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結局子どもから大人まで全員ウンコの話がしたいんよ。

早速だけどウンコの話をしたいと思う。

えっ?ダメ?すっかり生き辛い世の中になっちまったんですね…。多様化の時代なら30代でもウンコの話を思う存分に出来る、そういう社会に早くなってもらいたいものです。

仕方ないので別の話をします。

小さい頃みんな考えたことあるかもしれないけれど、自分に見えてない時ってその場所や物が存在しないんじゃないかって思わなかった?

例えば、小学校から帰ってきた時に自分が見えてないのをいいことにリアルタイムで小学校がこの世に存在していないんじゃないかって思ったり、見えてないのをいいことに悪魔の城みたいな姿に変形しているんじゃないかというようなことを小学生低学年の頃よく思ってたんですよね。なんだったら自分の視界に入ってないから自分の真後ろすら「見えてない間存在してないかも…」と疑心暗鬼になって、自分が今出来る最高に早い振り向きをやってみたりした。

大体向こうの方がうわてでいつも同じ形、同じ位置で存在するんですけどね。多分昔同じことを考えた人が「だるまさんがころんだ」を発明したんだと思う。

 
本題に入りますが、会社で数年前にいつも使っていたトイレが使用不可になったことで職場から30秒でトイレに行けていたのが3分くらいかかる距離になってしまい最近よくウンコと戦っているんですよね。

場所が近かったから意識していなかったのか、年齢とともに僕の肛門括約筋能力が落ちたのか、はたまたウンコの力が増して来たのかは分からないけど、最初から全力で向かってきて一度こちらが大ピンチに陥ってから勝負がスタートしている。

 

あっ、遅くなったけどやっぱりウンコの話をしてまーす!

 

それで、あまりにも肛門から飛び出そうとするウンコの力が強すぎて、最近会社でトイレまで行く時は毎回「脂汗を出しそうになりながらも人から見られて怪訝な顔をされないようにすまし顔で無事辿り着けるかゲーム」が開催されている。今のところ負けずになんとかやっているけれど、いつか負けてしまうんじゃないかといつも恐怖に怯えている。絶対に負けられない戦いはここにもあったのだ…。遊戯王でこのゲームやってたっけ…。

で、前述の小学生の時の話がどう繋がってくるかというと、余りにもウンコが出てこようとする力が強すぎるので、僕が見えていないのをいいことに本当はウンコが人の形をしていて、肛門から自分の腕を出そうとしているんじゃないかと最近トイレまで歩きながら考えるんですよね。「えっ、宿主の僕が見えてないのをいいことに肛門から腕出そうとしてない?」って真理に気付いてしまった。

そうじゃないと、あれ程の強い力で頑なに出てこようとすることに到底納得できない。何としても捻り出てやるぞ!という強い意志を明確に感じる。

だって分からないもんね。ウンコ我慢している時に自分の肛門を直接見ている訳じゃないんだから。奴(やっこ)さんがトイレで出した時のただの一本の棒状ではなく、腕(かいな)を肛門から強引に出していないと僕には言い切れない。

書いてて思ったけど「肛の門より生まれし腕(かいな)」ってむちゃくちゃカッコよくない?

あと、前門の虎…肛門のアナルね。これに関してはカッコいいとかじゃなくちょっと言ってみたかっただけ。なんせゴロが良い。口に出してみたけどホントにこっちの諺が正しいんじゃないかってくらいしっくりきてる。ちょっと口に出して言ってみ?恥ずかしいっしょ?その恥ずかしさがイコール若さの証左です。30半ばになると全然恥ずかしくないのよ。あと「口に出して」は別に変な意味じゃないです。

話は戻って、それこそ肛門定点カメラでも設置して我慢している時の肛門をリアルタイムで見せてもらわないと人の形をしたウンコが肛門から腕を出そうとしている訳じゃないなんてことは信じられない。だって、この目で見てないんだから。

「我の眼(まなこ)に見初められし肛の門より出でたる唯の一本の排泄物(うんこ)」とならない限りは絶対に納得出来ない。

となるとやはり確認出来るように整形するしかない、か…。

 
 

 

 

街でこんな人見かけたら、僕です。

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