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ひとりごと

最近めっきり恋愛のことは考えなかったが、永田カビさんの漫画を久しぶりに読み返して、いろいろ考えて、なんか勝手に辛くなってきたので私の恋愛観をメモ程度に残しておこうと思う。

私は、男の人しか好きになったことないから、多分異性愛者。でも男っぽく見られたりするのは嬉しいし、そういう中性的な格好をするのも好きだ。ただ、ダボっとした服は身体のラインが逆にわかりやすくなるから、そこは嫌(男っぽい服は四角い体型に似合うように作られている気がする。丸みのある身体は少し違和感が出る)。でもたまに女っぽい服を着たくもなるし、正直「男、女」と振り分けられるのが嫌なだけで、特にこれといった性別がないのかもしれない。とりあえず、こだわるのが嫌だ。

人を好きになっても最近は長続きしない。「この人、私なんかを好きなんだ」、と思ってしまう。付き合ってんだろ何言ってんだって感じだけど、究極、私に興味ない人が良い。決してマウントではないんだけど、相手からの矢印が、自分が向けるそれより大きいのをよく感じてしまう。それがどうこう、というか、まぁいわゆるカエル化症候群みたいなものだ。友達と一緒に調べたが、どうやらそういうLGBTらしい、名前は忘れてしまった。自分に興味を持たれると冷める。噛み砕くとそんな感じ。自己肯定感が低いのが裏目に出ている良い例。

恋愛がしたい、とは思わないが、こういうのを自認してしまった以上、「もしかして大多数の人間の得ている幸せを、私は永遠に手に入れられないのだろうか」、という虚無感は現れてくる。幸せな形は人それぞれだから、それにこだわるつもりはないけど……(いや、こんな文を書いている時点でかなり囚われている)、どうやったらそこへ辿り着けるのかが、わからなくなってきてしまった。取り立てて、原因の可能性がある大きなトラウマがあるわけではないけど、多少なりとも思い悩まされた経験はいくつかあるので、やはりそういうのに基づいているのだろうな。それはここでは語らないけれど、「私が女として見られたくない」という気持ちの決定打になるような出来事ではあった。

こういう人がいいな、という要望はいくつか挙げられるかもしれない。私がHSPなので、とにかく言葉を大事にする人が良い。言葉遣いが丁寧、とかではなく、ちゃんと言葉を選べる人、選んで言葉に気持ちを乗せられる人。あとは女であることとか男であることを強要しない人。○○に似てるねって言わない人。(地雷が多いな)

いつぞやTwitterで回ってきて目にした、壇蜜さんの恋愛観に、すごく響くものがあった。一言一句違わずとはいかないが、確か「自分一人で生きていけるようになってから恋愛ができるようになった」みたいなもので、要は「自分で自分を大切にできるから、承認を相手に求めない、依存しない、相手を1人の人として見れる」ということなのかな、と解釈している。とても素敵なことだと思う。自分が何かわからない、自分に価値を感じられないから、私を大切にしてくれる人を求めてしまうような人間にはなかなかな難題である。けれど論理は、私の脳にしっくりくる。私は依存する恋愛も嫌いだからだ。こう話していると、私が依存体質のように思われるかもしれないが、私はどちらかというと、「好きにさせてほしいから好きにしてください」という人間だ。ただ、大事に思っていますよ、という契約だけで十分なのだけど、それ以上の踏み込みとか、全然大事にされなかったりとか、いろいろあるから難しい。相手が悪者!とかでなく、価値観が合う人がなかなかいないのだろうなと思う。価値観が合っても、恋愛となると人が変わる人もごまんといる……。

たくさん書いたけど、別に「じゃあこうしましょう」みたいな結論はない。多分一生悩み続ける。良いな、この人欲しいな(ぬいぐるみを部屋に置きたい感覚)と思う人はいるけど、大抵手の届かない(物理的に)人だし、友達にも恵まれているし、無理して恋愛したいわけではないのだ。好奇心、とでも言おうか、なぜ周りが普通に出来ていることが出来ないのだろう、という些細なひっかかりだ。それ以上でもそれ以下でもない。

いつか私なりに答えが出せたらなと思う今日この頃である……。

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