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稽古の日記 八日目〜十日目

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くらやみダンス#8
『くらやみダンスの宝島』
脚本 岡本セキユ・神山慎太郎
演出 岡本セキユ
2021年11月25日(木)-30日(火)
於:池袋スタジオ空洞
【詳細】
https://kurayamidance.wixsite.com/home/next
【予約】
https://ticket.corich.jp/apply/114981/006

10月24日、27日、30日

根っからの不精が祟って、日記が滞ってしまった。

始めたものを今更引っ込めるわけにもいけないので、
1週間前の稽古の記憶を無理やり引きずり出して書かねばならぬ。
最悪の最悪、嘘つかない範囲でドカ盛りして、日記一日分をこしらえる。
一つでも事実があれば、どんな書き方をしても全体は真実に相当するという、
ゴシップ週刊誌ルールをこの日記では採用している。

であるが、まじで、何一つ、微塵も、思い出せない。

何やってたよ。先週の日曜。てか、本当に稽古やったかすら怪しい。
iPhoneの中のカレンダーには赤い字で「稽古」と書かれている。
なぜこんなに覚えてない。
思い出せ、思い出せ、思い出せ。

・・・

何も出てこない。
凝り固まった脳を和らげるために近くの川まで歩いてみたり、
海馬を刺激するために逆立ちしながらマントラを唱えてみたり、
シンプルに頭を思いっきり前後左右に振り回してみたが、
なんにもでてこない。

僕の記憶の容量は、最大1週間分しかないと言うことがわかった。
ドンキで売ってるUSBメモリの方が容量あるんじゃないか?

しょうがないので、頭を振り回した時に出てきた記憶の残骸を三日分の日記の代わりに充てようと思う。(*1)

岡本の脚本執筆を手伝う。

実はまだ脚本が出来上がっていない。
岡本は台本が遅い。
本番まで1週間切っても台本が上がってないことはザラ。
ゲネプロ直前の楽屋でラストのセリフを書いてたこともあった。

ただ遅いだけならまだいい。稀に台本が消えていくことがある。
さんざっぱら稽古してたシーンが、後ろのシーンと繋がらないからと、丸ごとごっそりカットされたり、稽古初日にあった役がいつの間にか消滅してたり。
だから稽古が進めば進むほど、台本が減っていくという怪現象が起こる。

流石にもう8回もこいつと一緒にやってると焦らなくなる。
台本で自分の役が一向に登場しなくとも、
突如として音信不通になり稽古場から姿を消そうとも、
共演者の女の子が不安で半狂乱になりながら楽屋で泣き叫ぼうとも。

気がかりなのは、芝居の行方ではなく、岡本の心身である。

岡本は末期、汚泥になる。

全身の毛穴からドス黒い分泌物が放出され、それが全身を皮膚をコーティングする。眼球は落ち窪み、頬は痩け、背骨は曲がり、足元も覚束ず、発声も満足にできずに吐息混じりの呻き声を上げることしかできなくなる。服も擦り切れ、汚れ、くたびれ、かろうじて皮膚を隠す機能だけを有したボロ切れとなる。
まだギリギリ人の形を保った汚泥。これが人としての自立機能を失い、地を這うことしかできなくなるのが先か。台本が書き上がり、初日の幕が開くのが先か。

毎回強烈な不安に駆られる。

だから極力、執筆作業には協力することにしている。
協力といっても、僕には本を書く技術がないから、岡本の話し相手になったり、台本の感想を言ったり、サボらないか監視するのが仕事になる。

茅場町のガスト。二人がけの狭い席。
飛沫防止用のアクリルボードを挟んで、男ふたりが向かい合う。
一方ではウンウン唸りながら、キーボードを叩き壊さん勢いで打鍵し突如沈黙する男。
もう一方では、「海老と山芋オクラのねばとろサラダうどん」とデザートに「モワル ショコラ」を食べた後、「4種の惣菜盛り合わせ」と「ハイボール」を追加注文する男。
どういう関係性に見えているのだろうか。

まだ汚泥にはなっていない。皮膚はまだ人間としての容貌を保っている。
しかし、眼球がビー玉のように鈍い光を放っている。頬骨の影も灰色に映る。
時間の問題か。
後どれくらい、人間で居続けられるのだろうか。

打鍵が止まる。
発作的に頭をかきむしり、動きが止まる。沈黙。
「書けてる?」と聞く。「うん」と答え、沈黙。
「どこまで書けてんの?」と聞く。「そうなぁ」と答え、沈黙。
沈黙。沈黙。沈黙。
アクリルボードの真ん中を拳で叩いて「おい、書けよ」とせっつく。
一瞬ビクッとした岡本が、こちらに正対し、上目遣いでジトーっと僕の目を見つめながら言う。

「間にこれ挟んで詰められると、留置所の面会室にいるみたいな気分だ。」

めちゃくちゃ笑った。
今のこいつには、茅場町のガストが留置所に見えるらしい。
追い詰められすぎだろ。
人というのは、行くとこまで行けば、こうも認知が歪むのか。

よくわからないが、スープバー(159¥+税)をおごってやった。
向こうもよくわからないが大層喜んでた。

その後、岡本は筆が進んで、結構なページ数を仕上げることができた。
またこれが何かの拍子で消えて無くなるかもしれないが、まぁとりあえず、先に進めただけでもいいことではないかと思う。

またこいつは茅場町のガストを訪れるのだろうか。
後何日、岡本は勾留され続けねばならないのか。
たまには差し入れでもしてやろうかと思う。

(*1)宮沢章夫に『資本論も読む』って本があって、マルクスの『資本論』全3部57章を読破して、日々読書エッセイを書いてくって趣旨の本なんだけど、結局、難しすぎるって理由で第一部で挫折しちゃうのよ。
最初の方はやる気満々で切れ味抜群で実にクリティカルなんだけど、後半に行くにしたがって明らかに元気なくなってくるわけ。
「今日は資本論1ページも読めなかったなぁー」なんてぼやく回まで出てくるのよ。
でも、本来の趣旨から大幅にずれても出版までこぎつけるところに職業作家としての気概があるし、挫折しといて後書きまでチャッカリ書いちゃう面の皮の厚さがなきゃ、そりゃ何年も文章書き続けんないよねとも思うんすわ。
趣旨ズレ上等。バッチ来い妥協。バンザイ挫折。

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