ最近は、自分の経験や推測では図ることができない事象が沢山身の回りで起きている。そのお陰で、もしかしたら○○かもしれない、そういう考えもあるな、と思うことがようやく出来るようになった。

自分が正しいだろうと考えていた時は、自分の意見をかなり強く持っていて、他者にもズバズバ意見をしていた。また、それが結果的に正しいものであったことも多く、余計に自分の考えが正しいのだと勘違いに拍車をかけてしまっていた。

その後、人間関係や初めて取り組む事に対して悩みを持つようになる。その頃には様々な人と話をしたりしたことで視野が広がり自分の成長につながる。この成長を通じてわかったことがある。誰でも起きるわけではないが、当人にとって何か精神の成長を要する場面に出会った人とそうでない人では会話の成り立ち方が大きく違う点である。

主題に入るが、大人と子供では会話で共通項を探すことの難易度に違いがある。
何のアニメを見たか、なんのスポーツ、誰が好きか、学生なら毎日顔を付き合わせ、ある程度何が好きか嫌いかわかっている。また若いほど、相手の立場などを気を使って話をしない。少なくとも自分はそうだった。学生時代には友達相手に口が悪くなるときもあった。反省している。しかしながら、次の日にまた顔を合わせればすんなり元の関係に戻ることができた。

年齢だけは大人になって数年が経った今、喧嘩をすればしばらくやり取りは取らない。下手をすればそのまま絶縁だ。なんと悲しいことか。今までの楽しかったことは、そこでおしまいなのだ。勿論上手く関係を続けることの出来る人達もいるが、簡単に関係を絶つ人もいる。そんな人達は、そのあと関係を絶った友人の事を思い出さないのだろうか?私は思いだしてしまう。そして後悔する。相手の為に、と思い厳しく言ったことで、その一言で2度と会えなくなるかもしれないのだ。恋人も例外ではないだろう。大人になればなるほど、話を受け入れられるキャパは増えるが、許せない事の強度が高まる気がする。

そんなこんなをごちゃごちゃと考える原因も、大人になっての会話の煩わしさに辟易しているからなのだ。上司に忖度し、友達相手に気を使い、めんどくせぇ、実にめんどくせぇである。

私の考えが大人になりきれてないのかもしれないが、それはそれでいい。このまま気を使い続けるコミュニケーションを取らなければならないのであれば、大人にならず子供に戻って本音でぶつかりたいとしばしば思う。不良漫画で殴りあったあとに親友になるように(古いか笑)

つらつら書いたが、何が言いたいのだろう。自分でもよくわからん。でもなんとなく、分かるわって人がいたら嬉しく思う。

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