【近世】徳川綱吉(1646~1709)カラスを裁く!?
江戸幕府の5代将軍徳川綱吉は、生類憐みの令を出した人物として有名です。特に犬を保護し、犬公方というあだ名もありました。この法度に人々は困り、悪法名高いと思われていましたが、最近の研究では、「戦国時代から続く、武力により相手を殺傷することで上昇をはかる価値観が否定され、死や血を忌み嫌う風潮を作り出した」と再評価されています。
そんな綱吉の時代に、カラスを裁いた記録が、公事方御定書の下巻「御定書百箇条」という裁判の判例集にあります。
綱吉が江戸城紅葉山を歩いていると、突然彼の頭の上に、「ポトリ!」と何かが落ちました。それは、なんとカラスの糞でした。側付きの小姓が弓を射かけようとしますが、綱吉が制止します。
「生類憐みの令ぞ!」この法度がはるから、やめよと言ったのです。
しかし、これでは将軍の威厳に関わります。小姓に「捕らえられるか?」と聞くと、小姓は餅のような道具で見事カラスを生け捕りにしました。
そして、数日後、江戸城辰ノ口、白州の上に引っ立てられたのは1羽のカラスでした。町奉行、寺社奉行、勘定奉行の三奉行に老中、大目付、目付などそうそうたる幕府の重役クラスの前でカラスに対する裁きが開かれました。
老中が言います「その方、この度は将軍さまに対する不届き千万、万死に値する!本来ならば、死罪であるが、上様の寛大な心により、刑を一等減じて八丈島へ流罪とする!」
こうしてカラスは特別仕様の牢籠に入れられ、2人の護衛の侍につき添われて、伊豆新島に護送されました。
そして、判例集の記録はこう締めくくられています。「八丈島に解き放ったカラスは、江戸の方角へ逃走した」と。
歴史を学ぶ意義を考えると、未来への道しるべになるからだと言えると思います。日本人は豊かな自然と厳しい自然の狭間で日本人の日本人らしさたる心情を獲得してきました。その日本人がどのような歴史を歩んで今があるのかを知ることは、自分たちが何者なのかを知ることにも繋がると思います。